第三章 まり子。小説『艶やかな群像』更年期を超えてもなお瑞々しい枯れない女性たちの物語。

小説
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更年期を超えても瑞々しい女性のお話

子育てを終えた中高年女性の多くは、旅行や趣味、友との交流など、新たな生きがいを求めて活動範囲を広げます。一方で、肉体的・精神的な不調を抱えることも少なくありません。更年期後の小太り、動悸などの成人病の予兆に加え、尿漏れや子宮降下といった身体的な不安や、原因不明の「不定愁訴」に悩まされ、心身ともに満たされない状態に置かれています。

夫婦の「仲良し」の自然消滅

また、この世代の夫婦関係においては、更年期障害を機に夫婦間の性的な関係(仲良し)が途絶えていることが多く、人間の三大本能の一つが欠落した不自然な状態にあります。これにより、夫婦のいずれかが「落とし穴」に足を取られ、人知れず苦悩するという状況も生じます。未婚や離婚した女性も同様に「仲良し」の状態がないため、身体の未使用部位の劣化という同じ課題を抱えています。

閉経後の「仲良し」がもたらす恩恵

対照的に、更年期を夫婦で乗り越えられたカップルは、避妊の心配がなくなり、質的に異なる新たな「仲良し」を楽しんでいます。この適度な運動量が骨盤内の血流を良好に保ち、肩こり、腰痛、不眠などの解消、さらには肌のハリと艶、動作の機敏さ**につながり、中高年になっても溌剌とした状態を維持しています。

物語のテーマ

本作は、このような背景から、性的な関係が途絶えていた中高年女性たちが新たな機会を得て再び「仲良し」の環境を見つけ、心身ともに満たされていく様を描いた、艶やかな5人の物語です。

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第三章 まり子

一 ニセ東大卒

「あれ、また、だんだん嵩(かさ)がましてきましたよ」
 まり子は指と掌で弄っていた林太郎を今度は口に含んだ。その甘美な痺れに林太郎が思わず腰を突き上げた。まり子は急に突かれて苦しくなり、いったん吐き出した。そして再びそれを咥えこんだ。

 まり子は東京郊外の都営住宅に最近当たった。引っ越しを終え、まり子では手に負えなくなって介護施設に入れた九十歳代の母と別れ、ようやくひとり暮らしが始まったところだった。林太郎はまり子の新居の「お披露目」に一人で呼ばれていたのだった。

 林太郎は人材銀行の斡旋で、小さなフランチャイズ・システムをいくつか運営する従業員六十人ほどの新興企業へ、ナンバーツーとして一年ほど前に転職してきた。

 社長の奥田は、大学受験に失敗したあと福島から上京し、数々の職を転々とした。そのうちのひとつが、東京・新宿のバー、クラブなどの清掃事業であった。自分で企画した事業で、仲間と二人でその地区一帯のバー、クラブへドアツードアの営業を掛けた。午前中から午後の開店時間前までに受注した店舗の清掃を終わるのだ。

 これがうまく当たり、売上も伸びてきた。人手を増やし、事務所を開き、専用の大型清掃用品もそろえていった。本当かどうか疑わしい話だったが、本人は東京大学を受験したが失敗したことを売りにしていた。

 つまりある酒場で、どうでもいいような男が、
「社長、社長」
と呼ばれていた。
「そうだ、社長と呼ばれるには、別に大卒でなくてもいいんだ」
と思った。しかし高卒のままではイマイチなところがある。そこで考え着いたのが「東大受験失敗」という肩書であった。

 東大卒とはいかないが、東大受験失敗でも「東大」のネームバリューは効くところでは効くであろうという発想であった。自分の自叙伝として、東大受験失敗を織り込んだ漫画物語を、若い漫画家に作らせた。小冊子にして新規営業に使った。

 奥田は、このバー、クラブの清掃事業に勢いを得、ビルの外壁清掃や家庭用浴室の改良、それに自動車の小さな傷の修理などの事業をフランチャイズ・システムとして展開している米国の複数の企業と個別に提携し、そのフランチャイズ事業者を国内で募集していた。

 営業の基本は、ペイド・パブリシティであった。これは自分の会社のフランチャイズ・システムを業界紙誌で記事風にまとめ、展開する有料広告である。

 この記事風広告を読んで応募してきた(反響してきた)事業希望者に、電話で営業をかける「反響営業」であった。

 奥田は短絡的な激情タイプであった。従業員を有無を言わせない上意下達で統率していた。しかし、統率とは名ばかりで、怒鳴ったり叱ったり、パイプ椅子を投げつける、あるいは壁などを蹴ったりして社員を恫喝するかのようにして君臨していた。

 このため毎月ひとり二人と退社する者が後を絶たなかった。その分、中途採用業務も多忙であった。経理帳簿も完全な二重帳簿で脱税をしており、社内の経理担当とは別個に、出社しない経理担当が実際の経理を任されていた。

 担当役員としては、財務、営業、および総務の三人がいた。いずれも人材銀行から実務経験のある人材を紹介してもらっていた。しかし、新任の財務担当役員は財務・経理のいい加減さに気が付くや、その責任が自分におよぶことを恐れ、早々に退社してしまうのが常であった。

二 ミーハー英語 

 そんなところに、社内事情は十分知らないまま人材銀行から営業担当役員として紹介されてきたのが岩倉林太郎であった。奥田より10歳ほど年上でナンバーツーの地位であった。入社以来、日ごとにその会社の実情を理解してきた林太郎は、中小企業として未熟な幾多の問題点を抱える同社の改善点を、それこそ毎日のように奥田社長へ提案していった。

 それまで、奥田社長に意見を具申する者などはおらず、例え具申しても罵声とともに却下されるのが常であった。

 成功した中小企業の具体的な経営ノウハウを知らない奥田は、それでも、大方は神妙に林太郎の提案に納得し、採用していった。それを見ていた社員たちは、いままでに来たことのない人材が来たと、林太郎の一挙手一投足に注目し、期待をするようになった。

 林太郎に多くを期待するようになった奥田は、林太郎の力量を買い、社員の前には自分ではなく林太郎を立たせ、自分の意思を林太郎を通して社員に伝えるようになった。毎朝の朝礼の内容や仕切りも林太郎に任せるようになった。

 社員との融和と称して、社内の部署ごとの社長との飲み会があった。しかし融和どころか、参加した社員はいつ雷が落ちるかも知れず、気持ちよく酔って心情を吐露するようなことはなかった。奥田は、その飲み会も林太郎に任せた。

 奥田は、林太郎に社内中のすべてのロッカー内の、契約書を含むあらゆる書類を、彼の許可なく閲覧することを許可し、非がある場合は改善提案をするよう依頼した。

 奥田の会社は、いくつかの輸入フランチャイズ・システムを運営している。普通、大手のフランチャイズ・システム企業は一業種しか運営していないが、奥田の会社は規模は小さいながら複数のフランチャイズ・システムを運営していたのだ。

 ということは、米国の複数のフランチャイズ・システム本部との英文レターや契約書もあるはずで、林太郎はとりあえず英文書類をチェックしてみた。奥田の会社には英語ができる明美という社員が一人いた。米国西海岸の学校を卒業し、現地企業で数ヵ月、事務のアルバイトをしたことがあるということだった。一見、そうかもしれないという雰囲気を漂わせている可愛いルックスの三十路の女性だった。

 しかし、英文のファイルを一見して、林太郎はファイルを床へ落としそうになった。契約書の類は、先方が用意したものに奥田が署名したのであろう、英文としてはしっかりしたものであった。林太郎はそれまでに数々の英文契約書を自分で起草したり、その実行に関わってきた。もちろん起草案はネイティブにチェックしてもらっていた。

 驚いたのは、日常的なコレポンの類であった。コレポンとはコレスポンデンスの略で、海外の取引先と電話や電子メールでやり取りをすることや、その文章そのものを指す。

 ファイルによれば、奥田の会社の正式なコレポンの書き出しは、
「ハ~イ、チャールズ」のように先方の社長のファーストネームから始まる。
本文はビジネスレターの体をなしておらず、教養も格式もない完全なミーハー英語であった。
 文末には、奥田と明美のフルネームが印字されており、それぞれの署名があった。夫婦もしくは事実婚の二人であっても、ビジネスではこのような文末にはしない。

 奥田の会社は、米国のフランチャイズ・システム本部の各社から、完全に見下げられているに違いない。林太郎はその旨、奥田に報告をした。

 奥田は目をひん剝かんばかりに驚愕して林太郎に反論した。
「彼女、英語、話せるんだよ」
「彼女、向こうの学校出ているんだよ」
「それに現地企業で働いていたし」
「履歴書にそう書いてある」

「履歴書をどのように書こうと本人の勝手ですが、そのエビデンスがあるんですか?」
「彼女の英語の力は、誰が判定したんですか?」

 奥田は、米国出張の折は現地の通訳を使うので、実際には明美の英会話を聞いたことはないのかもしれない。入社の時に英語を話させても、それを理解し評価できる人は奥田の会社にはいなかった。

 英語が話せない人の決定的な落とし穴は、日本人には英語が話せる人とそうでない人がいて、話せる人はビジネス会話もコレポンもできると勘違いしている点である。

 これは大変な間違いで、たとえ英検一級の資格を持っていても、それがそのまま国際ビジネスの場で使えるかといったら、現場はそんなに甘くない。

 林太郎はかつて外資系企業の人事部長をしていたことがある。新卒者や中途採用者の面接の折、履歴書に英検一級とかTOEIC(*)何点、とか書いてあるとき、それではと、英語で質問を投げかけると、ほとんどの面接者はしどろもどろであった。

   (*) TOEICは、Test of English for International Communicationの略で、英語によるコミュニケーションとビジネス能力を検定するための試験のこと。

 事ほど左様に、明美の場合もハワイでの買い物や通関時の英会話くらいは何とかなるであろうが、ビジネスレベルまではいっていないということだ。

 奥田に呼び出された明美は、林太郎の指摘を彼から聞いたようだ。憤慨して鼻の穴をひくひくさせながら林太郎のブースへ飛び込んできた。自尊心を大いに傷つけられたに違いなかった。

 明美は自分の英語について自信のほどを語って聞かせてくれたが、林太郎には興味のない話であった。明美は次の日から会社へ来なかった。

 社内ではそれまで、明美は英語ができる、ということでどの社員も一目も二目も置いていた。それが林太郎の入社で馬脚を見せしめられてしまったものだから、今度は林太郎の株が一挙に上がった。

 こうして多くの社員が林太郎の人となりを知るところとなり、彼の席を訪れては、社風が改善された、と喜んだ。退社する社員もいなくなった。林太郎の年になったら林太郎のようになりたいという課長クラスの青年もいた。

三 母親のような「大奥」

 伏見まり子は、奥田の会社の経理と総務を任されていた。社内では最高齢者で林太郎より五歳年上で六十歳はゆうに超えていた。奥田社長は四十代である。まり子は会社ができてすぐに採用され十年は経った。

 細身で長身、そして他の社員とはちょっと違った歳相応の凛としたものを感じさせていた。ほとんどの社員が二十代、三十代というなかで、礼節や備品の貸し出しの記帳にも厳しく、若い社員は彼女への対応に神経を尖らせていた。

 まり子は所用で林太郎のブースへくると、積年のストレスを吐き出し林太郎の社内改善案に同意を示すのであった。まり子の奥田に対する批判は痛烈であった。自分は表帳簿を任されているが、裏帳簿担当者が社外にいることは百も承知で、ときどきは税務署用の「口裏合わせ」を奥田を入れた三人が、社外の気の利いた和食屋ですることもあるという。そのちょっと豪華な食事が言ってみれば口止め料の心算(つもり)か、とまり子は憤慨していた。

 奥田は、さすがに社員の女性に手を出すようなことはないらしいが、社外に親しいオンナが何人かいる、経理を任され領収書の整理をしているまり子はそれを十分に承知していた。奥田は、新宿の著名ホテルの領収書をまり子へよく回してきた。奥田がオンナとホテルに泊まった翌日は、背広やネクタイが前日と同じなのですぐにわかると、まり子はいった。
「みんな見え見えなのに、あの小僧、可愛いよ」
まり子は小声で毒づいた。

 また、まり子は社内の男女関係に明るかった。まり子は若手社員からは怖い「大奥」であったが、彼女らへの面倒見もよく、母親のような相談相手でもあったから、社内の裏の人事情報も集まった。

 まり子によると奥田が最も信頼しているのは吉村というアラフォーの独身男性であった。
 彼は一流といわれる国立大学を卒業しており、なぜ奥田の会社のようなところで燻っているのか林太郎には理解できなかった。しかし、彼は林太郎の入社後、いち早く彼に近寄ってきた。

 アフターファイブには二人でよく居酒屋へ行き、文学や思想、学生運動などに花を咲かせた。吉村は気骨もあり、よく勉強していた。林太郎の知らない評論家や作家なども話題に上げた。林太郎の意見に対してもよく反論してきた。林太郎は彼を可愛がった。吉村も林太郎を慕った。

 まり子に聞いて呆れたのは、この吉村が社内の女性に手を付けているとのことであった。そのようなことは林太郎と吉村の話題には上らなかったが、まり子の話では少なくとも四人は吉村と関係していた。林太郎の秘書もそのうちのひとりだという。吉村には女性を騙そうとかいう意識はないらしいが、話しぶりに説得力があるから、飲んだその足でそのようなことになるらしい。

 林太郎は入社してまもなく、たまたま、まり子と同じ時間に会社のビルを出ることになった。新宿駅までの道々、会社の「不正の塊」をまり子はずっと吐き続けた。彼女は老いた実母と原宿に住んでおり、原宿駅の近くに美味い焼き鳥屋があるので行かないか、という誘いを林太郎は受けた。まり子は林太郎が入社してきたころから好感を持って彼を見てきた。いままで、どの社員も言いたかったが言えないようなことを林太郎が社長に相次いで直言するので、まり子は胸中で快哉を叫んでいたのだという。

 まり子がしばしば行く店らしく、店主はまり子と親し気な会話を交わしていた。まり子は東京の出身で、教員をしていたのだという。夫は水道工事職人であった。十年ほど一緒に生活したが子どもはできず、そのうちに夫が浮気したので「叩き出してやった」そうだ。以来、孤閨を託(かこ)って来ているようだった。

 まり子は最初のうちは、かっちりとした敬語で話しかけてきていたが、林太郎はどうもそういうのには馴染みにくい。カジュアルに話そうということで、以後、二人の会話は多岐に及んで弾んだ。

『源氏物語』や瀬戸内寂聴の著作などに話が及んでも、二人の話は勢いを増すばかりであった。まり子はどこぞの良家の出のような印象を受けたが、彼女は自分の出自については自ら語らず、林太郎もそんなことはどうでもよかった。まり子は林太郎の知性と人の良さに惹かれていった。

 次にまり子と時を過ごしたのは、まり子に誘われた休日の早い夕方であった。JR原宿駅の地下鉄へ下りる階段の最初の踊り場が彼女が指定した待ち合わせ場所であった。「地上はお子ちゃまが多くて混むからね」と、まり子はいった。和服を上手に着ていた。

 同じ焼き鳥屋でいいかと、まり子は訊ねてきた。この前は予約なしだったので、彼女としては満足できる席ではなかったので、今度は自分の一番好きな席を店主に予約したという。

 まり子との酒席が二回目ともなると、林太郎も緊張感もなく、何か姉と飲食をするような安堵感があった。林太郎には姉はいなかった。まり子は飲食中、汁がネクタイに飛んだとか、膝に食べ物が落ちたのとか、いろいろと林太郎の世話を焼くのだった。他愛のない話題で酒杯は進んでいった。まり子は話題の合間に、じっと林太郎を見つめるようなことがあったが、彼はそれにほぼ気が付かなかった。

「歳は重ねても、私も生身の身体だから・・・」

 どのような具合にその言葉が、ふっと湧き上がるように林太郎の前に出てきたのかは、今となっては記憶の糸を手繰れない。しかし、林太郎にとってみれば、還暦を超えたまり子からそのような言の葉が出てこようとは夢想だにしなかった。酒場で他の言葉は霞んでいても、そこだけは明確に聞き取れた。女の性が凄みをもって出ていた。静かにドスが利いたその言葉は、林太郎の身を一瞬引き締めた。

 これは、まり子が膳を据えてくれたのだろうか?

 まり子は、還暦を超えた自分の身体を、自分より若い男の前に晒そうという行為が、含羞以外の何物でもないことは誰よりもよく承知している。何十年も孤閨を託ってきている。そんなことを言ったら林太郎とどういうコトの進展になるかは、若い娘ではあるまいし、十分承知している。林太郎がまり子の意を理解できれば、の話だが、林太郎にはその言葉の意味が十分すぎるほど分かっていた。

 しかし世間では、還暦どころか閉経を過ぎた女性には、例え自分が生身であるが故の性欲を感じていても、そのようなことはしないというのが社会的通念となっている。しかしまり子の中では、長い孤閨の中にあっても、いつかはもう一度というオンナの埋火は絶えなかった。歳をとったせいか、ときどき起こる体調の不調も、それを急かせた。

 まり子は埋火を抱えていたとはいえ、世のオトコがカネを払って欲望処理をするようなことは出来なかった。そういう組織の存在も知らなかった。

 離婚後これまでに、何人か、惹かれる男性に出会った。食事をしたりドライブもした。唇に触れたり身体を弄ってくる男もいた。しかし、いずれも帯に短し襷に長しであった。

 林太郎が目の前に現れたとき、まだ話す機会はなかったが、ひょっとしたら、乱暴な言い方だが此奴(こやつ)が「白馬の王子様」かもしれないと、まり子は直感した。お互いに歳を喰っているきらいはあるが・・・。

 まり子は林太郎とたった二回の飲食をしただけであったが、林太郎の見極めにそれ以上の時間は必要なかった。心をしっかり掴まれてしまったまり子は、言うだけのことは言ってみようと思った。まり子は、林太郎は彼女の意を汲むことができると踏んだのだった。

 林太郎はまり子の言葉を受けて、頭の中はコンピューターのようにゼロイチ、ゼロイチで素早く回転し、すべての可能性と不可能性を瞬間的に探りだした。林太郎のコンピューターがはじき出した結論はともかく、林太郎はまり子と情を交わしたいという気持ちに唆(そそ)られた。まり子の成熟した幽玄なセクシーさが林太郎を捉えた。

 還暦を超えた女性と肉体的な快楽をスポーツのように求める気にはならないが、お互いに裸になってからは、もっとお互いの深淵が理解できるような気がした。自分より年上なのに、あるいは、それだからかもしれないが、自分から男の前に老いた身を投げ出そうとしたまり子を、林太郎は愛おしく思った。二人は静かに店を出た。まり子が仕掛けた水の輪は、林太郎のこころを飲み込んでいった。

四 還暦を過ぎてもなお現役

 店を出た二人はタクシーを拾って近くの千駄ヶ谷へ向かった。当時の千駄ヶ谷には、趣向を凝らした小さな和風旅館がいくつかあった。まだ現役の人気歌手も、若かりし頃、そういう旅館で自らの命を絶とうとして、当時、芸能雀が喧(かまびす)しかった。

 旅館の部屋では、まり子は若い娘と違って、そうすることが当然であるかのように、手際よく湯舟へ湯を張り林太郎に勧めた。頃合いをみて「背中を流すから」といって胸にタオルを巻いたまり子が入ってきた。白い湯気のなかに、老いた色香が力強く気を放っていた。林太郎は息を飲んだ。

 身体の経年変化を恥ずかしがるまり子を制して、林太郎はまり子のタオルをとった。まり子はいっとき小さな声を上げたが、後は自分の身体を隠すこともなく、時の流れに任せて林太郎の身体に泡を立てた。「ここも洗いますね」といっては、林太郎のものも丁寧に泡を絡ませるのだった。

 まり子にはいくばくかの羞恥はあるのだろうが、結婚生活の経験もあるし、年の功もあって林太郎を淡々と洗い進めていく。林太郎もまり子の柔らかくなった乳房や微かな繁みに手を這わせていった。すでに盛りを過ぎたとはいえ、まり子の乳房は林太郎の掌の中で小さな量感を残していた。林太郎は次第に愉楽の中に浮いていった。

 まり子はこの時に備えて、何日も前から準備をしていた。埋火を抱える生身の身体とはいえ、何十年も空閨だったのに、いきなり、かつてのように縦横無尽に仲良くできると思ってはいない。まり子の身体には長い休戦期間があったのだ。

 まり子は書店の立ち読みで、長い間使わなかった自分を再使用する場合の注意点を学んだ。入浴時には刺激の少ない専用洗剤で洗い、入浴後には保湿クリームで入り口や内部をマッサージする。小さな唇を手でつまんで左右や上下に目いっぱい引っ張るようなこともした。血行促進の効果がある。これを一週間ほど続けた。当日は、風呂から上がった時に、林太郎に気付かれないように膣内に潤滑ゼリーを塗った。

 林太郎は、いちおう念のために、心臓病や呼吸器系の持病の有無をまり子に確認した。二人とも齢(よわい)を重ねているので、気が早やってコトにおよび、予期もしない身体異常が発生することは避ける必要がある。男の腹上死はたまに聞くが、女にそれがないとは言い切れない。林太郎は年上のまり子の身体に配慮した。

 林太郎は自分より五つも年上、しかも還暦を過ぎた女性と交接したことはない。どうしたものかと思案したが、案ずるより産むが易しというかコトは順調に進んだようだった。というのは、事後、林太郎は不覚にも眠りに落ちてしまったようだ。普通なら、事後の悦楽の霧の中に漂っている相手を優しく撫でてあげたり、その周辺もきれいにしてあげるのだが、この時ばかりは母のようなまり子に甘える気持ちがあったのか、自分一人、さっさと寝入ってしまった。

 気が付いたらまり子が枕元で、
「鼾をかいていたよ」
と静かに笑った。
「でもまだ、できるよ、ほら」
とニヤッと笑った。まり子は催促気味に林太郎を掴んでゆっくり上下に動かし、それを口にまた咥えた。竹林の中に住むという妖怪な老婆をさえ連想させた。

 まり子は林太郎と、若い子のようにその日に何回も楽しんだ。嵐のような狂騒的情事の後にまり子は、自分ではいうことが利かなくなった四肢を、布団の上にしどけなく投げ出したままであった。まり子は何十年も味わったことのない安寧感の中を漂っていた。いや、このような感じは初めての経験だと思った。

 林太郎は還暦を過ぎた老女が、事後に精根尽き果てて前後不覚に羞恥心もなく裸体をしどけなく放擲しているのを見るのは初めてであった。豊満性も弾力性もないその肉体には、微かな明かりの中で神々しささえ放っていた。

 離婚した夫は、職人で体格も大きく交接もおおざっぱで激しいだけだった。まり子には初めての男であった。まり子は交接はそういうものだと思った。それはそれで事後の肉体的疲労感は気持ちよかったが、いまこうして林太郎と交わった後のような精神的な愉楽はなかった。林太郎と会えて、恥ずかしながら老体を晒すことになったが、身体を交えることができて本当に良かったとまり子は思うのだった。この歳にして初めて男女の情の深さに目覚めた。

 このようにして二人の関係は親密の度を増していった。週末はまり子の郊外の都営住宅で過ごすのが習慣となった。まり子の部屋へ着くと、いつも風呂が沸いていた。いまのようなプラスチックのユニットバスではなく、木製の縦に深い湯舟であった。

 林太郎が部屋に着くと、まり子は酒肴の支度などをするので、風呂には一緒に入れないが、湯上りには林太郎が仁王立ちしていれば、まり子は隅々まで拭いてくれるのだった。

 最後にまり子は林太郎を口に含んでくれた。食事前の忙(せわ)しいひと時だが、ふたりはこのひと時に溺れるのが好きであった。まり子は部屋ではいつも和服姿だったが、それが浴衣であれ冬物であれ、下履きはいつも履いていなかった。

 まり子が着物の尻を端折って風呂場に入り、林太郎のためにあれこれと世話を焼くとき、たびたび垣間見える内腿の透き通るような白さと微かに黒い繁みに、林太郎は息を飲むのであった。林太郎が裾から手を忍び込ませると、まり子はもう十分な状態になっていた。林太郎の手を優しく押し、おでこをコンと叩くと台所へ帰るのであった。

 ふたりの仲良しの時間は、ゆっくりと流れていった。他の人が聞いたら「そんなことも?」と思うような、お互いに若い時にしてきたことを懐かしむように楽しむ。昔のような激しい動きではなく、ゆっくりゆっくりと悦楽の波に揺られた。

「こんなに出たよ」
と、まり子はかいがいしくも事後の始末をしてくれるのだが、避妊の心配のない交接は初老のふたりに快楽だけを与えてくれた。

五 知っていた?静脈瘤破裂 

 林太郎は奥田の会社に一年半ほどいたが、些細なことで言葉を荒げた奥田に、それまでのいろいろな「事件」も合わせて嫌気がさし、さっさと退社してしまった。若い吉村が奥田との間に入り、熱心に慰留してくれたが、奥田の仁義のない商売のやり方を、林太郎は許せなかったのだ。

 まり子と林太郎は、会社で毎日顔を合わせることが出来なくなった。あった日に次に会う日を決めていた。まだ、携帯電話などは無かったころだ。

 二人は暮に、
「これが今年の仕事納めだよ」
と、まり子に言われて仲良くしたのがクリスマスイブであった。

 林太郎は、明けた正月に独り住まいの自宅で年賀状を一枚一枚、相手の顔を思い出しながら眺めていた。まり子から、毎年ある年賀状はなかった。

 年賀状をひと通り見た後、林太郎は急な仕事で松の内から海外へ出た。まり子と連絡が取れないのが気がかりであった。

 海外出張から帰国したのは、小正月を一、二日過ぎたころだった。ポストに溜まっていたDMやらチラシなどの中に一枚の葉書を見つけた。簡単な文面だったが、衝撃的な内容で俄かに信じられなかった。

「せっかくお年賀状をいただきましたが、娘・まり子は昨年十二月二十六日、静脈瘤破裂で旅立ちました。六十六歳でした。生前のご厚誼を心から感謝申し上げます」

 まり子の母からの便りであった。確か施設に入っているので、誰か別の親族か施設の関係者がまり子宛に受けた年賀状をもとに発信したのであろう。

 まり子はその症状の予兆を自覚できていたのだろうか。予兆を感じる中で林太郎に生身の女の最期を賭けたのかもしれなかった。

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