日本最大の湿原で、ラムサール条約により国際的に保護されている釧路湿原に、メガソーラー(大規模太陽光発電設備)の建設が大阪の事業者により始まった。自然保護団体などからこうした乱開発による野生生物への影響や景観を損なうことなどを懸念する声が上がり、北海道は2025年9月2日、この工事中止を勧告した。事業者は工事を一時中断したが2025年11月には工事を再開するとのこと。
事業者は合法的なら、何をしてもいいのか! 関連する役所は、なぜここまで工事を黙認していたのか!
このようにいったん乱開発された自然は、もはや元に戻すことは極めて難しい。当該事業者は、法の目をかいくぐって「合法的に」この環境破壊ともいえる乱開発を実施している。
違法でなければ何をしてもいいのか。Yes, you can do it. そう、それはできる。しかし、倫理的に、ラムサール条約で保護されている湿原を、自社の私利私欲のために乱開発し、日本の国土から貴重な湿原を削除してしまっていいのか!But, you shouldn’t to do it.(それはしてはいけない)のだ。
表紙画像出典:HBC北海道放送
【contents】
1. 基本的問題
釧路湿原は、釧路市、釧路町、鶴居村、および標茶町の1市、2町、1村にまたがる。この地域にメガソーラーのソーラー・パネルが設置されるのは、本件が最初ではない。自然環境を破壊するという点で、初めてなのだ。
日本では古来より、自然には「八百万の神」が宿り、これを敬う生活をしてきた。その自然を、たとえ合法的にせよ、無暗に破壊していいのか。
すでにその周りの畑地や耕作放棄地には、見渡す限りソーラーパネルが設置されている。その多くは外国資本(中国系?)によるものだという。
釧路湿原にメガソーラーのが集中するのは、日照時間が長い、土地が安くて平ら、および送電網まで近い、などの利点があるからだ。
筆者はここでメガソーラーの建設そのものを否定してはいない。その建設場所の選定に慎重になれと警告しているのだ。さて、なぜこんなことが起きるのか? 2つの基本的問題点を挙げる。
1-1. なぜ自然景観破壊を平気でするのか?
そもそも論で行けば、なぜこのような貴重な地域に、自社の利益のために自然環境の乱開発ともいえる本工事を敢行することにしたのか?地域選択が非常識極まりない。
この事業者は、この工事が合法的に行われていることを主張している。自然保護に関するしかるべき調査もし、それを役所へ報告したし、経費もすでにかなりつぎ込んでいるので、中止はできないという。2025年11月に工事は再開すると公言している。しかし、工事の申請はしたが、役所の許可は得られていないようだ。どの報道でもこの件については報じられていないようだ。
1-2. なぜ役所は、工事管理ができないのか?
もう一つの重要な問題点は、当該の役所には本工事の管理が、まるでできていない。工事では、関係地域の植物を根こそぎ排除し、ラムサール条約に保護されている湿地帯は見るも無残な状態になっている。

合法的とはいえ、自然環境の破壊は明々白々である。役所は、これを黙認していたのか!
役所は、事業者から工事申請を受理した。工事開始を許可していないのに、工事がこんなに進んでしまったのを知らなかったのか!
事業者も狡賢いが、関係役人はそれにも増して魯鈍である。役人がしっかりしていればこんなことは起こらなかったかもしれない。
ラムサール条約とは、水鳥の生息地としてだけでなく、広く生態系にとって重要な湿地を保全し、賢明な利用(ワイズユース)を促進することを目的とした国際条約。1971年にイランのラムサールという都市で採択されたことにちなみ、この名前で呼ばれている。日本は1980年に加入しており、国内の湿地を国際的に重要な湿地として登録し、保全に取り組んでいる。
日本のラムサール条約登録湿地の数は2025年7月時点で54か所。釧路湿原は日本での登録第1号(1980年)。最新登録場所は福島県の猪苗代湖で、2025年7月15日に登録された。
2. メガソーラーの課題
メガソーラー建設に関しては、本件のみならず、すでに全国で何か所から課題が噴出している。
阿蘇では、阿蘇山の斜面にソーラーパネルが敷きこまれ、阿蘇山の美観はおおいに損なわれている。

草原だった地に広がるソーラーパネル(2024年12月、熊本県山都町で)出典:長野浩一氏撮影
奈良では、古墳の周りをソーラーパネルで埋め尽くされ、歴史的価値すら損なわれている。

出典:HBC(北海道放送)

福島県の安達太良山に建設されたソーラーパネルは、太陽光を反射し、住民やドライバーから苦情が出ている。出典:河北新報
2-1. 自然環境の破壊
メガソーラーは、立地的に平地、広い山地などに建設される。そこは普通、動植物の豊かな生息地であるが、これが破壊される。発電事業終了に伴う、敷地の再生は極めて難しい。
2-2. 美観の損ない
メガソーラーの建設地は、地形的に観光地、もしくは観光地への至近距離にある。メガソーラーの建設により観光的美観は著しく損なわれ、観光収入は低減する。
2-3. 自然災害の発生
ソーラーパネルを敷設するために、多くの樹木や草木が伐採される。すると土地に保水力が無くなるので、土砂災害が発生し、下流の集落は大被害を被る。
2-4. 廃棄ソーラーパネルの処分
ソーラーパネルの寿命は、30~40年とみられている。その構造、成分などから分解処分が難しく、そのまま地中へ埋設するようだ。これはとんでもないことになる。地中は、廃棄パネルがザクザクとなるのだ。
しかも、廃棄費用の負担は、現行の電化製品や家電などと横並びに比較すると、メーカーなのか、発電事業者なのか特定しがたく、現在、未定である。

出典:山美商店株式会社
3. メガソーラーの発展的展開
ここまでくると、メガソーラーは「悪者」でしかないが、地域によっては、メガソーラーの将来的モデルが見えてくる。
3-1. ソーラーシェアリング
千葉県の匝瑳(そうさ)市では、ソーラーシェアリング(営農型太陽光発電)に将来を見ている。これは、農地に支柱を立て、太陽光発電設備を設置し、太陽光を農業生産と発電とで共有する取り組み。作物の販売収入に加え、発電した電力を自家利用することで農業経営の改善を図る新たな営農スタイルとして注目されている。

出典:毎日新聞
発電用パネルは、ベタに設置しないで、間を開け、下の作物に太陽光が当たるようにする。作物は、四六時中太陽に照らされるより、この方が生育が良いという。【写真出典】千葉県匝瑳市ホームページ

また、耕作放棄地も支柱を立ててパネルを設置すれば新たな収入源になる。環境破壊や美観喪失にもならない。
4. 他人への礼節 Yes, you can, but you should not.
自分がクルマを運転している。信号のない交差点へ差し掛かる。すると対向車で右折しようとウィンカーを点滅してこちらへ向かってくるクルマを視認する。
両車の交差点までの距離やスピード、優先順位は直進する当方にある、などを瞬時に判断しながら交差点に近づく。と、どうだろう。対向車は急に右折し、当方の直前を左へ抜けていった。当方は急ブレーキを踏み、事なきを得た。

出典:JAF MATE
クルマを運転していると、こんなことはよくある。スーパーマーケットの駐車場などではメドラ(女性ドライバー)や老人ドライバー、はては運転に自信を持っている兄ぃ達が、勝手気ままにクルマを運転している。
私は、こういう時にはいつも「Yes, You can, but you shouldn’t」と思う。「そりゃあできるよ、でも、そうやっちゃあいけない」ということだ。技術的にはできるかもしれないが、相手への礼節を考えたら、相手を優先させるべき、ということだ。
クルマの運転の時のみならず、街中でも、同様なことはしょっちゅうある。
若い兄ぃや女性たちは、向こうからスマホを弄りながら歩いてきて、私の前を突然、左右どちらかへ横切る。そりゃあ、物理的にはぶつからない(Yes, You can to it)。しかし、ぶつかるのを回避するために私は、クルマの急ブレーキのように突然立ち止まらなければならない。相手は、私のことなどにかまわずに人波に消えていく。これは、まったく知らない他人に対して無礼である。世が世なら腰のものを抜くところだ。
このように人の前を急に横切ったりすることは、相手に対して失礼なことであり、してはならない礼節なのだ(You shouldn’t do it.)。
本件も、法の目をかいくぐるようなことは誰でもできるが(Yes, You can to it)、それはしてはいけない倫理なのだ(You shouldn’t do it.)。
5.自然への畏敬の念
われわれ日本人は、太古より神道という生活基盤の中で生きてきた。自然界の万物に宿るという「八百万の神」を信じ、自然界に畏怖の念を持ち、大事にしてきた。

すべてのものに神が宿るという「八百万の神」の世界。
自然界の草木を無暗にむしってはいけないし、「一寸の虫にも五分の魂」といって小さな虫の命をも大事にするようにしてきた。それが日本人なのだ。
近年、公の社会生活の効率化のために、スーパー林道などを建設するにあたっては「自然破壊」を最も危惧してきたし、そこに住む鳥獣や植物の生命を大事にしてきた。とくに絶滅危惧種などの保存・延命にはいろいろと配慮してきた。
そのような自然界から、われわれは衣食住の恵みを享受している。どこへ行っても、山や海、森林、滝などに手を合わせ、自らの幸せを祈るのは日本人の習性である。日本人は自然とともに生き、自然を畏怖している。
そんなことには思いも及ばず、守銭奴のごとく、自社の儲けのために、自然糞くらえとばかりに乱開発をするとは! 当該事業者に幸あれ、と祈るばかりだ。