特別ルポ『添乗員はつらいよ』③初回海外添乗体験談、いきなりの冷や水

特別ルポ添乗員はつらいよ 通訳案内士/添乗員

初めての海外添乗。胸の高鳴りとは裏腹に、現実は想像以上に厳しいものでした。右も左も分からぬまま現場に放り込まれ、最初に浴びせられたのは、歓迎ではなく「冷や水」でした。マニュアルには書かれていない判断、瞬時の対応、そして評価の重さ。初回添乗で経験した出来事は、その後の私の添乗人生の基準になっています。失敗談ではありますが、これから添乗を目指す方には避けて通れない話だと思います。

※本記事は、著者が執筆した電子書籍をもとに、加筆・再構成したものです。
※This article is adapted from my Kindle eBook by the author.

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1. 多くの海外出張経験あれど海外添乗の仕事は初めて

 最初の海外添乗は、モロッコであった。まだ、添乗員の資格取得の研修中に、添乗のアサイン(仕事割り当て)があった。えっ、私ってそんなに有望? 研修中からアサインがあるなんて。他の添乗員予備軍の人たちもそうなのかなぁ。歳喰ってるし、たくさんの海外出張経験があるから、その辺を事務所の社長が買いかぶってくれたのだろう。とはいっても、こちとら、まったく未知の世界へのデビューなのだ。

 社内でロール・プレーは十分に積んできたし、新しい舞台でひとに飲まれるようなこともない。しかし、モロッコへ添乗するグループの客数はなんと29名と多かった。

 事務所で教わった通り、集合時間より2時間前に成田空港へ行く。フライト・インフォメーション・ボードで搭乗予定機の出発時刻に変更がないかを確認。こんなことは、そのボードを見にいかなくても、スマホでリアルタイムで、成田へ行く車中で確認できるのだが、ま、基本は基本。会社で受講したとおりにフライト・インフォメーション・ボードまで自分の足を運んで確認しにいった。そう教わったのだから。

 その他、必要な事務手続きを、空港内の航空会社の下請け企業の事務所でしてお客さま受付カウンターへ。当然のことながら、まだ、誰も来ていない。上司がいない添乗員の仕事は、最初から最後まで全部自分ひとりだ。

 二十代、三十代の若者ではあるまいし、何をビビることもなく淡々と事務作業を進め、自分でシミュレーションしながら作ったチェックシートを次々にマークしていく。これまで、幾多のイベントや事業を統括してきた経験からすれば、単純極まりない作業だ。ま、しかし、最初の仕事だし、初心忘るべからずで、一新兵のつもりで、お客さまの心情を大事にしながら旅を回していこうと思った。

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2. 映画『カサブランカ』

 モロッコへの旅は、成田からイスタンブールへ飛び、そこでトランジットして、モロッコのカサブランカ空港(ムハンマド五世国際空港)へ降り立つ。ムハンマド五世はモロッコの国王の名前である。

 カサブランカといえば、私としては、やはりなんといっても不朽の名作映画『カサブランカ』を真っ先に思い出す。モロッコは、都合二回添乗しているが、往復の飛行機の中で二回ともじっくりと鑑賞しなおしている。

 1942年に公開され、ハンフリー・ボガートとイングリッド・バーグマンが主演。第二次世界大戦下のフランス領モロッコのカサブランカを舞台に、パリで同棲していた二人が再会する、男女の微妙な心理を描いている。男(ハンフリー・ボガート)はパリで別れたままひとり身、女(イングリッド・バーグマン)は新しい男と、別れた男が経営するリックというクラブに現れる。

 ハンフリー・ボガードが、この別れた女とその男のために、義侠心を発揮するのだが、これがなかなか渋い。私の好きな映画のひとつだ。こういうテーマでいつか小説でも書いてみたいものだ。

 このストーリーをモロッコ周遊中のバスで客に語って聞かせるのだが、皆さん、この映画をご覧になっていない方が大部分で、
「えっ、それでどうなったんですか?」
「次は彼はどうするんですか?」
等々、質問も私の語りを促進し、なかなか好評だった。

 さて、この映画に出てくるクラブ・リックの撮影現場は、そのまま、今なお酒場として残っており、バスの車窓からチラッと見る事ができる。また、後刻、インバウンド・ツアーで外国人観光客を倉敷へ案内することになるのだが、市内にリックという洒落た酒場がある。もちろん店名は英語表記。男子名リチャードの略、リック。聞いてみたら、やはり、この映画からの命名だそうだ。

3. 惨憺たる添乗員評価

 モロッコの旅は、ここカサブランカ空港を拠点に時計回りに、世界一複雑な迷路と呼ばれる旧フェズ市街、メクネス、トドラ峡谷、そしてサハラ砂漠を歩いたり、ラクダに乗ったりして日の出を鑑賞しにいく拠点の街・ワルサザード、マラケシュの街などを観光する。

 マラケシュ旧市街の中心にあるジャマ・エル・フナ広場では、多くのモロッコ人や世界中からの観光客がここに集まり連日、昼も夜間も賑わいを見せている。広場には多くの露店やお土産屋、蛇使いや大道芸人が観光客を楽しませている。

ジャマ・エル・フナ広場

 このツアーは、初めての添乗なので、社内研修でもよく言われたように、バスで走行中にお客さまに話しかける小ネタを十分用意していった。次のバスが止まる観光地までは三時間走りっぱなしというところもある。また、関連する音楽資料をCDやスマホにストックしておいて、適宜、聞かせる準備もしていった。お客さまを退屈させないためだ。

 CDは一般的に映画音楽が好評である。バスのCDプレーヤーにかければいい。また、スマホにストックした音楽、例えば映画『カサブランカ』のテーマ曲ともいえる『アズ・タイム・ゴー・バイ』などを、スマホのスピーカーにマイクをあてて車内に流せる、と聞いた。これは極めて原初的な方法で、音声は1ランク劣化する。実際にはその音楽をスマホからFMでバスのラジオに飛ばせば、バスのスピーカーからきれいに聞こえる。ま、いろいろ準備していった。

 このようにあれやこれやと準備して臨んだ初回の海外添乗だが、帰国の機内で回収し、旅行代理店で開封したアトでの添乗員評価は惨憺たるものであった。一行29人中、五段階評価で、確か5の人が4~5人くらい、あとはみんな3以下。評価が上下に割れたのだ。一生懸命やってきて、ヘトヘトになって帰国したのに何という評価だ。昔から、学校の成績もサラリーマンになってからの勤務評定もほとんど最高点に近かった私は愕然とした。5の評価を下した人は、全員男性客だった。

 「添乗員は知ったかぶりをしている」という意見がおばちゃまから出ていた。詳しく書いてないので何とも理解しかねる。知ったかぶりをした、ということは、誰もが知っていることを、さも、自分だけが知っているかのような話し方をした、ということか。あるいは、誰も知らないことを、俺しか知るまいと思って、自慢そうに話したということか。それとも、話し方のトーン・アンド・マナーのことなのか。

4. 話し方のトーン・アンド・マナー

 話し方のトーン・アンド・マナーのことであれば、私の背景について読者の前に明らかにしておく必要があろうと思われる。

 私は高校時代、弁論では名門といわれた県立高校の弁論部に所属していた。神奈川県下の中学校の弁論大会がその高校であり、たまたま、つまり、私は人前で話す弁論なんて、どちらかというと嫌な方だったのだが、これも、たまたま生徒会長だったものだから、教師に首根っこを押さえられて原稿を書かされ、出場したら、表彰モンになった。

 翌年、たまたま、入学したのがその高校だ。毎年、東大に何人か入るくらいの進学校であったが、県下に三つしかなかった旧制中学を前身としている伝統校でもあった。東京大学の茅誠司元総長は大先輩にあたる。

 中学生の時、お前は進学相談無用、全国どこでも好きなところを受験せよ、と先生にいわれて受験して入学した高校であった。

 で、入学したら県下中学生の弁論大会で入賞記録がある私は、弁論部の高校生に囲まれ、逃げ場がなく弁論部員となったのである。

 弁論部の名門高校だけあって、毎日の部活が大変だし、夏合宿や冬の寒稽古もある。普段は、原稿の書き方や書き上がっている原稿での話し方の練習はもとより、高校の西側の畑の中にある小さな古墳に上り、全員が外を向いて円陣を成し、弁論部綱領を使っての発声、活舌、声量、長音、短音等々を大声で練習する。

 練習の中心をなすのは、やはり、登壇しての話し方になる。一方的に自分だけ話さないで、聴衆の目を見ながら話して反応を確かめつつ、持論を展開するのである。

 かつて先輩たちは文部大臣旗争奪の全国優勝を何回か遂げていた。私もその文部大臣旗争奪全国大会(鳥取市)参加のために、東京駅から夜行列車に乗った。しかし、駅の構内放送で母の危篤を知らされ、無念の不参加となったいきさつがある。まだ新幹線は走っていなかった。

 加えて大学では、放送研究会というサークルに所属した。ここでは私はラジオ・ドラマのグループ員として、脚本を書いたり役者、制作スタッフとして励んだ。当然ながら、ラジオ聴取者を意識しての活動となる。

 このようないろいろなトレーニングを経てきているので、絶えず相手を意識して、相手の気をそらさないように、質問を交えながら話を進めていく技術は自然と身についている。セミプロのような技術なのだ。

 難しい内容の話でも、中学生にもわかるようなワーディング(言葉選び)をいつも心がけている。これは、新聞や雑誌の記事を書くときでも同様である。私は、月刊誌の編集者・取材記者でもあった。

 そういう、いわば話法を心得ている話をしたつもりなのだが、結果的に、相手に「知ったかぶりをしている」と取られたのだから、何をかいわんや、である。

 さて、どこがいけないのかなぁ、反省事項のひとつである。

5. イスラム文化の話

 では、何か適当ではない話題を持ち出したか?
そういえば、イスラム教の習慣について説明した時に、
「以前にクアラルンプールに長期滞在していたころの話ですが・・・」
と話し出したら、車内はザワザワと。
「えっ?、ずっと添乗員さんではなかったんですか」
といった質問もあった気がする。業界のオキテとしては、自分の「前科」を明かしたり、初めての添乗であることを言ってはならないことになっている。お客さまに不安を与えるからだそうだ。

 私としては、お客さまに不安を与えさえしなければ、何を語ろうがよかろうと思う。しかし、私はこの業界では超ベテランに見えてもピッカピカの一年生。まずは、業界のオキテに従ってきた。

 クアラルンプールに米国企業の幹部候補社員としてのトレーニングで滞在していたころ、現地法人の社員と会合の約束をし、彼らが私が滞在するホテルへ来ることになっていた。ところが、時間になっても彼らは来ない。腹を立てて自室で事務処理をしていたら、2時間くらいたってから彼らが来たと、フロントから連絡があった。

 彼らに詰問したら、
「遅くしてもいいと神のお告げがあった」
というのだ。私は、唖然として声も出なかったが、彼らの文化はそうなんだと自分に納得させるしかなかった。
これを、面白可笑しく語って聞かせたのだが、おばちゃま達にはウケなかったのだ。

6. 黒人差別の問題

もうひとつ思い当たることがある。

 われわれが乗っていたバスのドライバーは背の高い黒人だった。制服、制帽を着用し、万事に自信をもって対応していた。自分の仕事に誇りを持っていることがわかる。日本で言えば、国際線のパイロットのような風貌であった。
 直線の道はともかく、舗装もされていない狭い道に入ったときでも、微妙なハンドルさばきで対向車とうまく切り抜けていく。乗客がオーとか、ワァとか言って、その都度感心したものだ。
 ドライバーを褒めた後、私は、自分自身の体験から黒人差別の問題に触れた。

7. 立食パーティーにて

 米国企業の日本法人に勤めていたころの話。日本の企業の生産性を視察したいと、本社から中間管理職が80人ほど来日した。ホテルオークラ東京での立食パーティの時だ。5、6人の彼らの中で私ひとりが日本人で、彼らからいろいろな質問を受けていた。

 ある白人が、
「マサート、あんたはもし黒人があんたの家庭を訪問する、といってきたらアクセプト(受け入れる)するかね」
と、聞いてきた。私は、基本的にはOKだが、そのときはどう答えるべきか、一瞬のうちに勘ピューターが働き、
「もちろん、どうしてかね」
と切り返した。すると彼は、それに答えることなく、無視するように踵を返してその場を去った。

すると、他のひとりが、
「マサート、あいつはタカ派なんだよ。アメリカ人全員がそう考えている訳ではないんだ」
とその場を繕った。 しかし、その言葉にも何か取って付けたようなギクシャク感が残った。

8. ヨハネスブルクのレストランにて

 もうひとつ。南アフリカのヨハネスブルグのレストランにて。
私は、どこか新しい国へ行くときには、「1、2、3、4」を10までと、「ありがとう」、「ごめんなさい」を現地語で覚えていく。

 現地の企業の社員、シャーリー(オランダ系白人)は、私ほどの背丈で大人っぽい美人、おまけに性格が日本人のようにマイルドなので、私は気に入っていた。

 いつも私の横にいてくれて、レストランでは現地語(アフリカーンス)のメニューを一つ一つ英語で説明してくれたり、とても親切にしてくれていた。
 黒人のウェイトレスがオーダーを取りに来た。彼女がテキパキと現地語で注文した。私は彼女がテーブルを去るときに、
「バイアダンキ(ありがとう)」
と現地語で彼女にいった。彼女は一瞬戸惑ったようだが、微笑みを返してくれた。

 すると突然にもシャーリーが、
「マサート、あなたは彼女と話してはいけません!」
と、厳しい顔で私を諭すようにいったのだ。

 街中でも、貧しそうな子供たちが寄ってくると、彼女は邪険な言葉でその子らを散らした。
 私は、心臓がバクつくほど仰天した。
 シャーリーが別人のように思えた。

 ネルソン・マンデラがまだ獄中にいるころの、アパルトヘイト体験であった。

9. ベネトンの広告

 さらにもうひとつ。人種差別撤廃に関するベネトンの雑誌広告についてバスの中で客に話した。全身への血管を切り取った生の心臓が二つ写っている写真広告だ。ヘッドコピーには、確か「黒人と白人の心臓です、違いがわかりますか」というようなものだった。

 私の海外添乗のときのバスの中での話のなかには、このような話題がいくつも出てくる。別に原稿にして持っているわけではない。そのとき、そのとき、場にふさわしいネタが思い浮かんだ時に、それを話すのだ。

 たぶん、こうした非日常的な話題、しかも、そうした話題には、これまでも、また、今後も関係ないようなおばちゃんには、
「小難しいことを得意になって」
と思ったのであろう。

 しかし、そんなおばちゃんが引っ張り出してきた旦那衆は、一様にそういう珍しい話を身を乗り出して聞いてくれ評価してくれるのだ。
「新津さんて、いろいろなご経験があるんですねぇ。物知りですねぇ」
 若い女性添乗員の決まりきったようなネタ話は、海外旅行リピーターの彼らは何の新鮮さもないのだ。み~んな、ガイドブックに書いてあるそうだ。

 そして旅行後のアンケートには、添乗員評価のところで、おばちゃんたちは1に丸をつけ、「下らない話をした」、とか、「偉ぶっている」、とか書き付けるのだ。

 これをまた、実情もよく聞かない旅行代理店の窓口社員は私に苦情をいう。私が噛んで含んで説明したところで、彼らは、「ああ、そうだったんですか」、とは言わない。

 私も、こんなところで彼らを相手に論争をするつもりはサラサラなかった。下手にやり合って事務所の評価が下がって社長他、同僚の添乗員の皆さまに迷惑がかかってはいけないと思い、平身低頭して詫びた。そんな連中に自分がどう評価されようと、私には何の関係もないことだった。

10. 身障者を労わって最低評価

 日本のような先進国では、身障者用のインフラ整備が整い、身障者も介助者がいれば快適な旅ができるようになった。しかし、団体旅行となると、添乗員や全国通訳案内士としては、対応として他の健常者たちとのバランスをどのように取るかに苦心する。

 これもアフリカのモロッコへ行ったときのことだ。旅行後のアンケートである婦人が、

「添乗員は、特定の人とばかり話をしながら歩くので、グループ全体の隊列が縦に長く伸び、移動に時間がかかり、皆さまに迷惑が掛かった」
と書き、私の評価は5段階中最低の1だった。

  帰国後、旅行代理店に呼び出され、その理由を詰問された。

 事実はこうである。参加者中のあるご婦人が、実は軽度の歩行障害者であった。身障者手帳を持っていた。旅行代理店窓口で旅の申し込みをするときには、身障者であるか否かは問われなかったし、自分も皆さんと一緒に歩いて行けると思ったそうだ。

 しかし実際には、旅先で15分や20分くらい歩くことはよくある。本人には、そんなに苦痛ではないが、歩行速度が遅いので、他の旅行者から次第に離れ、ちょっとした時間には、200メートルや300メートルくらいは離れてしまう。

 こういう時、添乗員はどのようにしたらいいのか。私の場合、こんな事例は研修を受けなかったので、自分で考えて、先頭を現地の日本語を話すガイドに任せる。行き先、経路は打ち合わせておく。私は、その身障者に寄り添い、無理のない程度に急がせる。本人も自分のハンディを承知しているので、一生懸命歩く。私は、現地ガイドを前の遠くの方にいつも目視確認しながら歩く。

 添乗員の重要な役割のひとつは、迷子を出さないということと、積み残し(業界用語、バス移動で何人かをうっかり残して出発すること)をしないことだ。迷子や行方不明は、大部分はお客さまの不注意なのだが、よくあることだ。しかし、結果的には、添乗員のグループ・コントロールが良くない、ということで結論付けられる。

 そんなことがないように、その身障者に寄り添って歩いた。マラケシュのような煩雑で雑多なマーケットでは、迷子が出たら探しようがない。

 このような説明で、旅行代理店の物憂げな女性社員は納得したが、私のアンケートの評価点は改善されないままだ。この評価点は一年の半期ごとの集計で、次の半期の日当に影響する。

「これから気を付けてください」
おバカな彼女は、最後にそう私にいった。

 「おい、こら! 何をどのように気を付けるのだ」
そこを言ってくれなければ、気をつけようがない。私は、同様のケースでは同じことをするまでだ。つまり、その旅行代理店におけるこの問題は、永遠に解決できないのだ。
これまで、このような事例はその旅行代理店になかったのか?その窓口女性の上司は、彼女が添乗員に出すアドバイスについてどのような指示を出しているのかね。

また、旅行代理店が海外旅行者を募集するときには、旅行者の身体状況などや海外現地での長距離歩行などについては十分説明しておくべきであろう。添乗員に責任をおっかぶせるのは筋違いというものだ。業界のレベルの低さを感じる。

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※本記事は、著者が執筆した電子書籍『添乗員はつらいよ』【写真】を加筆・再構成したものです。
実際のツアー現場で起きた出来事や、その後の展開については、電子書籍でより詳しく紹介しています。

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