小説『艶やかな群像』第一章 絹子。更年期を超えてもなお瑞々しい枯れない女性たちの物語。

小説

第一章 絹 子 バツ2、19歳の息子は留学中。人材派遣会社社長。
第二章 智 子 未婚、剣道有段者、教員。
第三章 まり子 バツ1、62歳で10年年下の男性と懇意に。
第四章 ゆかり 夫の男色で家庭内離婚。街食堂経営。
第五章 あけみ 家庭内離婚。18歳の息子あり。

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更年期を超えても瑞々しい女性のお話

子育てを終えた中高年女性の多くは、旅行や趣味、友との交流など、新たな生きがいを求めて活動範囲を広げます。一方で、肉体的・精神的な不調を抱えることも少なくありません。更年期後の小太り、動悸などの成人病の予兆に加え、尿漏れや子宮降下といった身体的な不安や、原因不明の「不定愁訴」に悩まされ、心身ともに満たされない状態に置かれています。

夫婦の「仲良し」の自然消滅

また、この世代の夫婦関係においては、更年期障害を機に夫婦間の性的な関係(仲良し)が途絶えていることが多く、人間の三大本能の一つが欠落した不自然な状態にあります。これにより、夫婦のいずれかが「落とし穴」に足を取られ、人知れず苦悩するという状況も生じます。未婚や離婚した女性も同様に「仲良し」の状態がないため、身体の未使用部位の劣化という同じ課題を抱えています。

閉経後の「仲良し」がもたらす恩恵

対照的に、更年期を夫婦で乗り越えられたカップルは、避妊の心配がなくなり、質的に異なる新たな「仲良し」を楽しんでいます。この適度な運動量が骨盤内の血流を良好に保ち、肩こり、腰痛、不眠などの解消、さらには肌のハリと艶、動作の機敏さ**につながり、中高年になっても溌剌とした状態を維持しています。

物語のテーマ

本作は、このような背景から、性的な関係が途絶えていた中高年女性たちが新たな機会を得て再び「仲良し」の環境を見つけ、心身ともに満たされていく様を描いた、艶やかな5人の物語です。

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第一章 絹 子

一 手首に歯形

「あ、いててて! 痛い! 痛いよ、絹ちゃん」
 絹子はそれでも啓太の手首を噛み続けた。

「こらっ! 絹ちゃん! 離して、離してよ!」
 啓太は思わず、拳骨で絹子の頭を軽くコンコンと叩いた。

 周りにいたお店の子も、絹子を啓太から引き離しにかかった。絹子はようやく啓太から離れた。乱れた衣服の胸元やスカートの膝周りを素早く整えた。

 絹子はトロンとした真面目な顔つきで啓太を見つめた。
「ごめんね。痛かった?」
「あたしね、清原さん好きなの。ダメ?」

 ダメも何も。清原啓太は四辻絹子が噛み続けた手首を見た。小さく可愛い絹子の歯形が、赤くクッキリとついていた。出血はないが、ほぼ出血寸前である。

 お店の女の子が冷やした方がいいの、いや温めた方がいいのとおしぼりを取りに行った。馴染の客の席にいたママが心配して、ツツツっと草履を速めて啓太と絹子の席にきた。

「大丈夫だよ。別に仲違(たが)いしたわけじゃないから。この子がちょっと甘えただけだよ。お騒がせして申し訳ない」
 啓太は、そう言って場を繕った。
「あぁら、清原さん、ご馳走さま」
「でも、絹子ちゃんどうしたの」

 そのお店は絹子が馴染み客であった。ここへ来る前に二人で食事をしながら飲んで、その場を啓太が払ったので、
「では、次は私に払わせてね。歌も歌えるお店よ」
 そう言って乗り込んできたのが、赤坂にある小さなクラブであった。客席は三十席ほど.。マスターと呼ばれる男が、気が乗れば客の歌にギターを添えた。絹子は多分苦手なのであろう、歌など歌ったことはない。啓太は、気が乗れば演歌でもポップスでも、英語の歌でも何でも歌う。絹子はそれを知っていた。

二 若い女組長

 四辻絹子は二十代ながら自分の会社を株式法人でもち、人材派遣業を営んでいた。人材派遣業といっても、基本的には販促キャンペーン用のコンパニオンやパーティ用コンパニオン、それから啓太が関与するクルマのF1レースなどにレースクイーンとなる女性を派遣する仕事であった。

 絹子自身もかつてはレコード会社のキャンペーン・ガールであったこともあり、その経験を活かして会社を立ち上げたのであった。社員は経理や営業、登録女性をまとめるマネージャーなど数人ですべて女性、派遣される女性は登録制になっていて、六十人ほどが登録しているという。

 啓太はアメリカのタイヤ会社テイクミーホーム・ジャパンの広報部長で、広告宣伝と販促活動も彼の管掌であった。啓太が来る前の同社は、地味な広報と広告活動をしていたが、クルマのF1レースが日本でも毎年開催されることになったので、これに伴い広報活動にも力を入れていくことになった。

 これを機に日本での同社製品の市場占有率を上げるべく、米国本社では日本法人の米国人社長も替えた。その新社長との面接で招聘されることになったのが、PRのスペシャリストで広告制作などにも詳しい啓太であった。

 その頃、同社は世界十六都市で開催されていたクルマのF1レースに参戦する全チームにタイヤを供給していた。上位三チームには無料で、その他のチームには有料であった。テイクミーホーム・ジャパンとしては、F1レースが毎年日本でも開催されるという好機に、テイクミーホーム・タイヤの知名度や好感度を一気にあげ、売り上げにつなげたいところであった。その媒体として、F1レースと東京モーターショーは格好のPRイベントだったのである。

 当時の人気F1ドライバーといえば、ブラジル人のアイルトン・セナ、フランス人のアラン・プロスト、そしてイギリス人のナイジェル・マンセルらで、世界中のF1レースファンを魅了していた。

 F1レースの日本での開催地は三重県の鈴鹿サーキットであった。レースのプラクティス(予選)や決勝で、レーサーやタイヤフィッター(交換する人)、エンジニアなどが一週間ほど多数来日する。啓太はレーサーと国内外の報道関係者との記者会見や個別取材などを設定し、通訳もした。

 広報部長に就任して、さしあたりの賑わしとして、自動車タイヤの販売ターゲットにも人気のあるキャンペーン・ガールを起用することであった。啓太は自分の伝手(つて)で何社かに声をかけたが、もといた広告代理店の後輩が、
「女性だけの派遣会社がありますよ」
ということで紹介されたのが「四辻組」という会社であった。「〇〇組」などといえば何やらそちら系の会社かと思うような社名でもある。

 その会社に電話をしたが、社長は関西に出張中とのことであった。するとほどなく営業の何某(なにがし)とかの女性名でコールバックがあり、夕方になるが啓太のところへ来ていいか、とのことであった。

 夕方になって、啓太は自分の秘書に案内されて接客室へ行ってみると、女性がひとり立っていた。眦(まなじり)の澄んだ清々しい若い女性であった。着席を促した。

 名刺には、「四辻組 代表取締役社長 四辻絹子」とあった。

「お、組長さんですか」
と啓太は切り出した。
「はい、すいません」
と絹子は緊張しながらも笑みをたたえて返した。

 絹子は所用で朝から大阪へ行っていたが、自分の社から、テイクミーホーム社から引き合いの電話があったと聞き、即刻、東京へ引き返してきたのである。四辻組などと誰も知らないようなできたばかりの小さい会社に、日本支社とはいえ世界の一流企業からの引き合いとなれば、何が何でも訪問しなければならない、絹子はそう思って大阪から舞い戻ったのだ。

 たとえ話がまとまらなくても、名刺交換だけでも出来れば絹子としては御の字であった。絹子はビジネスの勘所を、本人が自覚しているか否かはともかく、心得ていたのである。

 啓太は絹子を一目見て、「これは磨けば使える女になる」と直感した。また「そばに置いておきたい」ような可愛さを見た。

三 子宮外妊娠 

 啓太のお目にかなった絹子は、テイクミーホーム・ジャパンとの仕事を始めることになった。四辻組は、時代の流れや絹子の才覚もあって年商を伸ばした。年末には、お得意先を招待して、そこそこのホテルでイヤーエンドパーティを毎年開催できるまでになっていた。啓太も毎回呼ばれた。一次会から二次会への移動は、絹子が自ら運転する彼女のベンツであった。

 ある年のイヤーエンドパーティで余興で行なわれた。五百円コイン争奪じゃんけん大会とビンゴ大会で、偶然にも両方のチャンピオンになった男がいた。五百円コイン争奪じゃんけん大会の賞金総額は一万五千円である。ビンゴの方の商品はカラーテレビであった。

「こんなこともあるんだね、バカみたいな男だね」
啓太はとなりにいる絹子に軽口を叩いた。
「そうですよねぇ、バカな男よねぇ」
と絹子が返した。

 このパーティの二次会に行く絹子の車内でのことであった。
「あのぅ、お話があるんですけど・・・」
「何?、結婚するんじゃないよね」
「ピンポ~ン。当たりです」
「ええ、ほんと? 誰? 私の知っている人? まさか、あのバカじゃないだろうねぇ」
啓太は出まかせを言った。
「ピンポ~ン。これも当たりです。清原さん、すっごぉい」

 啓太は仰天した。二次会では機会あるごとに彼を観察してみた。しかし「あのバカ」は啓太の勘では絹子の旦那は務まらないと思われた。絹子みたいなじゃじゃ馬をポッと出のような彼に御せるわけがない。目元や口の周りに締まりがなかった。

 絹子はきれいで可愛い娘である。いつぞや彼女が六本木で友だちを待っていたら、壮年のしっかりした身なりの男が寄ってきて、
「姉ちゃん、いくら?」
と言ってきたそうだ。絹子は最初、何の話だか見当もつかなかった。それがそういうことだとわかって、
「ふざけるな!」
って、言ってやったそうだ。気は弱いくせに鼻っ柱の強いところも彼女の魅力である。

 絹子は啓太に仲人を依頼してきた。それ自体は、大変名誉なことだ。しかし普通、仲人は新郎側で立てるものだ。勤務先の上司とかがそれを引き受ける。話を聞いてみると新郎側の上司には信頼できる人物はおらず、新郎なる彼も、なんと、どの上司にも信頼されていない、とのことであった。絹子がそんな男と結婚するとは。啓太には切歯扼腕の思いであった。絹子がこんな男に抱かれるのかと思うと気が気ではなかった。結婚式には主賓として招かれた。

 彼女らの新婚生活が始まって間もないころ、新郎から会社にいた啓太へ電話が入った。
「絹子とゴルフに行くそうですね」
 その頃、絹子と啓太は時折ゴルフに行っていた。絹子によれば彼女と啓太がゴルフに行くことは無条件で新郎は承諾することになっている、ということだった。結婚後も何回か行っている。

 彼女らに何かが起こって、逆上した新郎が中止を申し入れてきた。一瞬、そんな思いがよぎった。

 しかし、実情は違った。とんでもないことが起こっていた。新郎は狼狽(うろた)えていた。新郎は、渋谷の日赤病院から電話をかけてきていた。絹子は子宮外妊娠で、いま手術室に入ったところだという。
  
 啓太はすべてのデスクワークを中断して、後のことは秘書に指示を出し、渋谷・日赤へタクシーを飛ばした。

 病院では、新郎が落ち着かない様子で待合室で悄気ていた。

 手術自体は問題なく終わった。しかし、絹子には初婚で子宮外妊娠ということでかなりのトラウマが残ったはずだ。啓太は術後、毎日、彼女を見舞いにいった。絹子の心配そうな静かな目をみては、優しい言葉をかけたり、気分転換になるような話題も持ち出した。絹子も啓太に次に来るときに買ってきて欲しいものなどをねだった。重い病ではなく、術後は回復するだけの入院だった。啓太は絹子が日増しに回復しているのがわかった。

 絹子は啓太が見舞いに行くと、よく啓太の袖を掴んでは話をするのであった。いつも啓太の目を見て話をする。啓太は絹子が愛おしかった。あんなバカな旦那に抱かせるくらいなら、いっそのこと家族と離れて絹子と出直そうとも思った。

 当時、啓太と妻のこころは冷え切っていた。冷蔵庫にはキャベツが二つあるような生活だったのだ。一つは妻と息子用、もう一つは啓太用。啓太用は啓太が調理するのだった。しかし、ひとり息子のことを考えると、せめて息子が就職するまでは両親がいた方が良かろうと、離婚を決意するには至っていなかったのだった。

 絹子は最初にあった時から啓太に好意を抱いており、それは日増しに強くなっていくのが啓太にはわかった。しかし、絹子には啓太の夫婦仲は分からなかったが、啓太には家族があるし、啓太と自分では歳が十六も違うことなどから、啓太と結婚しようなどとは思いもつかなかった。優しくて頼りがいのあるお兄ちゃん、という感じであった。

 ある時、見舞いに行った帰りにエレベーターで二人になった。絹子は綿の薄いガウンをそっとめくって、
「すごいでしょ」
と、片方の乳房を啓太に見せた。ブラジャーはしていなかった。
 妊娠したためか予想以上に白い大きくな乳房が眩しかった。しっとりとした白い肌の下に青筋が網のように薄く透けて見えた。素手でそっと持ち上げてみた。ずっしりと重かった。二人ともセクシーな気持ちはなかった。何か育児用品を品定めするような感じであった。乳首が可愛かった。啓太は二本の指でそれを挟んだ。絹子が微笑んでその手を押さえた。
 エレベーターにまだ、防犯カメラなどはなかった。

 その後、絹子の新郎は焼き鳥屋になるといって、一年間、焼き鳥屋へ通い修行を始めた。これには絹子もあっけにとられた。啓太はやはり、旦那は絹子とはもともと不釣り合いだと再認識した。しかし、そんなことは絹子には言えなかった。言えば彼女が傷つくばかりなことはわかっていた。子宮外妊娠のこともあっては絹子夫婦は次第に間遠になり、子供はできないまま離婚した。

四 いくじなし 

 何年かして絹子は再婚した。相手はグラフィック・デザイナーであった。男の子ひとりに恵まれた。

 男の子が二、三歳のころ、絹子の希望もあって四人で食事をした。男の子は啓太にも抱かれたりもした。旦那は物静かな長髪の男であった。啓太には良くもなく、悪くもなさそうな感じの男であった。焼き鳥屋青年の次には、絹子はこんな男に抱かれるのかと啓太は思った。そういう光景を指を咥えて羨ましそうに見ている自分が惨めであった。

 絹子はその頃、再婚して子どもはできたものの、旦那の物憂い仕事ぶりにフラストレーションが溜まっていた。仕事もあまりなかったようだ。そういう旦那の仕事への取り組み方について、それまでにも何回か二人で話し合ってはみたものの、まるで暖簾に手押し状態で状況はいっこうに改善しなかった。

 啓太に会ってもらって旦那と少し話をしてもらえば、啓太から旦那に対する見方を聞けるかもしれないし、もしそれが自分の意見と合っているなら離婚しようと思っていた。こんな旦那では、子どもにも自分にも優しいだけで、何の足しにもならない、絹子はそう思っていた。その食事の晩、啓太の質問に旦那は歯切れよく答えられなかったし、啓太は絹子にはっきりとは言わなかったが、啓太が旦那を評価していないことは、啓太の性格をよく知る絹子には十分わかった。 

 その頃、啓太はテイクミーホーム社から他の企業へ転職しており、四辻組から女の子を派遣してもらうような仕事はしていなかった。絹子とも昔ほど頻繁に会うことはなくなっていた。

「別れちゃった」

 啓太が絹子と久しぶりに二人で夕食をともにした時、絹子が静かに漏らした。
「えっ! やっぱり」
と啓太は思った。しかし、それを口に出しては言わなかった。彼女が自分で選んだ再婚相手で、自分で別離を、たぶん幾多の苦悩の末に決めたに違いなかったからだ。

 啓太は、そういう状況にいる彼女に軽々に自分の率直な感想を言うのは、絹子の気持ちに何も配慮しない、雑な思考であると思った。旦那には仕事がほとんどなく、かといって家事を切り回してくれるでもなし、何事にも優柔不断であった、とのことであった。寝室は旦那が風邪をひいたので、別室に寝てもらって以来、そのままになっていたそうだ。

 啓太は絹子に深い憐憫の情を覚えた。自分なら絹子との間に満足のゆく素晴らしい関係を構築できると思っていた。それが、どうということのない男たちに絹子が自分の目の前で嬲(なぶ)られたように、失意の底に沈んでしまったいま、自分の不甲斐なさに忸怩たるものを感じていた。啓太は絹子を優しくハグしてあげたかった。

「私と結婚すればよかったかもな」
啓太がボソッと軽口を叩いた。
「私も、そう思ったわ。でも、幸せそうなご家庭があった」

 絹子はその軽口に真面目に答えてきた。啓太は一瞬、自分の不注意を恥じた。
「カミさんとはとっくの昔から砂漠状態だったが、子供の将来のこともあった」
「君にプロポーズしようにも、十六歳も離れていては、君の将来をつぶしかねないと思った。情熱より打算が勝ったんだね」
「・・・いくじなし・・・」
 絹子の潤んだ瞳があった。

「お宅は、まだ変わっていません?」
「あ、元カミが出ていって、息子が結婚して出ていったので、あの家では広すぎるので引っ越した」
「あら、どちらです? お送りしますから」
「あ、場所は昔とほとんど変わらないよ。近くの小さなマンションにした」

 昔もよく送ってもらったように、啓太は絹子のベンツの助手席に座った。
 
 そのクルマでは、二人はよくゴルフに行ったものだ。ゴルフ場では、一組になる他の二人と待ち合わせた。絹子は運転がていねいで上手だから、啓太はいつも助手席で寛いでいた。絹子が最初に結婚する、と知らされたのもそのクルマのなかであった。

 クルマが啓太のマンションの近くに来たとき、絹子は公園横の交通量の少ないところでクルマを止めた。
「清原さん、お家には誰もいないんでしょ?」
「ああ」
「だったら家に来て泊まりませんか」
「だって、近所の人の目もあるでしょうに」
「それは大丈夫」
「でも防犯カメラには写るだろ?」
「やだぁ、私たち別に悪いことをしようとしているんじゃないわよ」
「そうだけどさぁ」
「心配性ね。じゃ、こうしましょ。地下の駐車場に止めたら、私が先にひとりで部屋へ行く、後から清原さんがクルマのキーをロックして上がってくる。途中のドアロックは二つあるけど、部屋番号を押してくれれば、私が部屋から開けます。何かミステリードラマみたいね」

 絹子はかつてそのマンションに、最初の旦那、二番目の旦那と息子の三人で暮らしていた。いまは一人暮らしであった。息子はいま、アメリカの西海岸の大学に留学中とのことであった。啓太が訪問するのは、もちろん初めてであった。

「お先にシャワーしてくれますか?その間に私、息子のお部屋を片付けますから。息子のお部屋でお休みください」
「シャワー終わったら、ビールでも飲んでいてください。あ、あなたのお好きなスコッチもありますけど」

 その晩も、絹子は運転するので食事だけ食べ、アルコールは口にしていなかった。

 絹子のシャワーは、髪を乾かしていたのであろう小一時間もかかった。啓太は翌朝気がついたことだが、絹子はシャワーのあと、啓太の下着や靴下を洗ってくれていたのだ。

 シャワーを終えた絹子は、薄い部屋着に着替えていたが、成熟した女性の香りが部屋中に満ちた。薄物だけしか着ていない女性と二人だけになるというようなことは啓太は初めての経験であった。啓太が、絹子に最初に自分の会社で会った時は彼女はまだ二十代であった。少女の香りを残した絹子を愛おしく思い、ずっとそばに置いておきたいと思ったものだ。

 その後、情を交わしたいとは思ったが、歳の差や、彼女の将来などを思いやると、それもできなかった。それが、どうでもいいような二人の男に先を越されたようで、忸怩たる思いがずっとあった。

 それからふた昔も経ち、いまこうして絹子は薄着で啓太とひとつの部屋にいる。啓太にとっては、それはそれは長い道であった。シャワー上がりの絹子の一挙手一投足が、彼女の色香を拡散させた。絹子の胸元から彼女の動きにつれてときどき見える乳房が、啓太の衝動をより一層かきたてるのあった。むかし、絹子が子宮外妊娠で入院したとき、啓太はエレベーターのなかで彼女の乳房を下から支えたことがあった。いままたこうして、その乳房に再会できるとは夢想だにしなかった。 

 絹子はビールを気持ち良さそうに飲んだ。絹子は、昔から、ビールしか飲まなかった。
啓太はスコッチを舐めていた。
「ほんでね、ほんでね」
と絹子は口癖の接続詞を繰り返しては、そのたびに腿と尻で啓太の方へにじり寄っては最近の彼女の仕事の話などをしてくれた。絹子の太腿の成熟した弾力が啓太の心拍を高めた。啓太は、スコッチの酔いがさらに進みそうであった。

「ここの噛み後、まだあるよ、あ、もうないか」
 啓太は戯(おど)けて手首をみせた。あれからすでに二十年は経っている。

「あら、ちょっと見せて」
絹子は、啓太の手首をとり、噛み跡のあたりに軽く唇をつけた。そして、舌を這わせ優しく噛んだ。絹子の吐息が啓太の手首を包んだ。

「あれって、あの時、自分がどうして噛んだのか分からなくて。衝動的に噛んでしまったの。痛かったでしょ。私、あなたに絶対について行くって、他の誰にも渡さない。そんな気持ちだったかな、いま思えば。あれっ、いまでも同じ気持ちかな」
絹子は微笑んで、ビールを飲み干した。

「最初の旦那も、二番目の旦那も、いいと思ったんだけどね。少したつと、何か頼りないのよね。清原さんみたく、最初の頼もしいイメージがずうっと継続しないのね。馬脚が見えたといったら申し訳ないけど、安定感がなかったのよ。ま、それを見抜けない私に女の力がなかったのね」

 啓太は、少し飲み過ぎたのか、ベッドですぐ眠りに落ちた。夜中に腕の辺りに圧迫感があり目を覚ますと、そこには絹子が横になっていた。

「あ、起こしちゃった? ごめんなさい。目が覚めて眠れないし、何か、同じ屋根の下で別に寝るって、私たちの場合不自然じゃない? それは言い訳ね。寂しかったの」

 絹子は啓太に腕を絡め、片方の大腿を啓太の大腿の上に乗せてきた。絹子の秘部が直接啓太の大腿に触れた。絹子は下着をつけていなかった。

 啓太は絹子の中で緩やかな律動を楽しんでいた。すでに二人の男に先を越されたとはいえ、今こうして何のしがらみもなく絹子へ優しさを送れることに、啓太は長い年月の流れを感じていた。

 自分を絶えず追ってくる絹子の情熱的な唇を優しく受けてやった。絹子が吐く荒い吐息は啓太が堪えるのを難しくした。無防備に突き出されている乳房は啓太の律動に連れて蠱惑(こ迸り)的に揺れる。ときどき絹子のあぎとから漏れる短い喘ぎの度に腰が細かく痙攣し、その小波が白く柔らかい腹を幾重にも這っていった。啓太は桃源郷の中を歩いているようであった。

 とその時、啓太を咀嚼するように蠢いていた絹子のバギナの下をゴルフボールのようなものが啓太を押し上げるように下ってきた。啓太があれっと思う間もなくそれは、キュートな破裂音とともに絹子から出て啓太の睾丸を撥ね上げた。

 啓太は驚きの声を上げた。
「オッ、何だ、何だ、これは」
「あぁっ、いやん、いやん、何だかわかんないょ、ごめんね。ごめん」

 絹子は恥ずかしさで、自分の上の啓太を引き寄せきつく抱いた。啓太に搔きまわされて、快楽の中を狂騒していた絹子には、自分の放屁を制御できなかったのだ。

「誰にも言わないでね、ねっ、分かった。こんなことは初めてよ」
「ああ、言わないよ、二人の秘密だね。分かったよ。でも、あれが出てくるとき、こっちもとても気持ちいいよ」
「あら、そうなの。あとでちゃんと洗ってあげるから」
そう言いながら、絹子は啓太の睾丸を握り解すのであった。啓太は迸(ほとばし)りを懸命に堪えた。
 
 これが絹子と啓太の初めての交わりとなった。啓太には感慨深いものがあった。初めて会って、好感を持った時から二十年も過ぎていた。 

 こうして絹子と啓太の親しい関係が始まった。

 絹子は、息子はアメリカに在学中なので突然帰宅することはないと、啓太に部屋の鍵を渡した。啓太は絹子が早めに帰れるときには、先に部屋に行き、何品かの料理を作って彼女を待った。啓太は、離婚後ひとり生活で自炊しなければならなかったが、もともと山屋なので自炊は苦にはならなかった。テレビの料理番組で山料理とは違う、家庭料理の基本を学んだ。

五 このまま枯れないわ

 絹子は結婚はもういいといった。自分の会社はうまく回っているし、これから、どんな男かわからない男と一緒に暮らすのも面倒であると言う。

「本当に愛せるヒトに巡り合うって、難しいことね。上手くいっていないご主人と別寝室で同じ屋根の下に住んでいる女性って沢山いると思う。スーパーなんかへ行ってみても、そういう主婦って、そうねぇ、四分の一とか三分の一くらいはいると思うな」

 絹子も曲がりなりにも二度も結婚すると、相手を信頼していたか否かはともかく、それなりに女の悦びを覚えてしまっている。

「結婚はできなかったけど、あなたとこうなって、私、本当に良かったと思ってるの。離婚してからは、ひとりで自分を慰めるしかなかった。いやらしい女だと思ってもらってもいいけど。故事に、二十後家は立つが三十後家は立たぬ、と言うじゃない。こういうことって、生理が終わってからの方が気持ちいいということがよく分かったの。体調もいいし。よく分からないけど、女の身体ってそういうふうにできているのね」

「世の中、男がいて女がいて、こんなことして気持ちよくなって。これが人間である前の動物では当たり前なことだと思うよ」

「私、前の二人の旦那と比べるわけではないけれど、あなたとしていると、すっごく深いところに落ちていくように感じることがあるの。前にはなかったことよ。前はいつも意識ははっきりしていたけど、あなたとしていると何かストーンと落ちていってしまって、あ、やばい、やばい、と思っているうちに意識がなくなっちゃうのね。そしてあなたに、頬をチョンチョンと突かれたりして我に帰るの。そういう時ってありますよね。こういう事って、若い時には、私にはなかったな。若い時の方が激しい動きだから、そうなりそうだけれど、私は逆。いまの緩やかな動きの中でも、深ぁいところへ落ちていくの。やっぱり、年取ってからこういうことをすると、いろいろと良いことが分かるのね」
 絹子は珍しく雄弁に語った。

「それからね、『ええっ? もうそんなこと卒業しちゃったわよ』なんていう気の置けない同年輩の女友だちもいるけど、それって嘘っぽいよ。そういうことに興味を無くした旦那にわからないところで、ひとりで慰めていると思うよ。それが普通じゃん。あんなことを言うのは空威張りだわ。あるいはもう、本当に女ではなくなって枯れ木になってしまったのかなぁ」

「あのね、あなたとこうして会うようになってから、私、元気になっちゃった! 私、肩こりがあったのだけれど、ほぼ無くなっちゃったのね。それから、お化粧の乗りがとてもよくなったの。素肌も以前よりずっと張りが出てきたし。やっぱ、あれって、けっこう運動したりするから血行が良くなるんだと思うわ。全身のね。あのお注射、効くのね。あら、やぁだ、私、スケベね、ね、そう思ってるでしょ」
 事後の余韻の中に浮いていた啓太の腕の中で、絹子は啓太に優しく指を絡ませた。

 快感を求めて絹子は速く律動したり、ゆっくりと何かを探り当てるように動いたり、啓太といるときはいつも自由奔放だ。これは初めて会った時から変わらない。

「ねぇ、ねぇ、ひとりじゃできなかったんだけれど、ネットの動画で見たこと、していい?」
といっては、絹子は若い人がするような体位を試行することもある。それはそれで衰えの入口にある啓太を奮い立たせた。啓太はそんな無邪気な絹子を大事にしようと思った。

 交接により女性の体内では血行が促進され、ホルモンの分泌が促進されることは確認されているという。交接の途絶えた女性の骨盤内では、血流は滞り粘度がある。骨盤底筋は衰え、腸の活動が鈍くなり便秘がちになり、冷え性、腰痛、尿漏れ、それに肩こりといった症状が日常化するといわれている。  

 しかし、定期的な交接により女性は、骨盤内の血流は促進され、身体全体の新陳代謝も上がる。顔などの皮膚に張りが感じられ、乳房にも元気が感じられるようになる。

 啓太はそういったことを知人の産婦人科医に聞いたことがある。喜びに身体が翻弄された絹子が言うことが、あながち間違っているとも言えない。

 むかし、病院のエレベーターで触診のように触らせた貰った乳房は、いまは妊娠当時の量感はない。しかし、年齢なりに成熟した腰や肩のまろやかな肉付きに見合って、今の絹子の乳房はその中で安定感をもっていてきれいだ。

「ねえ、このブラ、可愛いでしょ、このキャミソールも」
 啓太の帰り支度の時に、乳房をブラジャーに上手に収めながら、絹子がそういって啓太に微笑んだ。もう少しセクシーに装着してほしいものだと啓太は思った。そうとは知らない絹子は、このような満たされた時間が、今後もずっと続くことを願っていた。

 啓太とこうなる前は、絹子は下着にそんなに気を遣わなかった。最近では啓太と会う時には何を着ていこうかと思案することが楽しいと思う。中年女性が、清潔だけが取り柄の綿の下着しか着ていないのは何とも淋しいことだと、啓太は絹子の話を聞いてそう思った。自分のために下着の選択に逡巡している絹子を愛おしいと思った。そうか、今度は下着を褒めてあげよう。

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