小説『艶やかな群像』第二章 智子。更年期を超えてもなお瑞々しい枯れない女性たちの物語。

小説

第一章 絹 子 バツ2、19歳の息子は留学中。人材派遣会社社長。
第二章 智 子 未婚、剣道有段者、教員。
第三章 まり子 バツ1、62歳で10年年下の男性と懇意に。
第四章 ゆかり 夫の男色で家庭内離婚。街食堂経営。
第五章 あけみ 家庭内離婚。18歳の息子あり。

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更年期を超えても瑞々しい女性のお話

子育てを終えた中高年女性の多くは、旅行や趣味、友との交流など、新たな生きがいを求めて活動範囲を広げます。一方で、肉体的・精神的な不調を抱えることも少なくありません。更年期後の小太り、動悸などの成人病の予兆に加え、尿漏れや子宮降下といった身体的な不安や、原因不明の「不定愁訴」に悩まされ、心身ともに満たされない状態に置かれています。

夫婦の「仲良し」の自然消滅

また、この世代の夫婦関係においては、更年期障害を機に夫婦間の性的な関係(仲良し)が途絶えていることが多く、人間の三大本能の一つが欠落した不自然な状態にあります。これにより、夫婦のいずれかが「落とし穴」に足を取られ、人知れず苦悩するという状況も生じます。未婚や離婚した女性も同様に「仲良し」の状態がないため、身体の未使用部位の劣化という同じ課題を抱えています。

閉経後の「仲良し」がもたらす恩恵

対照的に、更年期を夫婦で乗り越えられたカップルは、避妊の心配がなくなり、質的に異なる新たな「仲良し」を楽しんでいます。この適度な運動量が骨盤内の血流を良好に保ち、肩こり、腰痛、不眠などの解消、さらには肌のハリと艶、動作の機敏さ**につながり、中高年になっても溌剌とした状態を維持しています。

物語のテーマ

本作は、このような背景から、性的な関係が途絶えていた中高年女性たちが新たな機会を得て再び「仲良し」の環境を見つけ、心身ともに満たされていく様を描いた、艶やかな5人の物語です。

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第二章 智 子

一 アランフェス協奏曲

「コンサートのチケット二枚買っちゃいました。一緒に行っていただけませんか。モーツァルトですけど・・・」
 山階賢吾は智子と初めての二人きりの夕食デートの時、そう言われてクラシックコンサートのチケットを渡された。

 山階は智子と直接の知り合いではなかった。

 山階がよく行った東京・銀座のスナックのママに百合子という一人娘がいた。父親がいない百合子が進学だの就職だのと、もはやママが母親としてアドバイスができなくなるほど娘は知恵が回るようになったので、ママはその役割を山階に頼んだ。

 百合子は相談事があると山階に電話をし、もう何回も食事をしていた。百合子にとって山階は父親のような存在であった。智子は百合子と同じ会社に勤めていた。百合子が言い出した食事会で、智子は山階に紹介されたのであった。

 智子と百合子、そして山階の三人で初めての食事会をしてから十日ほどして、智子から山階にメールがあった。夕食を一緒にしたい、百合子を外してでも良いか、という内容であった。新宿駅西口の交番前で待ち合わせ、山階は智子を小洒落た和食屋へ案内した。初めてのことでもあるし、馴染の店で板前などが目の前にいない方が、都合がよかろうと思って、個室のような囲いがある店へ連れて行った。

 何か特別な話でもあるのかと、探りを入れるでもなく彼女の話を聞いていたが、とくにこれといった話題もなかった。
「山階さんって、英語話すんですって?」
「ああ」
「どこで勉強されたんですか? 留学されていたとか」
「そんなことはないよ。家は貧乏で、奨学金で大学へ行ったくらいだし、留学なんてとてもとても。しかも、英会話を本気で勉強し始めたのは三十六歳の時からだよ」
「えぇ?そうなんですか。じゃ、私はまだまだ時間がある」
「そんなことを考えているうちに、三十六歳なんかすぐきちゃうよ」
「英会話スクールへ行けばいいのかしら」
「そうだね、さしあたりね。しかし、よっぱど予習復習をしないと話せるようにはならないな」
「予習も復習もするんですか?」
「そうだよ。通っているだけでは話せるようにはならない。英会話学校の卒業生の九十パーセントは英語が話せないそうだ。英会話学校へ行くのがファッションなんだね」

 クラシック音楽のコンサートは東京・六本木のサントリーホールで行なわれた。実は山階はクラシック音楽のコンサートに行くのは初めてであった。

 山階の音楽履歴はお粗末で、高校時代までは歌謡曲ぐらいしか聞かなかった。しかも、とくに好きな歌手がいるわけではなく、したがってレコードなどは買ったことがなかった。たとえ買ったとしても、自宅には蓄音機などといった洒落たものはなかった。

 大学へ入ってみて、周囲の友達が歌謡曲以外の音楽、例えば、ジャズ、モダンジャズやタンゴ、レゲエ、それにクラシック等々、それはそれはいろいろなジャンルの音楽を「語れる」連中がたくさんいて度肝を抜かれたものだ。

 そうした驚きの中、物知りの友だちに連れていかれたのが新宿にあったモダン・ジャズ、通称ダンモの喫茶店であった。タバコの煙がもうもうと立ち込める中、椅子に思い思いの格好で身体を預け、微動だにしないでダンモに聞き入っている客を見て、山階はカルチャーショックを受けたのだった。

 しかし、薄暗い席で苦手なコーヒーをとり、当然のことながら聞いたこともない、リズムもメロディも明確ではない曲に耳を傾ける。少しすると、その曲が山階には雑音としてではなく、何か感情を同調できるような音として耳に入ってくるようになった。

 これが山階とダンモとの初めての出会いであった。その曲はマイルス・デイビスの『アランフェス協奏曲』であることを同行の友から聞いた。この曲はもともとホアキン・ロドリーゴが一九三九年に作曲したギターの協奏曲であるが、ダンモ奏者のマイルスもトランペットでコピーしていた。

『アランフェス協奏曲』に魅せられた山階は、大学近くのダンモ喫茶にも足しげく通うようになったし、新宿の紀伊国屋書店裏のディグや都電通りの木馬座、そのほか新宿駅西口のポニーなどにも出入りするようになった。当時は、盛り場のあちこちにダンモの喫茶店があった。

 ということで、クラシック音楽といわれても、バッハ、ヘンデル、ハイドン、モーツアルト、そしてベートーベンなど古典派の作曲家の名前や代表曲くらいは、模範受験生であった山階は知っている。しかし、実際には中学生のころの音楽の時間に、ほんの「さわり」だけを聞かされただけで、中年ともなってしまえば、もはや音の記憶はぜんぜんない。

 智子と行ったサントリーホールでのモーツアルトのコンサートでは、演奏された曲目はほとんどどこかで耳にした曲であった。商店街や喫茶店、病院などで静かに流れている曲であった。そうか、クラシック音楽は自分たちのこんなに近くにいつも流れていたのだと山階は気づいた。智子は音大でピアノを専攻してきており、ベートーベンを弾くのが好きだとのことであった。週末には、ピアノの個人教授をしていた。

 山階はその数日後、モーツアルトのCD二十枚組を買った。時間があるときにはモーツァルトばかりを聞くようになった。モーツアルトに憑かれた感があった。転職の合間に出かけたヨーロッパでは、モーツアルトの生家や墓、関連施設などを巡ってきた。

 また、モーツアルトへ傾倒したばかりではなく、クラシック音楽の名曲案内などの本も読みまくり、コンサートへも月に一度は行くようになった。同じ事務所の先輩がクラシック音楽のファンで、コンサートの招待券が毎月来るらしく、その恩恵にもあずかり同行させたいただいた。山階は智子のお蔭でダンモからクラシック音楽へと「宗旨替え」した感があった。 

 智子にも変化が現れた。山階が山へ行こうと早朝から電車に乗っていると、まもなくJR青梅線の終着奥多摩駅だという車中で携帯電話が鳴り出した。何かと思えば、智子からの英会話学習上の質問であった。そんなことは一度や二度ではなかった。

 山階がもっと驚いたのは、ある時智子からメールがあった。それが何とロンドンの郊外の小さな街からであった。ホームステイの最中だという。ステイ先の年配の主婦に料理をいろいろと教わっている、楽しいわ、と言ってきている。英会話もままならないのに、智子に行動力があることに山階は驚かされた。

 ロンドンばかりではなかった。次は、オーストラリアにホームステイしているという「ドヤガオ」のメールが来た。裕福な家庭の子ではない。母親は教師だったし、父親は大工であった。自分の貯金をはたいて行ったのであろう。智子の英会話習得への執念はすごかった。山階は舌を巻いた。

 こうして、智子は山階から英会話学習のきっかけを掴み、海外でホームステイをするまでになっている。逆に山階は、智子からクラシック音楽への入り口を差し向けられたのであった。

二 静謐な安堵感

 智子はざっくばらんな性格であった。山階との会話でも、言い淀んだり、迷ったりすることはほどんどなかった。思いついたことはどんどん実行していくタイプで、それは山階に似ているところでもあった。智子はベートーベンを弾くのが好きと言ったけれど、山階は智子に、物事をベートーベンのシンフォニーのように力強く前へ前へと推し進めていく力強さを感じていた。
 
 そういう智子と山階は、二回り以上も歳の差があるのに気が合って、機会があれば食事をするようになった。山階はNHKでクラシック音楽を毎日聴くようになっていた。山階も智子に負けず劣らず猪突猛進的なところがあり、クラシック音楽に興味を抱くと転げ落ちるようにそこへのめり込んでいった。

「もう、私よりぜんぜん詳しいわよ」
音大卒の智子はそう言うのだった。

 智子は片言の英語は話せるようになったのであろう、山階への英会話の習得に関する質問が多い。智子は英会話学校へは行かずに、テレビで学習していた。山階は、彼がボランティアで訪日外国人観光客の観光ガイドをしていること、その団体の長は女性で、NHKのテレビ会話番組だけで、外国にもいかずに英会話をマスターしたこと、などを智子に説明したら、
「じゃ、私も」
と、倹約家の智子はテレビ学習をきめたのであった。

 ある時、二人で夕食をしていて会話が盛り上がり、智子が終電車を逃がしてしまう羽目になった。智子は中央線の相模湖駅から都心へ通勤してきている。新宿からは片道一時間を超える。自宅への帰途は新宿から中央線の快速で高尾駅まで行き、そこから大月行の各駅停車に乗り換えるのであった。相模湖駅からは自転車で五分ほどで自宅へ着くという。その日はもう、高尾駅発大月行の十二時前後の終電車に間に合わなかったのだ。

 とてもではないがタクシーで帰るには高すぎる。仕方ないではないか。山階は、もしよければ、と智子に自分の部屋へ泊ることを勧めた。幸いにも、その日は金曜日で翌日は休日なので、智子は着替えの心配をすることはなかった。

 離婚後のひとり暮らしの山階のアパートは、一DKであった。酒場からはタクシーで十五分くらいのところにあった。ひとり暮らしには広いDKと六畳の和室であった。ベッドは使っていなかった。山階は、智子を入り口付近へ立たせたままで、いいわけをしながら部屋をバタバタと片付けた。

 山階は智子にシャワーを勧めた。バスタオルと自分の洗濯済のパジャマを智子に渡した。下着はどうするか? 女物はないので、自分のやはり洗濯済の色柄のパンツを添えた。

「先に使って。髪を乾かしたり、女の人は時間が必要だから」
と言いながら、山階は先に浴室へ入り、散らかっているものを整頓した。

 山階は六畳の和室に智子を寝かせ、自分はDKのソファに陣取ることにした。六畳間に布団を敷き、枕カバーやシーツ、掛布団の襟などを、洗濯済のものに替えた。

 風呂上がりの智子は、山階のパジャマを着て出てきた。サイズが大きくてぶかぶかで可笑しい。でも山階は失笑を堪えた。智子は手に洗濯済みの下着やパンストを持っていたので、山階は彼女が寝る六畳の間に干すように勧めた。ヘアドライヤーを渡した。「冷たい飲み物は冷蔵庫にあるから、ビールもあるよ」と伝え、浴室へ入った。

 山階が浴室から出てみると、智子はソファで牛乳を飲んでいた。洗った髪は乾いているようであった。先ほどぶかぶかに見えた山階のパジャマは、袖や裾を折ったりして、なんとなくファッショナブルに見えた。山階が六畳の和室に置いておいた物干しラックがリビングに持ち出され、目の届かないところで彼女の洗濯ものが広げられていた。

「お、上手く着こなしてるね」
「でも、けっこう大きいです」
「ビールでも飲むかね」
「私はこれでいいです。勝手に出して飲んでますが」
「そうか、では私は水にするか」
 山階は冷蔵庫で冷やしてあるグラスに氷を入れ、汲み置きの水を注いだ。山階は麵つゆなどが入っていたペットボトル二本に、水道の水を汲み置きして、料理や飲用に使っていた。

 山階はパソコンを開き、ユーチューブで安らぎに良いとかいうBGMを流した。むかし買ったコーラルのスピーカーからの音楽が二人を静かに包んだ。

「シャワー直後に寝るのは身体によくないらしいから、一段落したら寝ようか」
「はい。あのぅ、本、見てもいいですか。沢山ありますね」
 智子は、ひとつの壁すべてが書棚になっているようなところに収まっている本の数に圧倒された。
「何冊くらいあるんですか?」
「うぅん、数えたことはないけど、一、二、三、四・・・とこれで二十冊だから・・・全部で、そうよなぁ、千七百冊くらいかな」
「すごいわ、ちょっとした図書館ね。私、小学生のころ、本が好きだったけれど買ってもらえなかったので図書委員になったの。委員にならなくても借りられるのにね。ここから借りて行ってもいいですか?」
「もちろん、いつでも」
「わぁい、嬉しい。山階さんとお知り合いになって、英語を勉強できるようになったし、今度はいろいろな本が借りられるなんて、私、本当にラッキーね」

「学生のころの本もあるし、最近買ったものもある。いろいろな種類の本があるよ。読みやすい小説とかはもちろん、ハウツーもの、思想、政治関係のもの、ま、様々だね」
「こんど、お休みの日にここへきて読みたい本を探していいですか?」
「もちろんだよ」

「そろそろ、寝ようか。今日はたくさん、話をしたね」
「はい・・・」
「向こうの六畳の和室に床を敷いたから、君はそこで寝てください。襖を締めれば落ち着くよ」
「あら、山階さんはどちらで?」
「私は、このソファに寝るよ。酔って帰ってきたときなどは、ここでバタンキューはよくするから」
「それは困ります。山階さんはあちらでお休みになってください。私がここで寝ます」
「お客さんをこんなところへ寝かすわけにはいかないよ」
「お客さんだなんて、私は突然の転がり者ですから」

 押し問答が少し続いたが、智子は頑として譲らなかった。しまいには山階を年寄り扱いにして、身体を大切にせよと。山階は苦笑して渋々折れることにした。

 山階は和室の襖を締めたものか、開けておいた方がよいのか、一瞬逡巡した。智子が寝る部屋の方が広いが、一応プライバシーにも配慮すべきだと思い、襖を締めて横になった。なにか智子を締めだしたようで、どうも気持ちが収まらない。

 山階は横にはなったものの、輾転反側してなかなか寝付けなかった。静寂の中から智子もソファで寝返りを打っている気配がわかる。このまま放っておくと智子は寝付かれないに違いない。広いリビングで、慣れないソファの上で心細い思いをしているであろう。

 山階は常夜灯がついているリビングのソファのところへ行き、跪いて智子の肩に手を置いて静かに話しかけた。
「智ちゃん、向こうへ行こう」

 智子は、小さく頷いて、枕を胸に抱えて山階の後から和室へ入った。

 山階は布団の上で立ったまま智子を優しくハグした。智子は微かに震えた。智子の胸が山階を圧迫した。智子は他の若い娘より豊かな胸をしており、山階は会うたびに、いけない妄想をしては、それを打ち消していた。ごわごわした洗いざらしの男のパジャマが無粋であったが、逆にコケティッシュでもあった。

 山階は智子の両頬を挟んで、自分の唇を軽く押すよう智子の唇へ押し付けた。智子が大きく息を吐いた。智子はこの先どうなるのであろう、と思った。智子の唇を塞ぐように、今度は少し長いキスをした。唇を離して、そのままにしていると、智子の唇が山階の唇を追ってきた。智子の膝が崩れ、二人は布団の上に横たわった。

 「もう寝よう」とは言ったが、和室へ呼んでおいて寝ようはないだろう、山階は思い直すのであった。智子の胸に手を這わせた。智子の肌に触れるのは初めてであった。豊かな量感が山階の掌を押し上げるようだ。

 山階は智子の乳房を周遊するように愛撫を繰り返し、乳首で戯れた。智子が快楽の気持ちを短い言葉で呟くように繰り返す。しっとりと潤んだ智子の唇を、山階は自分の唇でさらに潤した。智子は自分ではもうどうにも出来なかった。成り行きに任せようと思った。

 智子は山階の手の動きで、ときどき短い言葉が出てしまった。小さく震えたりもした。恥ずかしさが快楽の中へ消えていった。山階は智子の、シャワー上がりや興奮でしっとりとした肌から立ち上る若い女性の色香を感じては自分自身も高まっていった。手を智子の下半身の方へ移していった。するとそこにはそこには智子の薄物ではなく、自分のごわごわした無粋なパンツがあり、思わず苦笑してしまった。

 山階が智子へ入るとき、智子の身体はすでに十分な準備が出来ていた。滑らかに奥まで行きついたが、その時、智子の内部に軽い痙攣が走り、山階をきっちりと掴んでしまった。その後は順調な展開となったが、山階としては娘世代ほどの若い女性とそうなってしまったことに一抹の後悔がなかったわけではなかった。

「大事にするからね」

 山階が智子の耳元でささやくと智子は小さく頷いた。

 これを機会に、智子が山階に会いたいときには、山階の部屋に来るようになった。夜では帰るのが遅くなるし、家族と暮らしている智子はそうそうたびたび外泊することは出来なかった。週末の日中に来るようになった。料理を作って、おしゃべりをして、仲良くなって、そして智子は、山階の書棚から読みたい本を借りて帰る、こうした生活が何年か続いた。

 智子は山階と街中を歩くときには、並んで歩かなかった。知り合いに会うことを気にしていたのかもしれない。たとえ知り合いに見られたとしても、父親と歩いていたんだ、と言えばいいんじゃないの、山階はそう諭した。外ではそのような自制が働いていた反動からか、室内で横になってからの甘えが大胆であった。

 経験の少なかった智子は、山階の教えで情の交わし方に長けるようになり、なまじっかな新婚女性よりは悦楽を理解できるようになっていた。

「ねえ、私が結婚してからも会ってくれますか?」
 悦楽の嵐が過ぎ去り、山階の指が智子のほのかな繁みに沈んで、智子が山階を握って、静かな余韻の中を浮遊しているとき、智子が突然そう言ったのだ。
「うぅん、会うには会ってもいいけど」

 山階は、智子が会って欲しいと言うのは、単純に顔を合わせて話をするだけではないように思えた。それは控えなければならないと思うのだが、ここでノーといえば、これまでの二人の関係に大きな亀裂ができるようにも思えた。

 山階はサンフランシスコのベイエリアへ赴任することになった。赴任直後に智子は山階を追いかけるようにサンフランシスコを訪ねてきた。二人は貪りあうような幾晩かを過ごし、智子は東京へ帰って行った。それが切っ掛けとなったのか、あるいは智子が意識的に切っ掛けとしたのか、智子から山階への連絡は途絶えた。

 山階は智子との関係はいつかは止めなければいけないと考えていた。結婚に失敗した男が、これから結婚して幸せになれる女の道を妨げてはならない。そんなことは百も承知だ。智子にしてみても、やがて山階以外の男と結婚するのかなぁと思っていた。

 しかし山階は智子とのいつもの情事のあと、かつて味わったことのない安堵感に浸れるのであった。若い智子とのスポーツのような激しい交わりの後にくる、あの静謐さはそれまでに経験したことがなかった。

三 二十年ぶりの再会

 山階と智子が疎遠になってから二十年という時間が過ぎ去った。山階は智子のことを忘れることはなかった。他の女性と浮名を流すようなこともなかった。

 山階はある休日に、見るともなく剣道の地方予選をテレビで見ていた。するとそこに大写しで一瞬カメラの前を通り過ぎたのが、面を外した剣道着姿の智子であった。二十年の空白があるとはいえ、かつて親密な中であった彼女を山階が見逃すことはない。

 山階はその剣道大会をインターネットで検索した。もちろん、智子の名前を確認するためである。間違いなく智子は出場していた。ベスト十六に残っていたのだ。しかも二段。中学校の教員であった。旧姓のままだから、結婚はまだに違いない。転職したのだ。当時、勤めていた会社の男性社員を、バカばっかなのよ、と嘆いていた。中学校の教員になれたのは、音大を出ているので教員免許があったからなのであろう。

 山階と過ごした頃は英会話に夢中であったが、その後、剣道に憑りつかれたに違いない。一生懸命、稽古に精進したのであろうことは想像に難くなかった。しかし、あの胸がよく防具の胴に収まるな、山階はそう邪推をする自分を恥じた。

 山階と智子が二十年ぶり再開したのは、表参道ヒルズにある野菜を中心としたレストランであった。智子がよく行くらしいお店で、ふたりはそこでランチを楽しんだ。智子は昔のようにポッテリとした体格ではなく、むしろすっきりした感じがある。しかし、腰回りなどは歳相応にしっかりとした肉感があった。

 智子の話しぶりや笑顔などは昔とまったく同じで、山階には懐かしさが込み上げてきた。智子も山階が、ほぼ昔のままの雰囲気でいるのに驚いた。四捨五入すれば古希になるとはとても見えない。動作も昔のように素早いし、同世代のお年寄りのようにゆったりはしていない。お互いに相手の若さを褒めあった。

「サンフランシスコで会っていらい連絡が無くなってしまったので、淋しかったよ」
「うん、ちょっと思うことがあってね」
「好きな人でもできたのかと思ってた」
「そんなことはないっす。あれからずぅっと一人よ。清らかな身なんだから」
と言って智子は微笑んだ。えくぼが懐かしい。

 ちょっと思うことって、やはり、あの時を機会に、分かれて新規にやり直そう、と思ったに違いない。そんなことは聞くだけ野暮というものだ。しかし、山階は自分とのことがあったのが原因で智子が結婚できていないのではないかと思わないでもなかった。

 勘がいい智子がそれに気が付いたのか、
「山階さんとのことがあって、いままで結婚しないでいるのではないから心配しないでね」
「でも二十年もの間には、これはと思うような人はいたんじゃないの」
「うぅん、どうかな。一人二人くらいはいたかもしれないけれど、何か、ガキっぽいのよね。山階さんとの期間があったからか、男性を見る目ができちゃったのかな。私、騙されないわよ」
「ということは、私も罪作りなことをしたわけだ」
「そうよ! あら、冗談ですけどね」

 山階は智子と話しているうちに、彼女が精神的に大きく成長したことに気が付いた。昔の少女とお父さん、という関係より、いまは同じ大人同士という気がする。しかし、昔、智子が少女であったとしても、自分にあのような静謐な気分に浸してくれた力は何なのだろう。いまはすっかり成熟した女性になった智子がとても頼もしく思えた。再会に当たって山階は、智子が彼に幾ばくかの恨みや辛みがあるのではないかとも思った。もしあったら、素直に詫びようとも思っていた。しかし、智子は昔と同様、天真爛漫で快活なままでいた。山階は安堵した。

「私、山階さんのお部屋の鍵、まだ持ってるわよ。お家、変わっていない?」
「えっ? そうなの。部屋は当時のままの部屋だよ。鍵を二十年も持っていてくれるなんて感謝感謝だね」
「私にとっては大事なものなの」
「そんなの後生大事に持っているから結婚できないんじゃないの」
山階は軽口を叩いた。
「そうかもね」
智子もそれに乗って舌をチロッと見せた。

 智子は都内にひとりで部屋を借りていた。新宿から出る私鉄の三つ目の急行停車駅のひとつ手前が最寄りの駅であった。そういう各駅停車の駅周辺では部屋代が安いのだそうだ。相変わらずしっかり者だ。

 山階のアパートから智子のアパートへは電車で行くと回り道で時間がかかるが、タクシーで直線的に行けば十分ほどである。覗いて見たい衝動はあったが、結婚していない中年女性の部屋に男が出入りするなどと、近所の住民の目を恐れて、行こうとはしなかった。

 智子は学校が定時で引き上げられる時には、山階の部屋へ来るようになった。山階はSOHOで自宅を事務所にもしていた。

 智子は初めて、というか二十年の空白期間の後に初めて山階の部屋を訪れることになった。二十年の間、智子は山階のことを完全に忘れたことはなかった。山階は国際企業で要職を務め、本をたくさん読みいろいろなことを知っていて、智子の質問にはいつも分かりやすく答えてくれた。笑う時の白い歯が素敵であった。智子はそんな山階を尊敬していた。
 
 夕食の後はいつも優しかった。お風呂でお互いの身体を洗ったり、バスタブでいろいろとお話したり、またベッドへ入ってからも親切であった。智子よりも父親ほども年上だったせいもあって、ひたすら仲良くするだけではなく、大人の社会のことも丁寧に教えてくれた。

 智子は山階と会わなくなってから、しばらく精神的に塞ぎ込む時期があった。お話を聞いてくれる人もいないし、質問に答えてくれる人や、お仕事の愚痴を聞いてくれる人もいなくなってしまった。体調も順調というわけでもなく、肩こりや便秘になることもしばしばであった。

 自分でもええっと思うのだが、山階の身体が懐かしく思われるのであった。まだ若いのに、山階との何年かかの関係で自分の身体がそんなふうになってしまったのかと感慨にふけるのであった。まだ、そんなことを知らないではしゃぎまわっている同僚の女性が子どもっぽく見えるのだった。

 智子は現在は体調は万全であった。ふとした切っ掛けで剣道を始めたことがよかったのだと思っている。道場へ行かない日でも、朝夕の竹刀の素振りは続けてきた。剣道の稽古をしているときや竹刀の素振りをしているときには、体中の血液が勢いよく循環し、老廃物はすべて掻き出してくれるようであった。中年の同僚女性教師が更年期障害や肩こり、腰痛などの話をよくする。

「智子さんにはそんなことがないの? その点、独身て良いわね、あら、ごめんなさい」

などと言う。しかし智子は、そういう女性に限って、もはやご主人との仲良しは無くなっているのだわ、もしそういうことが定期的にあれば結構な運動量にはなるし、骨盤内の血流は円滑になり、そんな症状は出ないに違いない、と思うのだった。

 智子は山階のアパートへの道すがら、二十年を超えて、今日はどのようにコトが進展していくのだろうと思った。単なる知り合いの人に会いに行くのではない。かつては恋焦がれて、身も心も投げ出し、甘えた人に会いに行くのだ。二十年の時の流れは、どのように解消されて行くのだろう。子供ではあるまいし、そうなることもあろうかと、智子は今日のために最近買い求めた気に入っている下着を身に着けてきた。

 昼食はオムライスにした。あとは山階の好きなぬか漬けを買ってきた。むかし、山階がオムライスが好きだからというので作ってあげたことがある。ユーチューブなど無かった頃なので料理本と首っ引きで作ったのだが、チキンライスを炒めた卵で包むのがどうしても上手くいかなかった。

 では、ということで、中が柔らかなオムレツを作り、それを先に皿に持ったチキンライスの上に乗せ、ナイフで真ん中を静かに引くように切ると、オムレツが左右にきれいに分かれて崩れ、見栄えの良いオムライスができるの手もある、しかし、それも上手くいかなかった。

「こうするんだよ」
と山階は手際よく、二つ目のオムライスを難なく作って見せた。こんなおじさんがなんでこんなに上手に作るのだろう。智子にはそれが不思議であった。山階と別れてから智子は何回もオムライスを作り、いまでは得意料理のひとつになっていた。きょうは上手に作って褒めてもらおう。作っても食べてくれる人がいないより、食べてくれる人のために料理ができることが智子には嬉しかった。

 オムライスは思った通りに出来上がった。山階は美味しい、美味しいといって、
「おかわりはないの」
とまで言ってくれた。
「むかし、私がオムライス作ったの覚えてる?」
「ああ、何回も失敗していたね」
「きょうの、美味しかったでしょう。形も上手くまとまってるし」
「まぁね、二十年もたったんだからなぁ」

 まあ、何ていうこと言うのかしら!二十年経てば誰でも自動的に上手になるみたいじゃないの! もっとましなことを言えないのかしら。智子はカチンときた。テーブルの下で山階の足の甲を踏んずけてやった。山階ははじめ、ポカンとしたが、
「あ、ごめん、ごめん、百二十点かな、ははは」
と白い歯を見せて笑った。智子もつられて笑った。こんなことが幸せなのかな、と思った。

 食後のひととき、山階が淹れたコーヒーでそれぞれの過去を語り合った。どうということもない他愛のない話題であった。しかし、智子にはそんな他愛のない話ができることがとても嬉しかった。そういえば、二十年間、こんなに気持ちが満たされた会話をしたことがなかった。自分が今座っているここが私の席なのだわ、智子そう思った。

 食器の片付けが終わって、智子はソファで寛いでいる山階の側へ座った。智子は、山階が何か少し遠慮していてよそよそしいと、この部屋へ来た時から感じていた。この人はむかしから、そういう四角いところがある。礼儀正しいというか、筋を通すというか。智子はむかし、そういう大人の作法を山階から学んだ。

 しかし、きょうは実に久しぶりに会えた訳だし、先日、きょうの約束をした時から智子の気持ちは徐々に高ぶってきているのだった。女の自分から言い出すのには恥じらいがある。しかし、自分から言い出さないときょうはこれで何もなく時が過ぎ、はい、さよなら、になってしまう。それが山階の性格であることを智子は良く知っていた。智子は覚悟を決めた。

「あのぅ、きょうはイタスんですか?」
「えっ? イタス? ああ、イタス、イタス、いたしますよ。はははっ」

 山階は、破顔一笑、そう答えた。山階は智子に負けず劣らず勘は鋭い。智子のユーモアある言い方を汲んで即答した。智子は恥ずかしい思いをしなくて済んだ。やはり、私の大好きな山階さんだわ。

 智子は山階の首に横から絡みついた。智子の乳房が山階の肩を押した。山階はそれを掴んだ。智子が嬌声を上げて山階をソファに押し倒した。山階は懐かしくもご無沙汰であった智子の肌に顔を埋めた。ほぼ毎日、智子の身体と戯れていた頃が、急に眼前に迫ってくるようであった。智子は、長い時間触れていなかった山階の身体の香りに、自分の身体が小さく痙攣するのを覚えた。

四 鍛えられた女体

「大丈夫かなぁ」
「どうしたの?」
「だって、二十年もしてないのよ。でも、婦人科の先生に言われて保湿クリームを使っていつもお手入れはしてきてるけど」
「どうしたモンかねぇ」
「何か久しぶりにお会いしたのに、お会いしたら急に甘えたくなってしまって」
「・・・」
「長い間、そうしたことはしなかったけれど、脚は開くわよ、十分。剣道の時、股関節回しやストレッチはいつもしているし」
「あ、そう」
「あのぅ、それから、とても言いにくいんですが・・・、その・・・、ちょっとお願いしたいことが・・・クリームを使って、あそこを少しマッサージして解(ほぐ)した方が良いと思うのね。自分ではいつも、外側とそのすぐ内側までしかしていないから・・・、奥の方はどうなっているか自分ではよくわからないの。いきなりしちゃって何かあったら困っちゃうじゃない?」

「私がするの? 指入れて?」
「やだぁ恥ずかしいこと言わないでよ」
「恥ずかしいって言ったって、君が言い出したことだし。何か婦人科医になったみたいだな」

 智子は畳の上に敷いた布団にバスタオルを重ねた。山階に向こうを向くように頼んで、薄い夜着に着替え下着をとった。山階に見てもらいたくて買った新しい下着なのに、物事は何事も上手く進まないものだと、智子は軽い溜息をつくのだった。

 智子はバスタオルの上に尻を置き、脚を少し広げたが、片手を繁みの上に乗せたままであった。自分で言い出したとはいえ、始めてみるとどんなに親しい山階の前であっても、そのような恰好をすることに顔は羞恥で赤らんだ。昔なじみの山階とはいえ、よくまぁ、こんなことを頼めたものだと自分でもあきれ返ってしまった。でも、そうしないことには事は前に進まないし、とも思った。

 山階はそこに、古代ギリシア時代に作られた彫刻の女性像のような智子の身体を見た。薄い夜着に覆われているので、明かるさを落とした室内では智子の身体が幻想的に見える。彼女は相応の年齢に達しているので、もっとふくよかな体格をしているのかと山階は思った。

 しかし、お腹まわりにはあまり肉はついていないし、腕も、中年女性が気にする「振袖」状態ではない。智子の胸はむかしは豊かであった。今でも豊かではある。形も崩れていない。量感もあり、昔のように先端はしっかりと前方を向いている。内腿にだぶついた肉も付いていない。

 乳房には、結婚をして子供を産んで、授乳して、夫にも優しくされた、そういう形跡がない。形も柔らかさも成長して完熟した乙女のもののようであった。今日まで性愛に関与せず、ひたすら剣道に打ち込んで鍛えられた中年女性の肉体がそこにあった。山階はため息が出る思いであった。

 山階は智子に言われるままに、片手の中指に潤滑クリームをとった。山階はこのようなことはしたことがない。これは医学的な治療といっても良い。山階は指の先に神経を集中させた。先を鉤の字に曲げて、三六〇度周回するようにゆっくりと智子の肉の間をほぐすように、少しずつ微妙に動かしていった。智子が心配するように、特段に硬くなっているようなところには気が付かなかった。

 山階は指を注意深く動かし、少し抵抗がある部分は繰り返してマッサージしていった。これが相互の悦楽目的の行為ではないので、山階自身は何ら高まることはなかった。しかし智子の方は、山階が優しいマッサージをしてくれているので、その快感で声が出そうになるのを必死で堪えていた。せっかく山階がしてくれているのに、自分だけいい気持ちになっては申し訳ないと思った。

 山階の指が、恥骨の内側あたりの海綿状になった部分にあたると、智子の腰がビクンと動いた。山階の指は中で軽く締め付けられる。

「ちょっと待って。そこちょっと押さえてて。軽くでいいのよ。・・・うん、少し動かして、・・あん」
 智子の腰は、また不随意に突き上げられた。山階は、ここがあのドイツのグレフェンベルグ産婦人科医が発見したポイントなのだと理解した。

 智子は山階にマッサージされて、その周囲が熱くなってきていた。血流が増したに違いない。唇もこころなしか張りを増したようである。山階はさらに、智子のリクエストで入口を両手の人差し指で広げた。できるだけ広げてくれというので、山階はかなり力を入れて、左右や上下に広げてみた。こんなことをしても大丈夫なのだろうか?

「痛くないの?」
「痛いけど、我慢できないほどではないです。何か痛気持ちいいっていうの? そんな感じよ。インターネットで知ったの。そうするとその辺の血流が良くなるっていうのね。男の人もそうするといいらしいわよ。あれを左右上下に思いっきり引っ張るんですって」
「ほんとかね」
「ほんとよ。後でしてあげるね」

 ひと通りのマッサージが終わった。智子は横向きになり膝を閉じてじっ目を閉じている。
 山階は、しとどに濡れた手を拭きながら、智子に声を掛けた。
「大丈夫?」
「大丈夫よ。何かとても気持ちよくて、その辺がジンジンと熱く感じるの」

 山階は智子の脚を開かせ、大腿の上に幾筋も流れ出た分泌液を拭ってやった。智子が微かな声をあげ、小さい痙攣の波がふくよかなお腹の肉の上を走った。桃色の奥襞を口できれいにしてあげた。山階はようやく自分が疼く脈動を自覚したが、智子は眠りについてしまったようだった。

 山階はひとり暮らしである。女性と楽しい思いをする夢をときどき見る。さすがに十代や二十代のころのように、夢を見るだけで元気に迸り出るようなことは、もうなかった。夢から覚めると虚しさがつのるばかりであった。

 そんな夢が、きょうはいやにリアルっぽいなぁ、と快楽が高まっていくのを楽しんでいた。そこの快感がいつもより高く、声が出そうであった。あまりの気持ちよさに、パッと目が覚めた。するとそこには智子が山階のものを咥えるようにして戯れていた。

「あ、起きちゃった。さっきはありがとう。寝ちゃってごめんなさい。お返しよ」
といって智子は微笑んだ。山階は何十年も前にこの部屋で、同じようなことをしてもらったことを懐かしく思い出した。その昔のことが何の感情的な阻害もなくきょうに繋がっているのを嬉しく思った。

 智子も久しぶりに会った山階と、昔のまま戯れることができるのを不思議に思った。山階がサンフランシスコへ行ったときには、山階とはもうこれっきりにしよう、と決意したのだった。

 年賀状も出さなくしたし、メールアドレスも変えてしまい、山階から遠ざかることにしたのだ。別れた当初はよく、山階に優しくされたころを思い出した。疼く身体を自分で慰めたこともあった。重い日々であった。

 これまでに、もう少しで情事におよびそうになった男もいたが、山階に比べると話題にしても発想にしてもまるでボクちゃんで、そんな気持ちにはならなかった。いっそ身体だけの快楽でも、と思わないでもなかったが、それはそれで自分が惨め過ぎた。

 そんな時、地元自治体の広報紙で剣道の初心者コースが開かれているのを知った。さしたる決意があって始めたのではないが、始めてみると、結構面白いものであった。大きな声も出せるし、全身汗まみれになる週末の稽古も楽しみになってきた。あの「静」と「動」の歯切れのよいスポーツが自分に合っていたのかもしれないと思った。稽古を一生懸命やったためか、昇段試験もほかの人に比べると順調にパスしていった。

 剣道に夢中になると、性的な懊悩は霞のように消えていった。受験期の、自慰に悩む男の子にスポーツを一生懸命せよ、と指導するのもこんなことなのかなと、教員になってからは思うようになった。

 智子は、生理の期間が月をまたぐようになったり、しばらく無いようになり、そしてもう一年半も無いとなると、ああ、そうなったんだぁ、と感慨深い。月々の煩わしさから解放されたのはいいが、もう子はできないのだということをしみじみと思い知らされるのであった。

 この時期に女性は、いろいろと体調不調をきたすといわれているが、智子にはそのようなものはほとんど感じなかった。剣道を続けていたからかもしれない。

 智子が、
「お布団敷きましょうね」
と身を翻して立ち上がった。その、智子が一瞬膝を上げたとき、捲れた夜着の奥に、黒い繁みが垣間見えた。山階は年甲斐もなく自分が高まるのを覚えた。

「私、もう我慢できない。いいでしょ」
と智子はいって、山階の上になった。マッサージをしたことやその後の戯れで、円滑な進行となった。長い空白の後の初めての交接がこんな具合に始まり、山階は特別な興奮を覚えた。

「ねえ、二十年もしていなかったとは思えないわ。山階さん、元気よ、中で動いている」
 山階は、智子が山階を自分の狭隘なところへ収め、蠕動しているのがわかる。智子の中ではそんな動きが絶え間なく続いていることが山階にとっては、リビドーを根源から揺すられるようであった。

 智子の動きは緩慢で、何かを探っているようでもある。山階もそんなには動かない。二人とも歳を重ねたということだ、山階はそう思った。そういう動きが、智子にも山階にも、安寧をもたらしていた。

 久しぶりの仲良しの中で、二人は思いつくままにいろいろな体位で昔を思い出していた。ある体位から別の体位へ移行するときに、智子から湿気のある低い破裂音がでた。
「あら、やだぁ」
驚いた智子がそう言って身を動かすと、また出る。
「やだぁ、これって、アレじゃないわよ」
「そうだね」
「こんなこと、前にはなかったわよね」

 確かに二十年前にはこのような現象が発生したことは、山階は思い出せなかった。
「歳とったから、筋肉が緩くなったのかもね」
「そうかなぁ」
「でも可愛いじゃない」

 そんなことがあっても智子は、むかしを思い出すかのように、何々をしてもいいか、といちいち山階に問い、懐かしい愛の戯れを楽しむのであった。二人にとっての仲良しは、もはや悦楽の追求以外の何物でもなかった。避妊具使用の煩わしさや不快感もなく、気の赴くままにイタセばよかった。

五 あるたくらみ

 仲良しによる精神的、感情的な安堵感のお蔭か、山階にも智子にも健康上の心配は何も見つからない。同世代の独身者や所帯持ちの男女が、いわゆる成人病に憑りつかれて、肉体的にも精神的にも病んでいるのを傍目に見ながら、二人は青年期のような健康状態で快適な毎日を送っている。褥の上では時にはおバカなことを、少年少女のようにすることもあった。

 ある時、山階と智子が戯れているとき、智子のむかしの友だちである百合子から電話があった。その時は山階の悪戯ごころで、嫌がる智子に下着だけを脱がせ、上衣とスカートは着たままで和室で戯れていたのだった。最初嫌がっていた智子も次第に気分が高まり、身体も気持ちよくなってきていた。山階の右手の親指が智子の中で遊んでいた。

 電話を受けて智子は、正座から足を開いて尻を落とす座り方をした。山階はアッと思ったが、智子のボリュームのある尻が彼の右手を押さえてしまった。親指は入ったままである。指は動かそうと思えば動くが、腕と手首は量感のある尻の下でどうにもならない。

 智子が電話での会話中に、山階の腕は血流不十分で痺れてきた。痺れを解そうと山階は動かせる親指だけを動かす。気持ちがいいのであろう、智子は尻を動かしながら快感の声を堪えて電話を続ける。指の動きに合わせて、それを追うように自分の尻を動かしたりする。そのうちに山階の手は痺れ、指も動かなくなった。山階としては、早く電話が終わることを願うだけであった。電話が終わり、手は解放されたが、親指はふやけ、痺れはしばらく続いた。

「ごめん、じゃぁ、今度は私がしてあげる」
智子は山階の柔らかいものを見て、
「あ、あれをしましょ。まだ小さいから大丈夫よ」
といって、山階のものを強く握ると上の方へ思いっきり引っ張った。山階は思わず悲鳴を上げた。今度は下へ、である。そして、右や左に。何回も何回も繰り返されて。これは情事というか、何か治療を受けているようである。山階のものは、その刺激で海綿体が膨張してきた。
「わぁ、すっごい! 大きく硬くなってきた。ね、もったいないから入れちゃっていいでしょ?」
 智子は山階の返事も待たずに、山階に跨った。智子は野太い声を出しながら自分の快楽の中心を模索しているようであった。普段の時とは違い、智子も山階も衣服はほぼ着たままであった。智子はフレアスカートに下には何もつけていなかった。こうしたいつもと違う衣服環境下での仲良しに、山階は異常な興奮を覚え、智子の奥深くに激しくいきり立った。智子は動物のような呻き声を二回ほど上げて、山階の上に崩れかかった。何回も何回も痙攣していた。

 その午後は、外が黄昏でうす暗くなるまで、二人は和室に敷いた布団の中で過ごした。智子は何回も大きな声を出しり、痙攣でお腹に小波を立てたり、あるいは山階を注意深く咀嚼した。

 いつだったか智子が韓国料理を食べたいというので、大久保の韓国街で食事をしたことがある。その後、久しぶりに、気分転換をしようということで、新宿歌舞伎町のホテルで遊んだ。

 違った環境の中での交接は、お互いに興奮の度を高めた。帰りに智子が衣服を整えているとき、山階は智子に下着を付けないように頼んだ。
「なんで? 変態っぽいなぁ」
 それでも智子は、山階が一生懸命懇願するので、根負けしてパンストとパンティは付けずにホテルを出た。
「わぁ、すぅすぅするわ、こんなの初めて、あなたって本当に変態よ」

といいながら、智子も二人の新しい試みに、興奮気味であった。

 新宿・歌舞伎町のホテルがある一角から、飲食店街へ出た。酔客や観光客が小グループでひしめき合っている。誰も山階と智子が、ただならぬことをしてきたばかりとは気が付かない。それはそうだろう。智子や山階にしても、すれ違う人が、ここへ来る前に何をしていたかなどはわからないし、第一興味もなかった。それが大都会の喧騒というものだった。

 智子は、自分が下着をつけていないことを誰にも気が付いて欲しくなかった。事件や事故に遭って、救急車で病院へ運ばれたとき、下着を付けていない恥ずかしさを味わいたくはなかった。しかし、この喧騒の中を下着を付けずに歩いていることに、自分自身興奮していることを自覚していた。秘部はホテルを出るときから火照っていたし、潤んでもいた。

 あららっ? 智子は歩いていながら、分泌液のようなものが筋状に片方の内腿を伝い落ちる気がした。そんなものが流れ下りてくるとは思ってもいない。もっと若いころ、下り物のときは下着を付けているので内腿を伝い落ちるようなことはなかった。

 そのことを山階に告げた。山階は、分かった、といって智子を人目を避けられるところへ連れ込んだ。山階は智子の前に屈み、スカートの下から手を入れた。智子は人が来やしないかと、気が気ではなかった。

 山階の手は智子の内腿を上った。左も右も分泌液で濡れていた。いちばん奥まで指が届いた。そこは熱い液でしとどに濡れていた。山階の指がそこへ沈んだ。智子の尻が小さく震えた。
「駄目よ、人が来るわ」
 智子は山階の頭を軽く叩いて、ハンドバッグから出したティッシュを山階へ渡した。山階は渋々指を引き、内腿をティッシュで拭いた。いちばん奥もティッシュで分泌液を吸収したが、液は依然と滲み出てきていた。

 山階は智子の内腿を拭いたティッシュを舐めた。
「バカ、何してんの、本当に変態ね」
 智子はそのティッシュを山階からひったくるようにして取り上げた。

 「応急手当」はしたものの、状況は改善しなかった。山階に始末をしてもらったことで余計に興奮してしまった。人混みの中を歩いているときに、その流れが膝の下まで来るので、智子は周囲の目を気にしながら自分で拭いた。しかし、都会の夜の人の流れの中で、智子のそんな仕草に気が付くのは、山階以外はだれもいなかった。

 近くの大きな駅ビルで、智子はトイレへ駆け込んだ。下着を付けて出てきた。
「もう、何ていうことをしてくれるの!」
「ゴメン、こんなに大事(おおごと)になるとは思っていなかったよ」
「それもそうね、私もこんなことになるとは思っていなかったわ。・・・私も変態なのかなぁ」
「かもね」
「こらぁ、まったく。こんどお仕置きをしてあげるから、覚えてらっしゃい!」

 二人は二十年ぶりに再会し、お互いに懐かしい身体を愛でて快楽を共有することはできた。しかし、同棲するとか結婚しようなどとは、どちらからも言い出さないでいる。それは山階が、他人から拘束されるような生活を好まないことを智子がよく知っていたからだ。また智子も、思いついたら何でも実行するタイプなので、時には主婦業も放り出しかねない自分の性格を十分承知していたからかもしれなかった。会いたいときに会って話をしたり仲良くしたり、二人はそういう生活に慣れてきた。

 また、山階には老いた両親が、二人で離れて暮らしている。いま智子と結婚すれば、彼女に両親の面倒を見てもらわなければならない。両親の世話に切(きり)が付くころには、智子はこんどは親子ほども年が違う山階の面倒を見ることになる。山階はそれでは智子があまりにも可愛そうだと思われた。

 一緒に生活しないで会いたいときに会う。それが二人にとって一番自然なように二人とも思っているのであった。生身の女の身体は、齢を重ね懐妊はできなくなるが、精神的にも肉体的にも男と快楽が共有できるなら、それこそ生身の女の生き方と言えるのであろう。

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