日本人は綺麗好き

Tokyo confidential

本稿はMasaato Blog の「Japanese people love to be clean.」の日本語訳です。

私は来日する外国人に英語で観光ガイドをしている日本の政府観光局公認のガイドです。東京を中心に活動していますが、お客様のご要望により、京都や奈良、その他日本のいろいろな観光地もご案内しています。

私は日本に生まれて日本で生活している日本人です。したがって自分たちの生活は特別な生活ではなく、ごく普通の生活をしていると思っています。しかし、外国からおいでになった外国人の目からすると、日本の都市や街、村、道路、そして公共広場や電車、新幹線などが非常に清潔である、きれいだ、という意見をよく聞きます。なぜ、そうなのか、とも尋ねられます。

私たちにしてみれば、そのようなことは極めて当たり前なことです。ここでは、訪日外国人観光客の方のそのほかの似たようなご質問について、日本人の目からどうしてそうなのかということを解説します。そして訪日外国人観光客の方に日本をよりいっそうご理解していただきたいと思います。

「日本では道にゴミが落ちていない。信じられません!」

確かに、私が外国の街を歩いた時のことを振り返ってみると、ゴミがあちこちに散らかっています。日本の道路にはゴミがほとんど落ちていません。

30年ほど前までは、街頭や鉄道の駅、大型商業施設にゴミ箱がありました。しかし、その頃、左翼による公共スペースに設置されているゴミ箱の爆破事件が相次いだので、ゴミ箱は撤去されました。

その後、外出時にゴミが出ると、私たちはそれを自宅や自分が勤めている会社まで持ち帰り処分するようになりました。

私が観光ガイドをしているときに、ある外国人観光客が、飲み物のペットボトルを捨てたいが、どこへ捨てたら良いかと聞いてきました。使用済のペットボトルは飲料の自動販売機の近くにあるペットボトルなどのゴミ箱へ捨てるか、ホテル、自宅などまで持ち帰り廃棄します。途中で運よくゴミ箱に出会えばそこへ捨てることができます。それまでは持ち歩きます。これは日本人にとっては極めて当たり前のことです。

日本人は「いかに無駄なゴミを出さないか」を幼い頃から家庭や学校で教育されます。菓子やガム、たばこの包み紙なども「ゴミ箱がないからその辺に投げてしまおう」なんて誰も思いません。近くにゴミ箱がなければホテル、自宅などまで持ち帰り廃棄します。

喫煙者は、外では喫煙が許可され灰皿がある場所以外では喫煙できません。会社事務所や商業施設、交通機関の施設では禁煙となっています。

外出の時には、細かなゴミを一時的に入れておくビニールの小袋を持って歩きます。

日本人は、ゴミを街中に捨てる人は良くない人と思っており、自分は他人からそのように見られたくないのでゴミは街中に捨てません。

「日本のホテルのトイレは素晴らしい。一般家庭でもそうなのですか?」

 洗浄温水便座(通称:ウォッシュレット)が日本で初めて発売されたのは1980年のことです。最初は、ボタンを押すとお湯が出て洗浄できるだけでした。

今では、日本全国の家庭での普及率は80.3%(2021年)となりました。都会の会社事務所やホテル、大型商業施設にはすべて採用されています。

便器に近づくと便器の蓋が自動的に上る機種もあります。終わると自動的に流され、蓋も自動的に締まります。

お湯の温度や強さは加減できます。温風で乾燥できる機種もあります。   

むかし、この洗浄温水便座(通称:ウォッシュレット)のテレビCMはこんなふうでした。手の甲に赤い絵の具をつけます。これをきれいにするには、ティッシュペーパーで拭きますか、それともお湯で洗いますか?結果は明らかですね。

また日本人は、トイレを使用後、そこに臭いを残すことを極力嫌います。次の人に嫌な思いをさせたくないという日本人特有の感性です。このように日本人はいつも、周りの人や次の人に迷惑が親ばないように配慮する習慣が身についています。どのトイレにも消臭剤や芳香剤のスプレーがおいてあります。ドラッグストアに行けば、たくさんの種類の消臭剤やいろいろな花の香りの芳香剤を売っています。

「日本人はいつもよく、静かに列を作って待ちますね」

日本人はいつでも、物事を整然と考え、行動する習性があります。

電車の切符を買うときはもちろん、人気のあるラーメン店やスイーツ店、それに人気のあるイベントでは、列を作って待つのが普通です。お店の従業員やイベントの担当者が列を作って待機するように指導することもあります。列が長くなるときには、後から来た人にわかりやすいように「ここが最後」と書いたプラカードを準備しています。横入りする人は、他の人から大変嫌われます。日本人は、いつも他人に嫌われることはしないように心がけているので、横入りはしません。

朝、ラッシュアワーの大混雑の時、電車の乗降は、降りる人が最優先、乗る人は降りる人が全て降りてから乗車します。次の電車に乗る人たちは所定の位置に順番に列を作り電車を待ちます。そうする方が電車への乗降が効率よくできるからです。

私がいつだったか、観光ガイドの途中で、大阪の地下鉄の駅員と話していた時のことです。きれいに着飾った若い女性が突然、私と駅員の間に割り込んできて何か質問をし始めました。日本人の私からすれば、その女性はとんでもなく無礼な人です。私は、その女性に、私の後ろに列を作って並んでいる人の一番最後に並ぶように、英語で強く言いました。その女性は中国人でした。中国人は列などは作らないことは、テレビの番組などでよく知っていました。このような中国人の態度は、美術館の切符売り場などでもよく見られ、日本人に大変嫌われています。

「郷に入っては郷に従え」という諺があります。自分の国ではどのようにするかはともかく、日本へ来たら日本人がしているようにしてほしいものです。

どのような催し物会場や混雑している駅などでは、列を作って待った方が、事務や作業が効率的に進み、全体が上手くいくことを日本人はよく理解しています。

「日本には、壁に落書きを見かけませんね」

日本人は一般的に、屋外の壁に落書きはしません。もちろん、する人もいますが極一部の人です。

大きなビルの工事現場などでは、現場囲いの壁には、工事主がきれいな森の写真などを掲出し、人々の目を和めます。

近くの小学校の生徒が描いた絵などをたくさん掲出することもあります。

いずれにしても、街をきれいに保ちたいという気持ちは、日本人の誰もが持っています。

「日本では、パトカーをあまり見かけませんね」

 外国を旅すると1日に何台ものパトカーがサイレンをけたたましく鳴らして街中を疾走するのを見かけます。それに比べると日本ではあまりパトカーを見かけません。

NUMBEOの最近のデータによれば、世界142ヵ国の犯罪指数はVenezuela が82.6でトップ、日本は23.1で135位となっています。つまり、世界的には犯罪率が少なく住みやすい国と言う訳です。深夜に女性が街中を一人歩きできるほど安全なのです。

また、2012年のWHOの調査による10万人当たりの殺人件数は、194ヵ国中日本は193番目で、0.4件です。1番目名はホンジュラスで103.9件となっています。このように犯罪が少ない国なのでパトカーを見かける機会が少ないのです。

しかし、何事にも油断は禁物です。日本を旅行中の犯罪防止には注意を払いすぎることはありません。

「京都のお寺などでは、いちいち靴を脱ぐので驚きました」

日本の住宅では、玄関で靴を脱ぎ、室内は靴下、または裸足で生活するのが普通です。洋式の建物でも同じですが、室内用のスリッパを使うこともあります。住宅が伝統的な和式建物であれ、新式の洋式建物であれ、入り口で靴を脱ぐのは当たり前です。日本人は家屋内をいつも清潔に保っています。

私が訪日外国人から聞いたところでは、日本の住宅の玄関にはスノコ(floor grates)やフロアマットがあって、どこで靴を脱いでいいのかわかりにくいそうです。基本的には、玄関においてあるものの上に靴のまま乗ってはいけません。靴の底より高いところには、靴を脱いでから歩いてください。

日本の伝統的な和式建物では、床には畳が敷かれています。畳には直に、あるいは座布団を使って座り、くつろいだり、お茶を飲んだり食事をしたりします。横になって寛ぐこともあります。幼児が這い回ることもあります。夜になれば、畳の上に布団を敷いて寝ます。したがって、家庭内の床はどこでもベッドの上のように、いつも清潔なのです。靴は玄関で必ず脱がなくてはいけません。

日本の伝統的な和式建物でも、新しい洋式の建物でも、トイレにはトイレ専用のスリッパがあります。そのスリッパはトイレだけで使います。室内まで履いてきてはいけません。

このように、日本の伝統的な和式建物、新しい洋式の建物でもそうですが、室内は非常に清潔に保たれています。ですから、外でどこか汚れたところを歩いてきた靴を脱がないで室内へ入ることなどは、日本人にとってはとんでもないことなのです。

観光地にある寺社でも同じで、室内は非常に清潔に保たれていますから、面倒でも靴を脱いで室内へ入ることになります。

会社事務所は、現在では完全に洋式になっていますので、自分の事務所でもお客様の事務所でも靴を脱ぐようなことはありません。

小学校、中学校、および高等学校では、校舎に入るときには、外履きの靴を脱ぎ、室内専用の靴に履き替えます。室内は毎日、生徒たちが清掃するので清潔です。

「日本人は全員、ハンカチとティッシュペーパーを持っているのですか」

私の観光ガイドとしての経験を話します。ヨーロッパからの観光客10人くらいを東京の明治神宮へ案内しました。参拝前に手水舎で手を清め、口を漱ぎました。濡れた手や口のまわりは、日本人はハンカチで拭きます。ごく自然な動作です。しかし、彼らは濡れた手を振って水滴を飛ばし、あとは髪やジーンズで拭いていました。

その後、他のグループや家族客(すべて欧米豪からのお客さんです)を案内しましたが、ほとんどの観光客はハンカチを持っていなかったのです。なぜ、持っていないのでしょう。トイレに行ったときにはどうするのでしょう。

 日本人は幼稚園のころから、外出時にはハンカチと携帯用ティッシュペーパーを持って出るのは当たり前です。外出時に母親がチェックします。

 日本人は老若男女誰でもハンカチと携帯用ティッシュペーパー持っています。当然のことながら、毎朝、新しいものを持って出ます。もし忘れた場合には、コンビニや駅の売店ですぐに買います。    

前の日に使ったハンカチなどは持ってでません。外国人の中には、ハンカチで洟をかみ、そのハンカチをポケットに入れて歩くそうですが、清潔な日本人には信じられないことです。日本人は洟をかむときにはティッシュペーパーを使います。そのティッシュペーパーは二度と使いません。

日本人の家庭用ゴミ処理の合理的な知恵

訪日外国人観光客は以下のことに驚いていました。

朝、商店街の店員たちは、開業前に自分たちの商店の前をきれいに掃きます。商店のドアやショウ―ウインドーもきれいに拭き掃除をします。アパートやマンションの管理人や家主たちも同じです。

小さな会社の社員も、会社の始業前に社内や社屋の外側をきれいに掃除します。終業の後にする会社もあります。

これは来店するお客さまに自社に良いイメージをもってもらいたいからです。商店でも会社でも、ただ商品が売れればよい、売り上げが伸びればよいということではなく、そのためにはお客さまに、自分の企業や商店に良いイメージを待ってもらうことが大事だと考えるからです。

もう一つの要因は自分たちの職場への敬意です。自分が働き世話になる職場に敬意を持っているのです。誰もが職場への共通の美化意識と敬意を持つことで職場がきれいに保たれるのです。

日本のほとんどのスーパーマーケットでは、店員が売り場に出てくるとき、また、売り場から去るときには、売り場に向かって礼をしていきます。これは自分の職場とお客さまへの敬意の表れです。

柔道や相撲、サッカー、マラソン、その他いろいろなスポーツの選手も、試合の後、競技場などに礼をしていきます。これは競技場への感謝の気持ちや敬意を表しています。

むかし、日本がまだのどかであった頃、家庭用のゴミはそんなに多くなかったです。野菜や残飯などの生ゴミは庭に埋めれば良かったです。可燃性のゴミは庭で焼却すれば良かったです。

しかし昨今のように、大量消費時代となり、食材や調味料が入っていた不要の瓶や缶が出、野菜や魚肉が入っていたプラスチック類包装材が出てくるようになりました。家庭ではこれらのゴミを処分できなくなりました。

そこで各地方自治体では家庭用のゴミを専用のトラックで回収し、しかるべき処分場へと搬送することになりました。しかし、一口にゴミと言ってもすべてをいっしょに焼却などできないので、ゴミの種類ごとに分類して回収しています。

例えば私の居住する自治体では、曜日ごとに収集するゴミを下記のように決めています。

  • 水曜日と土曜日⇒可燃ごみ(紙くず、残飯、生野菜ゴミ、その他)
  • 火曜日⇒ペットボトル、プラスチック、ビニールなど
  • 木曜日⇒古新聞、古雑誌、金曜日⇒古着、布関係

以上の回収は無料です。これらのゴミは、決められた場所(自宅から30m以内くらい)へ自分で持っていきます。回収が終わったら、その場所を住民が交代で清掃します。

これら生活のゴミとは別に、不要になった家具やテレビ、自転車などは、有料で回収してくれます。処理場へ自分で搬送すれば、その分安くなります。

自治体によっては、分別の種類を10種類以上に分けているところもあります。

高速道路のドライブインなどでも、捨てるごみはだいたい、燃えるゴミ、燃えないゴミ、缶類、ビン類の4種類に分けてゴミ箱を用意していますが、基本的にはゴミは自宅へ持ち帰るように推奨しています。

以上のように日本ではゴミ処理に関してさまざまに分別のルールがあります。小さな頃から常にこうしてゴミ分別の意識が浸透しています。「ポイ捨て」をしようとは誰も思いません。日本人は規則を正しく守る人種です。ゴミをやたらに捨てることは恥ずべき行為だと思っています。

日本では生徒が教室やトイレの掃除をする

日本の公立の小学校、中学校、および高等学校では、基本的に生徒自身が教室やトイレ、および校庭の清掃をします。その日の全授業が終わってから、生徒はあらかじめ決められている場所を清掃します。

清掃に当たっては、クラスの中から選任された清掃委員がいて、掃除の結果を、例えば5段階で評価します。評価の良くない清掃グループは、最高点をとるまで清掃をします。

これは自分たちが勉強するところは、自分たちで清潔に保つという日本人美意識と、その場所への敬意の表れです。

私立の学校では、外部の清掃業者に清掃を依頼しているところもあります。

地域イベントでの清潔意識

春の花見、夏の盆踊り、子供の野球大会、サッカー観戦など、いろいろな人々が一緒に楽しむイベントでは、日本人の美意識はいかんなく発揮されます。

イベントの終了後は、だれかれとなく落ちているゴミを拾い、決められた場所へ集めます。酔客の散らかして帰ったゴミも集めます。ゴミ拾いの後はきれいに掃き清めます。

使う場所は来た時よりも綺麗にして返すという美意識が、日本人個々には道徳心として身についています。

こうしたことは、一緒に来ていた子供たちも身をもって覚えていきます。

幕末に訪日した外国人の観察

幕末とは、徳川幕府(江戸時代)の末期をいう。一般的には1854年の日米和親条約締結による開国から、1871年の明治政府による廃藩置県までの期間。

幕末に来日した外国人は日本人は清潔な国民であることを以下のように指摘しています。

イギリス公使Sir Rutherford Alcock(1859年来日)

「一般に日本人は清潔な国民で、人目を恐れずに度々からだを洗う。風通しのよい家に住む。その家は広くて風通しの良い街路に面している。その街路には、不快なものや荷物を置くことを許されない。清潔ということにかけては、日本人は他の東洋民族より大いにまさっている。とくに中国人よりまさっている」

デンマークの海軍士官Edouard Suenson(1866年来日、フランス公使Léon Rocheの近辺で見聞した貴重な体験がある)

「日本人の清潔好きはヨーロッパ人よりはるかに優れている。家屋だけでなく、人物一般についてもいえる。仕事が終わってから公衆浴場に行かないと一日が終わらない。公衆浴場で何時間も湯を浴び、下着を洗っておしゃべりをする」 

ドイツ考古学者 Heinrich Schliemann(1865年来日)

「日本人が世界でいちばん清潔な国民であることは異論の余地がない。どんなに貧しい人でも、少なくとも日に一度は、町のいたるところにある公衆浴場に通っている」 

 日本人にとっては、外国人の習慣が、とても不潔だと感じていました。それはハンカチではなをかむことです。日本人はチリ紙を使います。Edouard Suensonは「西洋人は一日中不潔なハンカチをポケットに入れて持ち歩く。それが(日本人は)どうしてもわからぬというのである」と書いており、Schliemannも「日本人は、われわれが同じハンカチーフを何日も持ち歩いているのに、ぞっとしている」と書いています。

アメリカ総領事のTownsend Harris(1856年来日)

Harrisは静岡県下田に米国領事館を構えて居住しました。日本人は貧乏でも清潔だと述べています。

「世界のあらゆる国で貧乏にいつも付き物の不潔さというものが、少しも見られない。彼らの家屋は必要なだけの清潔さを備えている」

旅行家のIsabella Lucy Bird(1878年来日)

「日本の料理のやり方も清潔だ」と言っています。「貧民階級の衣類や母屋がどんなに汚くても、料理の仕方とその料理を供するやり方は極端に清潔だ」 

戦国時代に訪れた宣教師の観察

「日本人は清潔好きだ。建物、道具、衣服、食事、仕事をすべて清潔にし、清潔な場に来訪者を迎えるのが礼儀となっている。日本人にとって、不潔さは絶対に耐えがたいことである」 

 以上のような外国人の観察を見ると、清潔好きは、日本人のもって生まれた本能、感性ということがわかります。これは日本人の神道的感覚でもあります。

日本人は食後、テーブルの上を清潔にする

日本人の食事の後は清潔そのものです。食べ残しは一か所にまとめ、汚れたテーブルはきれいに拭きます。自分たちは食事をおいしくいただき、食器やテーブルはあまり汚しませんでした、という態度表明です。

自分たちは食器やテーブルを使って汚れたままにしない、使用前のように清潔にして食事を終了する。これは日本人の誇りです。

他人に迷惑をかけない、不快な思いをさせない、という気持ちは日本人はいつでも持っています。食事をするときには食事作法というのがありますが、その作法は基本的に同席者に不快な思いをさせないためです。箸の使い方にも厳しい作法があります。これらの作法は、単にマナーに留まらず、日本人的美学となっているのです。

「日本の川の水は透き通ってきれいで川の底が見えますね」

確かに日本の川の水は、何処で見ても透き通っていてきれいです。
しかしこれは、これまで説明してきたように、日本人が清潔好きだからではありません(笑)。

日本の川の水が透明に近いのには、次の理由が考えられます。

それは日本の国土の70%は森で、木が多いことです。

木々の生える森は、豊な土壌で覆われています。その土壌には微生物がたくさんすみついています。これらの微生物は降った雨や汚れた水を浄化してくれる作用があります。

空から降った雨は、木々を通って土壌に染み込み、土に積もった落ち葉を通過し、微生物が分解した土壌を通過し、地下に届きます。

地下の岩の間を流れるなかで水はさらにきれいになります。

さらに川の汚れは、自然の中で流れていくうちに川の中の生き物(バクテリア・ハミーバなどの目に見えないような小さな微生物)などによって分解されてきれいになっていきます。 これを自浄作用と言います。

このように日本の川の水は、豊かな森林を潜り抜けて来ていることが原因できれいになっており、透明に近い色に見えるのです。

日本人の清潔好きの根源は「武士道」と「神道」

以上、訪日外国人観光客が驚く日本人の清潔さについて説明してきました。外国人にとっては驚きかもしれませんが、私たち日本人にとっては、身の回りを清潔に保つことは特別の努力をしているわけではなく、自然に湧き出る所作と言えます。

  日本の教育者であり思想家であった新渡戸稲造(1862-1933)は「武士道」(Bushido, The soule of Japan)という英語の書籍を書いています(1899)。これは日本人の道徳観の核心となっている「武士道」の精神について解説しています。その中で武士の「恥」について説明しています。

それによると武士の「恥」とは、自分の社会的な立場や役割、そして家名に対して、期待されるべき行動や態度を守らなかった場合に生じる、自己の内面における屈辱感や不名誉感のことだと説明しています。

現代の日本人がゴミを街へ捨てたりしないのは、このような「武士道」における恥の精神が受け継がれているからです。ゴミを街へ捨てたり、自分が使ったものを汚れたままにしておくことは「恥」であり「不名誉」なことなのです。

また、日本の宗教である神道の観点から、日本人の清潔好きを次のように説明できます。

神道は日本人の生活様式、価値観の総体が宗教になったものです。したがって教義も、戒律も、善悪の基準さえもありません。重要なことは清らかさです。清めると、そこから不思議な力が生まれる。つまり、清潔さに神聖さと力を感じるということ、これが日本人の持っている感性であり感覚であり価値観です。

この「清め」の文化は物や場所、人々の心を清めることで、神聖さや美しさを増すと信じられている文化です。

具体的には、神社や寺院を訪れた際に、手水舎で手や口を清めたりします。また、新年やお盆などの特別な日には、家や墓地を掃除して清める風習もあります。

さらに、心の浄化を目的として、禅寺での座禅や、茶道のような瞑想的な活動も「清め」の文化として重要視されています。

このように、日本人は日常生活において、自然や神聖なものに対して敬意を払い、清めることで身体や心を浄化することが大切だと考えています。

このような神道的な美意識が日本人全体の精神的背景にあることが、日常の清潔好きとなって表れていると思われます。

以上の「武士道」的、および「神道」的背景が、日本人がいろいろな局面で清潔を心がけている要素だと言えるでしょう。

 

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