【体験記】業界紙記者へ転職!

転職

2020年10月の昨今、コロナ禍非正規雇用の若年層が大幅に解雇され、短期間のバイトで食いつなぐような状況が続いています。「昭和の青年」としては、大いにご同情申し上げます。

しかし、「禍転じて福となす」という諺もあります。単純反復作業のバイトも悪いとはいいませんが、ここはひとつ業界紙・誌(新聞と雑誌ということです、念のため)記者の道を探ってはいかがでしょうか。あなたも業界紙記者になれるのです。

私は独身の頃、自動車関係の老舗雑誌の編集部で取材記者、編集者として夢中だった頃があります。また後刻、外資系企業の広報部長として業界紙・誌から取材を受ける立場にもいました。つまり、業界紙・誌の仕事の両極にいた経験があるのです。

この記事は、コロナ禍でバイトの繋ぎに苦労されている方、あるいは、今の仕事よりもっとエキサイティングな仕事を求めている方にお勧めの記事です。

一般紙の記者からは、有名な作家がたくさん輩出していますが、業界紙の中からも作家になった方もいます。
時代小説のエースともいわれる藤沢周平氏は『日本食品加工新聞』の記者でしたし、いまやテレビのコメンテーターとして活躍されている吉永みち子氏は、競馬専門紙『勝馬』の記者でした。直木賞受賞作家でもあります。

この記者稼業は、将来、作家を目指す方にも有益な転職先と思います。

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1. 業界紙・誌記者と一般紙記者の違い

普通、新聞記者といえば読売新聞や産経新聞のように宅配のある毎日発行される新聞の記者を思い浮かべるでしょう。彼らは、大卒後、定期採用試験を合格して、社名入りの名刺を持ち、社用車も使えます。

何の実績もない若い記者が、社名を背負っているだけで一流企業のトップや国会議員に単独取材ができます。ま、カッコいい人たちですね。

ここでご案内する業界紙・誌とは、そのような全国紙やブロック紙(複数の県にわたって購読されている新聞)、県紙ではなく、主に特定の業界の情報を、特定の業界の読者に報道する新聞や雑誌のことです。業界紙のことを専門紙ともいいますし、業界誌のことをクラス・マガジンと言ったりもします。業界紙・誌をあわせてトレード・ジャーナルといいます。

「業界紙記者の仕事は面白いって」
「そうなのッ、行ってみましょ」

業界紙は、住宅や建設、食品、パン菓子、旅行など多岐にわたり、日本専門新聞協会(昭和22年設立)には83社が加盟しています。読者は、主にその業界の人たちです。業界紙には日刊、週刊、旬刊などがあります。

いっぽう業界誌の方は、そういった業界団体は見当たりません。
こちらは主に月刊誌ですが、隔週刊、旬刊などもあります。

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2. 業界紙・誌記者の仕事

業界紙の記者の仕事と、業界誌の記者の仕事は、取材先や読者は似ていても働き方や、その結果としての紙面(誌面)構成がやや異なります。

業界紙・誌の記者の仕事は、以下のようにほぼ同じです。
1)日々のニュースを取材して原稿を書く。
2)編集会議で決められた特集のテーマを取材して原稿を書く。
3)編集タイアップの取材をして原稿を書く。
4)特ネタ(編集会議にも出なかったような“秘密”ネタ)を取材して原稿を書く。
5)広告取り営業をする。

2-1. 業界紙記者の仕事

 上に書いたように、業界紙・誌の記者の仕事はほぼ同じです。細かくご説明していくと、業界紙」記者の仕事は上記1)の仕事が中心であるのに対して、業界「誌」記者は2)が中心となります。

1. 日々のニュースを取材して原稿を書く

とは、取材先をまわって、原稿の締め切り日までに原稿をまとめて、デスクとかキャップと呼ばれる編集長の直下の役職者に原稿を出すことです。デスクとかキャップがいいなくて直接編集長に出すメディアもあります。メディアとは、新聞や雑誌などの報道機関のことです。

2. 発行頻度

業界紙は発行頻度が、日刊、週刊、旬刊、そして月刊などがあります。
ニュースがたくさんある自動車業界の『日刊自動車新聞』のように、普通の新聞のサイズ(ブランケット版)でページ数も多いメディアもありますが、多くはタブロイド判(普通の新聞のサイズの約半分のサイズ)で出版しているメディアもあります。

3. 取材先

では、どこへ取材に行くのでしょうか。下記の取材先へは自宅から直行する場合もありますが、いったん社へ出社してから向かう場合もあります。先方の時間に合わせるためです。

取材先は、以下のようになります。


3-1. 記者クラブ、記者会見:

ほとんどの業界には、取材される企業側が設定した記者クラブがあります。各企業はそこで記者会見をしたり、報道用資料(ニュースリリース)を配布したりします。これらは突然するのではなくて、数日前に記者クラブの予定表に書き込まれています。記者はをそれを見て、社内の紙面レイアウトの担当者に誌面どりを依頼したりします。

また、企業側が新製品の発表などの時には、ホテルなどで記者会見を開くこともあります。

3-2. 企業の広報窓口:

各企業には、業界紙・誌の取材窓口(広報部のような名称が多い)があります。記者発表するまでもないようなネタを担当者が持っていることもあります。フラッと立ち寄ってもいいのですが、広報担当者も多忙ですから、何らかの用件を作って電話でアポを取るのが原則。突然の取材訪問は、私の外資系企業の広報部長の経験からは迷惑でした。
その何らかの用件のついでに、いろいろと探りを入れて、細かい情報や、特ネタにつながるような情報を聞き出すのです。
こうした公式の取材以外にも、個人的に親しくなれば、酒場で談笑する中から「取材」することもできます。
いずれにしても、記者は、聞き上手で、人に好かれる性格でないとこれができません。

3-3. 企業のホームページや報道室:

一般向けのホームページと、報道関係者向けに設けられたウェブ上の報道室のようなところは、大事な情報源で毎日チェックします。質問などがあるときには、電話やメールでの問い合わせもいいですが、私が記者の頃は、とにかく、広報担当者と「面談」のアポを取ります。「足」で取材して(訪問して)「面談」することにより、当該テーマへの取材・回答以外のネタを拾う努力が大事なのです。
 いまの記者は、こうしたことを億劫がります。記者魂が乏しいですね。

3-4. ニュース・レリース:

これは、各企業が業界紙・誌へ郵送してくる記事を書く上での情報です。プレス・レリースとも報道資料ともいいます。むかしは、印刷物で送ってきますが、いまでは、デジタルで記事や写真を送ってくるし、ウェブ上の報道室にもデジタル情報が公開されている場合もあるので、原稿書き、といってもデジタル資料をコピペして、自社の表現コードに直すだけなので、楽になりました。

3-5. 読者投稿:

どこの業界紙・誌でも読者投稿を受け付け、それを紹介する紙・誌面があります。私も、一時、これを担当することがありました。老若男女いろいろな読者から意見や提案があり、中には、これは企画にしてみようかなどという内容もあり、面白い仕事です。私らの時代には郵便でしたが、いまでは、デジタルになり処理も迅速化されました。

3-6. 現場取材:

都会の雑踏の中を毎日取材しているとき、都心を離れた郊外の工場視察や担当企業の、一般消費者向けのイベント取材、あるいは近県の研究所の商品開発担当者取材などは、気晴らしにはとてもいいです。

時には、現地で飲食のパーティが開かれることもあったり、外国企業の場合には海外の本社見学や工場見学もあり、記者にとってはいつその順番が自分に回ってくるかも、ひとつの楽しみです。これは業界用語ではプレス・ジャンケットといいます。

国内の現地取材で、急ぎの場合の時は、現地で原稿を書き、本社へメールで写真とともに送れば、帰りの列車の中では一杯飲める、ということもある。

私が若い頃は、地方ではコンビニもファックスすらもないところがあり、電話送稿というのをやったものです。もちろんスマホどころか、携帯電話もない頃なので、100円硬貨をたくさん公衆電話の前に置き、自分が書いた原稿を送話器から本社の受信者へ読み上げて送るのです。本社ではそれを原稿用紙に書き取るのです。

当時は、カッコイイ記者の姿なのですが、スマホ、e-mail 全盛のいまでは、懐かしい思い出となってしまいました(笑)。

3-7. 人物取材:

業界紙・誌記者で、もっとも醍醐味のある仕事のひとつは、この人物取材です。業界紙・誌とはいえ、中小企業の社長や経営者、あるいは製品の開発部長などに直接、単独で面会できて、しかも「署名原稿」といって最後に自分の名前が入ることもあるのです。

日々のニュースでは、署名原稿などはまずありませんが、人物取材やルポものでは、よく「署名原稿」となります。これらはファイルして置けば、「書き屋」としての転職の時に有力な参考資料となり、転職希望先の担当者に具体的なエビデンス(物的証拠)として説得性が高まります。

人物取材の時は、頭の中をまっさらなままで相手に会ってはいけません。会って聞けばいいではないか、と思うでしょうが、それは素人の考えで、相手に対して失礼です。プロとしては、会うべき人物については、事前に、その会社のホームページはもとより、ググれるものはできるだけググって、その人物の情報をかき集めます。

そうすれば、当人を取材していても質問によって、相手は「ああ、この記者はある程度事前取材ができているな」と、好感を持たれます。そして話も進むでしょう。

私が外資系企業の広報部長の時、ある業界紙の記者が私を取材に来ました。ところが、御社の売り上げは? とか、アメリカの本社はどちらの州でしたっけ、的なことから聞いてきました。私は、この記者は何の事前取材もしていないんだ、たぶん、ろくな記事もかけないだろうと思って、取材を打ち切り帰ってもらいました。

記者は「読者の代表」という自尊心と事実があるので、このような「取材拒否」は、あまり許されないのですが、よくいって聞かせ出直すように話して別れたのです。

いずれにしても、人物取材は、新商品紹介の記事などと違って、本人の仕事や場合によってはプライベイト分野に立ち入った取材ができ、その人の生き様や人生観などにも触れることができ、とても楽しいです。気が合えば、生涯の友人としてのお付き合いも始まるのです。

3-8. 編集タイアップ:

これは、例えばある企業の新製品の開発背景を物語風に1本の記事としてまとめる仕事です。紙・誌面では記事の形になるので、読者としては美辞麗句をならべた広告と違い、親近感をもって読んでもらえます。

しかし、記事風にまとまっているとはいえ、「編集タイアップ」ですから記事全体のスペースは広告と同じで企業側からは広告料が支払われます。普通の新製品紹介の記事などでは、企業による、原稿の事前チェックは入りませんが、「編集タイアップ」記事は企業側に事前にシッカリとチェックされます。

記事ページの上の方には「PRのページ」とか「全面広告」のような文字が入ります。

この記事を編集部でまとめるのか、広告部でまとめるのかは、メディアによって違います。

3-9. 特ネタ追い:

これは記者が独自に、これはいけるというテーマを同僚記者に気が付かないように、ググったり、人に会って取材したりしてテーマを深掘りし、原稿にまとめることです。スポーツ紙のスポーツ選手の婚約や特定異性との付き合いを嗅ぎつけて記事にするようなことも、そのうちのひとつです。

また、編集長がテーマを見つけて、ひとりの記者に追わせることもあります。各企業の新製品の開発を嗅ぎつけて、企業が発表する前に記事にすることもあります。最近では、ネット検索である程度のことは取材できるので、企業の担当者を酒場に何回も誘って「特ネタ」を発見するようなことは、ほとんどない、と聞きます。

むかしむかしの梶山季之のような「トップ屋」や記者魂コテンコテンの「ブン屋」が、昨今ほぼ消滅したのは、IT技術が進歩したいまでは仕方ないことかなぁ、と思いつつも、今流のジャーナリスト魂を持った若者が登場することを、でも、まだ期待するのは「昭和の青年」である老兵の感傷なのでしょうね。

3-10. 広告営業:

業界紙・誌の収入源は、購読料と広告収入です。
大きいメディアなら、編集部と広告部や販売部は分かれていて、それぞれの仕事をしています。

しかし、多くの業界紙・誌では、広告営業を編集記者がしています。
これこれの記事を書きますから、広告を出してくれませんか?とか、反対に、
広告を出すから、この製品の大々的な記事を書いてよ、と露骨に要求されることもあります。

いずれにしても、業界紙・誌を各企業は持ちつ持たれつの関係ですから、記者が広告営業をするのはごく自然なことなのです。

2-2. 業界誌記者の仕事

以上、業界紙記者の仕事を見てきました。
業界誌記者の仕事も業界紙記者の仕事と大同小異です。

この記事の冒頭で業界紙・誌記者の仕事として以下を列挙しました。

業界紙・誌の記者の仕事は、以下のようにほぼ同じです。
1)日々のニュースを取材して原稿を書く。
2)編集会議で決められた特集のテーマを取材して原稿を書く。
3)編集タイアップの取材をして原稿を書く。
4)特ネタ(編集会議にも出なかったような“秘密”ネタ)を取材して原稿を書く。
5)広告取り営業をする。

大雑把に言えば業界紙・誌記者の仕事の違いは、上記1)に重心があるのが業界紙記者、2)に重点を置くのが業界誌記者といっていいでしょう。

それ以外の仕事内容は業界紙・誌記者ほぼ同じです。

業界「紙」記者は毎日の業界ニュースを毎日書きます。週刊や旬刊の場合は、その締め切り間際にまとめて書く記者もいます。

2-2-1. 編集会議:

業界「誌」記者は基本的に日々のニュースを追いません。

編集会議が開かれ、次の号の企画内容が決まり、それを取材し記事を書く記者を決めます。

取材相手や日時が決まっている場合は、その通りにしますが、担当記者が誰を取材するか編集長の指示を仰ぎ、その日程調整は担当記者の仕事となります。

あとはその企画を構成するに十分な周辺取材は、担当記者が取材相手や日時を調整します。

2-2-2. 締め切り:

大事なのは締め切り日を守ることです。雑誌といっても1冊分を同時に印刷するのではなく、1折とか2折、3折といいうように雑誌が紙の束で構成されており、その折ごとに印刷日が少しずつずれるので、締め切りも変わってきます。

とはいっても、記者が書いた原稿がそのまま印刷されることはまずなく、デスクやキャップ、あるいは編集長のチェックが必ず入ります。そのチェック時間を織り込んだ社内の締め切り日があるので、必ずその日までに書き上げる必要があります。

チェックされた後、書き直し、ということもあるので、締め切り日前の原稿書き上げが推奨されます。

原稿は、私がいた編集部ではどこで書いても、つまり喫茶店(今ではカフェですね)で書こうが自宅で書こうが自由でした。締め切りさえ守れば良かったのです。

2-2-3. 記者に必要な資質:

さて、業界紙・誌記者の仕事をいろいろと書いてきました。

あなたは、業界紙・誌記者になってみようか、と思うかも知れません。良い仕事ですから、私もお勧めします。

しかし、少なくとも以下の3つは必要ですよ。

1)野次馬根性:

野次馬を知らない読者はいないと思いますが、ここでは、ちょっとしたことにも「えっ、それ何、何?」と興味が湧く性格です。これは記者の、基本の基です。これは大事です。

2)聞き上手:

これも大事です。取材相手にいろいろ話してもらうためには、黙って聞いていたのでは話が途切れてしまい、以上、マル。となってしまいます。

そうならないためには、
「え、そうなんですか?」
「それは凄いですね、それからどうしたのですか?」
「えッ、そんなことをされたんですか、普通の人はできないですよね」
と、合いの手を入れ、相手が「その次」を話したくなるような対応をすることが肝心です。

3)インターネット検索力:

これは人物取材に行く前や、帰ってきてから原稿の仕上げの裏付け資料の検索などに必要です。また、e-mail のみならず、書類の共有やオンライン電話の取り扱いなども難なくできることが必須です。

2-2-4. 有能な記者になる3要素

どの仕事に従事したとしてもトップを目指すのは当たり前と言えます。某国会議員のように「2位じゃいけないんですか?」などと言っているようでは、人として大成できないでしょう。何のために生きているのですか、と問いたくなります。

業界紙の記者と言えども、トップを目指す志と、白球を夢中で追う甲子園球児のような直(ひた)向きな努力はいくつになっても大事だと思います。そうした努力は、転職をするときにも必ず報われます。

業界紙・誌記者の記者のみならず、取材して記事を書く職にあるものには、経験的に次の3要素の鍛錬が欠かせません。

1.取材力:

まず、取材力です。どのくらいの「量」の情報を得られるか、また、どのくらい踏み込んだ「質」の情報を収集できるか、が最初の要素です。取材は、とりあえずインターネット検索でどれだけの情報を収集できるか、ということと、人に会ってどれだけの「量」と「質」の情報を得られるか、です。

インターネット検索では、どのようなキーワードを自分の頭脳で抽出できるかが大切です。そのためには、日々、単にスマホを弄繰(いじく)り回すだけの精神的に貧しい生活だけではなく、読書量を重ね教養を高めなければいけません。

また、人に会ってインタビュー取材をするときにも、どのような質問を投げかけるかが大事ですが、そのためにはやはり読書が大事です。読書によって、疑似体験(自分が体験できないようなことを読書で体験する)を積み重ね見聞を広めることが大事です。

質問して返ってきた答えには、どう反応するかも大切です。それへのあなたの反応によって、さらに相手に語らせるにはどのような相槌(あいづち)を打つかが肝要です。

相槌ってわかりますか?相槌とは、鍛冶 (かじ) 屋さんで、二人の職人が交互に熱い鉄を槌で打ち合わすことです。転じて 相手の話にうなずいて巧みに調子を合わせることを相槌を打つというのです。

このようにして、記事を書くための「質」のよい情報をできるだけ多く集めていくのです。

2.構成力:

さて、こうして集めた情報をどのように並び替え、どのような順序で書いていけば、書こうとするテーマが相手に伝わるかを考えます。

書こうとする記事の長さはどのくらいなのか、雑誌では編集会議で台割(だいわり)といって雑誌全体のページ構成と1記事当たりの原稿の分量が決まりますので、その範囲で原稿を仕上げます。

雑誌の場合、原稿が整理部によって短くされることがまずないので、起承転結とか序破急とかいった文章構成で記事を仕上げられます。

新聞の場合でも、特集モノや企画モノは、あらかじめ分量が決まっているのでその範囲内で原稿をまとめます。日々のニュース物は、5W1Hでまとめることが多いので、原稿の長さは成り行きとなりますが、紙面スペースの関係で整理担当者に短くされることがあります。

あなた方も教科書で習ったように、新聞記事は5W1Hをもとに逆三角形にまとめる、つまり重要なことから書き、原稿の終わりの方は、どこで切られてもいいような形にまとめるのが普通です。

3.スピード:

さて、取材は十分できた、構成も出来上がった。そうなったら、あと大事な要素は何でしょう。

それは、文章を書くスピードなのですね。何が何でも締め切りに間に合わせることが大事です。記者が書く記事はメディアの1回の発行で、1本ということはあり得ません。何本も書かなければなりません。特集モノ、企画モノ、新製品紹介の記事と、ひとりで何本も書くのです。

几帳面な記者は、取材済みの案件からサッサと書いていくのですが、ズボラな記者はそれを締め切り間近まで溜めてしまい、数日で何本もの記事を書く羽目になるのです。

しかし、原稿書きを素早くできる人は、取材ごとに原稿をまとめるにしても、締め切り間際にまとめて書くにしてもやっぱりカッコ良いですね。

私が現役の業界誌記者だったころ、隣の席の先輩はいつも飄々としていて、机に向かって原稿を書いているのを見たことがありませんでした。「あ、あれ、サテンで書いたよ」とかいってケロッとしてました。

また、他のある先輩は、いわゆる遅筆(書くのが遅いということ)で、しかも取材不足、原稿書きは下手でいつも机で奮闘していました。その原稿は編集長のOKを一発で取れたことはほぼありませんでした。書き直し、書き直しで残業になります。残業代がつきます。

これには原稿書きが速い先輩や私は、不公平感を持っていました。能力のない記者なのに、基本給は私より高い、ということは残業代の単価も高い、これには参りました。

3. 記者の文章修行

どの社会にいても自分を少しでも高見へと押し上げる努力は続けなけらばいけない。これは私の信条です。白球を追う甲子園球児のように、いくつになってもその努力は必要だと思います。

3-1. 高校弁論部での修行

私が、いわゆる人に見てもらって、あるいか聞いてもらってわかってもらえる文章を書き始めたのは、高校の弁論部に入ってからでした。私の母校の弁論部は、私が入部する少し前くらいまでは、その名を全国に知られた弁論部だったのです。

私はそうとは知らずに弁論部に入ったのです。というか強制勧誘を受けたのです。というのは、神奈川県の中学生の弁論大会がその高校で毎年行われ、私は、中学校の先生に言われてしぶしぶ出場したその大会で「敢闘賞」を獲得できたのです。

その翌年、その高校へ入学できたので、弁論部の部員たちが勧誘にきて、弁論部の部室へ連れていかれ入部を説得されたのでした。

その後、3年間に神奈川大学学長杯争奪で優勝、東日本大会で優勝、立正大学学長杯争奪で優勝し、その他の数々の弁論大会に出場しました。

文部大臣旗争奪全国大会が鳥取市で行われようとしたとき、参加のために、新幹線もないころで東京駅から夜行列車で鳥取へ向かおうと発車を待っていた、まさにその時、母の危篤を駅のアナウンスで知り、出場はなりませんでした。

高校での文章修行は、7分の弁論(なぜかいつも7分でした)原稿(だいたい400字詰め原稿用紙で7枚ぐらい)を、各自書き、それをみんなで意見を出し合って完成させていくのが、基本でした。これとは別に原稿を書く前に、各種の「文章読本」で原稿の書き方を勉強しました。

3-2. 新聞記事の書き写し

業界誌記者時代の文章修行が今日の私の筆力を養ったと思っています。

それは、新聞記事の書き写しです。現在では、反日三流紙になり下がってしまった朝日新聞は、当時は知識人の必読紙として日本を代表する全国紙でした。

その朝刊の「天声人語」、および夕刊の「今日の問題」という二つのコラムを、毎日、原稿用紙にせっせと書き写したのでした。「それがいいぞ!」という先輩の助言をいただいたのです。

ほぼ1年間、一日もサボらないで書き写しました。できなかった日の分は、後日、まとめてしました。

後年、暮の大掃除の時にその書き写した原稿用紙の束がたくさん出てきたので驚いたことがありました。

なぜ、書き写しが良いか。それは・・・、

1)限られた紙幅のなかで、ひとつのテーマをまとめる、その構成法が書き写し続けることによってジワジワと解ってきます。

2)文章のテンポが、解ってきます。同社を代表するコラムニストが書いているわけなので、書き写すことが何か「門前の小僧、習わぬ経を読み」につながるような気がしました。いわゆる文章読本を読んで理解するより、身をもって体験でき、これは本当に良い修行でした。

3-3. 大手新聞社記者の指導

もう一つは、先輩の勧めがあって、朝日新聞とは別の全国紙の記者を紹介され、その人のマンツーマンの指導を受けられる機会を得たことです。

方法は、月に1度、テーマをいただきます。そのテーマについて何字以内にまとめよ、という形でした。メールがない時代で郵便でそれを彼に送ると、添削が赤字がバッチリ入った原稿と講評が返信されてきました。

これも、一流新聞の記者の指導を受けられるという点で心躍るものがありました。

3-4. ニュースリリースの執筆4,000枚

業界誌記者を離れてからも、私の文章修行は続きました。修行というよりon the job training のように仕事として記事執筆が続き、それが自己鍛錬にもなったのです。

業界誌記者のあと、外資系の広告代理店へ移りました。同社でクライアント(広告主)のPR誌の編集者を募集していたのです。コーンフレークのケロッグ、フォード自動車、スコッチウイスキーのジョニーウォーカーなどのPR誌です。

広告代理店には広告の文案を作成するコピーライターという人がたくさんいます。しかし、一言一句を熟慮して文案を絞り出すように時間を掛けて作るその職種には、時間や日にちを決められて長い記事を何本も書く仕事は不向きなのです。もちろん、素晴らしいキャッチコピーがパッと閃くときもあります。

それで、私のような「書き屋」が必要とされたのです。私の前職の経験が大いに役立つ転職でした。

そのうちに、PR誌のような定期刊行物の制作ではなく、クライアントのPR業務も担当せよということになりました。PR業務の内、重要な仕事としてクライアントのニュースをマスコミへ流す「ニュースリリース」というものをを書くという業務があります。報道関係の記者は、そのニュースリリースを参考にして、追加取材などをして記事を書くのです。

私はその広告代理店にいる間に、先に書いたコダック、ジョニーウォーカー、ロレックス、ペプシコーラ、ケロッグ、硝子繊維協会などのニュースリリースを書きまくりました。

その後、別の外資系企業の広報部長になってからもニュースリリースを書き続けました。週イチでA4で3、4枚程度の長さです。日本ネタをオリジナルで書き下ろすこともあれば、米国本社のニュースリリースを翻訳して配布することもありました。

その後の仕事でも、ニュースリリースを書く仕事は結構ありました。いま、ザッと計算してもA4で4,000枚は書いたと思います。また、英文和訳の翻訳もニュースリリースを含めると、3,000枚は軽く超えています。

このように、限られた時間の中でスピード感を持って原稿を書く仕事は、筆力(表現力やスピード)を養う上で大変有効な経験となりました。

3-5. 文芸文章と報道文章は違う

私も恥ずかしながら小説を書いています。Amazon.comから、電子書籍や、紙の単行本として発売されています

しかし、小説やエッセイなどの文芸文章と報道文章は、基本的に違うのですね。報道文が上手でも、素晴らしい小説を書けるとは言えません。それは、文芸文章は情念を扱うもので、報道文章は論理を扱うものだからです。

業界紙・誌記者や一般紙の記者から、小説家が出てくるというのは、書くのが好き、書くのが億劫にならないということかもしれません。ただ、右脳と左脳を使い分ければいいのかなぁ、と思っています。

4.どの様にしてどのようにして業界紙・誌記者になるか

では、どのようにして業界紙・誌記者になるのか?

業界紙・誌業界では、メディアが小規模なためだと思いますが、大手全国紙のように新卒の定期採用というのはあまり聞きません。

したがって、これは体当たりで直接交渉ということになると思います。コロナ禍で新しいスタッフを採用するのはどこのメディアでも大変でしょう。しかし、人では必要です。

いまあなたが、バイトの繋ぎ生活なら、バイトでとりあえず仕事をさせていただくというのも一つの手です。

やらないでグズグズしているより、総当たりでここはと思うところにすべてコンタクトしてみることをお勧めします。

私は現在、国家資格の「全国通訳案内士」という資格を取って、コロナ禍以前までは訪日外国人観光客の富裕層に対して英語で観光ガイドをしていました。

そのいきさつがご参考になればと、体験談をご紹介します。

私は、日本企業が世界に販路を広げたり、外国企業が日本へ進出したいのを助ける国際ビジネス・プロモーションの仕事をしていました。

ある時、クライアントの50代の社長が、私に海外添乗員の仕事をしないか、と持ち掛けてきたのです。私は英会話ができるし、キャラもいいし、と彼が言うのです。彼は、自分がかつて国内の添乗員をしており、その会社が海外旅行も扱っているので、もし私にその気があるなら、その企業にわたりをつけてやる、とのことでした。

私は珍しモン好きですから二つ返事で了解しました。彼はその場から、その会社の人事部長に電話を入れてくれました。しかし、私は当時、65歳を過ぎていましたので、その話はご破算となりました。誰だって本人を見ないで歳だけを聞けば、65歳以上なんて仕事ができないと思うのでしょう。

さてここからが、皆さまへの大事なサジェスチョン(示唆)です。

私は添乗員というのは、旅行会社の社員だとばっかり思っていました。違うんですね。9割以上が派遣の添乗員で、その添乗員を派遣する会社がたくさんあるのです。私は、その社長の話に未練があったので、自宅でいろいろとキーボードを叩いていたら、東京の添乗員派遣会社の協会が見つかったのです。24社くらいありました。

「おう、これだ、これだ」と思って、添乗員を募集している会社に全部コンタクトしました。
つまり、募集のweb上の書式があるところはそこへ記入して提出、電話のところは電話を入れました。

これが大事なのです。迷っていても仕方のないことなのです。迷ったら実行、そして結果を出します。
よい結果でなくても、事態がはっきりしたので、自分では次の手が打てます。
下手な考え休むに似たり」とも言います。さっさとすることです。

さて、私の結果は。それは火を見るより明らかです。どこの派遣会社が65歳をとうに過ぎた「昭和の青年」を採用するでしょうか? ゼ~ンブ、ダメ、でした。

しかし、「捨てる神あれば、拾う神あり」です。
1社の社長が「じゃ、ちょっとお会いしましょか」と言ってくれたのです。

同社長のお蔭で、私は海外旅行の添乗員としてデビューし、後刻、インバウンド(訪日外国人観光客)のグループ・ツアーの添乗員へと転身できたのです。

その後、さらに上を目指したい私は、国家資格の「全国通訳案内士」の資格も手にし、私が関係する「全国通訳案内士」と海外の訪日希望者を結ウェブ・マッチング・サイトでは、旅行後のアンケート評価の結果、人気ナンバー・ワンのガイドにもなったのです。

「為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成さぬは人の為さぬなりけり」

皆さまも、ぜひ頑張ってください。

5. まとめ

業界紙・誌の記者の仕事は面白い仕事です。

いろいろな、その道の成功者を取材することができ、自分の人格形成や教養を高める上でも大変すばらしい職業です。
もちろん、本稿には書かなかった大変なこともたくさんあります。

現状を脱皮して、新しい自分を発見したい方はぜひトライしてみてください。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

併せて「転職の極意 by 元外資系企業人事部長」もご覧ください。必ず、お役に立ちます。

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