第一章 絹 子 X2、息子は留学中。人材派遣会社社長。
第二章 智 子 未婚、剣道有段者、音大卒教員。
第三章 まり子 X1、10年下の男性を見染め。
●●●第四章 ゆかり 男色の夫に見切り。大学教授夫人。
第五章 あけみ 元銀座ホステス。粋客からの求婚に逡巡。
【contents】
更年期を超えても瑞々しい女性のお話
子育てを終えた中高年女性の多くは、旅行や趣味、友との交流など、新たな生きがいを求めて活動範囲を広げます。一方で、肉体的・精神的な不調を抱えることも少なくありません。更年期後の小太り、動悸などの成人病の予兆に加え、尿漏れや子宮降下といった身体的な不安や、原因不明の「不定愁訴」に悩まされ、心身ともに満たされない状態に置かれています。
夫婦の「仲良し」の自然消滅
また、この世代の夫婦関係においては、更年期障害を機に夫婦間の性的な関係(仲良し)が途絶えていることが多く、人間の三大本能の一つが欠落した不自然な状態にあります。これにより、夫婦のいずれかが「落とし穴」に足を取られ、人知れず苦悩するという状況も生じます。未婚や離婚した女性も同様に「仲良し」の状態がないため、身体の未使用部位の劣化という同じ課題を抱えています。
閉経後の「仲良し」がもたらす恩恵
対照的に、更年期を夫婦で乗り越えられたカップルは、避妊の心配がなくなり、質的に異なる新たな「仲良し」を楽しんでいます。この適度な運動量が骨盤内の血流を良好に保ち、肩こり、腰痛、不眠などの解消、さらには肌のハリと艶、動作の機敏さにつながり、中高年になっても溌剌とした状態を維持しています。
物語のテーマ
本作は、このような背景から、性的な関係が途絶えていた中高年女性たちが新たな機会を得て再び「仲良し」の環境を見つけ、心身ともに満たされていく様を描いた、艶やかな5人の物語です。
第四章 ゆかり
一 電算部門の歓迎会
「いざという時、星野さん、シャイなんだから。お元気で!」
星野浩太郎が、広報部長を務めていた外資系企業M社から転職するとき、誰ともなくそう呼んでいた「星野軍団」の面々が、東京・六本木の小さなスナックを借り切って送別会を開いてくれた。浩太郎の秘書の百合子が企画と仕切りをしてくれた。
「星野軍団」とは、浩太郎の指揮下で動いていた外注先のデザイナーや広告代理店関係者、看板施工業者、印刷会社、モデル会社等々の青年たちや、社内の浩太郎ファンの集合体であった。盆暮れの飲み会や、浩太郎の誕生日祝いのパーティが恒例行事となっていた。また、星野が参加しないまでも、時間の都合のつく者同士が集まっては飲み会を楽しんでいた。
その送別会で浩太郎への寄せ書きの色紙にそう書いたのがゆかりであった。
ゆかりはM社の電算部門に新たに転職してきた二十代後半の女性だった。M社は全国主要都市に五つの地方本部を置き、販売は東京・赤坂の本社でコンピューターを使って管理していた。奇妙なことに電算部門のY課長は、大学では文系であった。彼女も文系であった。同部門は、販売部の傘下になるがY課長が部門長を務めていた。
ある時、Y課長が浩太郎の席へ来て、今度彼の部門へ若くて可愛い女性が来た、大学は浩太郎と同じだという。浩太郎はW大の出身だった。前の会社ではW大の出身者が一番多かったが、M社では、W大の出身者は浩太郎ひとりしかいなかった。
Y課長は、その晩、彼女の歓迎会をするので来ないかと浩太郎を誘った。彼女と同じ大学の先輩ともなれば、誘われて知らん顔もできまい、そう思って、浩太郎は訝しがる秘書を残して会場へ向かった。
M社の電算部門は全部合わせても部員は十人もいない所帯である。都合のつかない部員もいるので、歓迎会に集まったのは、浩太郎を入れても十人にも満たない。会場は社の近くの中華料理店であった。ランチ時には社員がよく利用する。人数にちょうど良い大きさの個室が予約されていた。
Y課長は、気を利かせたつもりであったのか、ゆかりの隣へ浩太郎を座らせた。パーティは型通りの出だしで始まった。Y課長がゆかりを全員に紹介し、ゆかりが自己紹介をした。参加者も各々の持ち場の紹介をした。
ひと通りのスピーチが終わったところで、Y課長が浩太郎はゆかりと同じ大学の出身であることを参加者に紹介し、浩太郎にも「ひと言」を要請した。浩太郎は本来ならこの会に参加してはいないのだが、同窓のつながりでY課長の好意でよばれた、と恐縮しながら歓迎の辞を述べた。また、部長職の自分には気を使わないで無礼講でやってくれ、とも添えた。
料理が運ばれ飲食が始まる。ゆかりは誰に言われたでもなく、参加者の一人一人に酌をしては挨拶を交わしていった。浩太郎は、「此奴、作法を心得ているな」と見た。
酒肴が進み場が和やかになってきた。ゆかりは、たぶんY課長が気を利かせたシートプランだったのであろう、自分の隣に座っていた彼女より若い女性とひとしきり話をしていた。その女性は事務員ではなくエンジニアであった。
浩太郎はY課長に、その頃、各企業へ普及し始めたパーソナル・コンピューターについていろいろと質問をした。浩太郎にもパーソナル・コンピューターが割り振られたが、扱いは難渋を極めていた。
表計算ソフトは「ロータス123」というものが出回っていたが、のちに出る「エクセル」のようにアイコンをクリックするだけで、表作成も印刷も楽にできるようなものではなく、印刷するにもコンピューター言語のようなものをいじるようなことをしなければできなかった。
文書作成には「ワード」があったがこれはまだ英文専用で、浩太郎が海外支社と交信する文書を作るには便利であった。日本語用はなかった。「一太郎」という日本語のソフトがあった。
歓迎会でひと通りの「義務」を済ませたのか、ゆかりは浩太郎に、話しかけても良いか、と尋ねてきた。良いも何も、そのための歓迎会ではないかと浩太郎はゆかりに笑顔を送った。
「失礼ですが、いつ頃のご卒業でしょうか?」
「W大闘争のころだね。在学中にビートルズが初めて来日したり、地下鉄の東西線が開通した頃だよ。東西線が開通する前は、JRの高田馬場駅から大学まで学バス、といっても都バスが出ていて、往復十五円だったかな」
「えぇ?、それって、ちょっと待ってくださいね、いつごろか計算しますから」
「計算には及ばないよ。東京オリンピックの翌年の入学だった。一浪だけどね」
「東京オリンピックの時は、えぇと、私まだ小学校にも行っていなくて、四歳か五歳だったと思います。ということは、えっ! そんなにお歳なんですか! だって私より十五、六歳も上ということになりますよねぇ」
こうしてゆかりとの話が始まった。
ゆかりは、大学公認の女子硬式テニス部の主将だったという。れっきとした体育会系ではないか。その晩のゆかりは、肩までのセミロングの髪に、水色に白玉模様のようなワンピース姿、そしてやや細身。しかも話しぶりはおっとりしていて、とてもじゃないが相手の速球サーブを機敏に打ち返せるようには思えなかった。
「ご趣味は何ですか?」
ゆかりの決まり切った質問に、浩太郎は自分の登山歴を話して聞かせた。
中学生の時に雨の富士山に登ったのが初めての登山。それからは憑かれたように、関東平野の西の端にある丹沢山塊を皮切りに、北アルプスや南アルプスの山々、奥多摩や秩父、それに八ヶ岳などを歩いてきたことを聞かせてやった。
山小屋での生活や自炊の様子なども語って聞かせた。浩太郎は、小屋飯は食べないでいつも自炊なので、小型のガスコンロや薄手軽量の鍋などの調理器具、あるいは、担ぎ上げる肉や野菜を、夏場は冷凍したビールを保冷剤代わりに、それを包み込むように包装することなどを身振り手振りで話して聞かせた。このような山の話は、彼女には未知の分野だったようで、興味津々という感じだった。質問もたくさん出たが、
「バスタオルなども持っていくんですか?」
といったような、頓珍漢な質問が逆に可愛らしかった。
Y課長がお開きだと知らせるまで、浩太郎とゆかりの山談義は続いた。ゆかりは浩太郎と初めて会ったのに、ずっと前にどこかで会ったことがある気がした。新しい会社の偉い部長さんなのに、初対面の緊張感がほとんどなかった。話を聞いているとどのような質問にも答えてくれるような気がした。深い親切感を感じた。
二 給湯室でのチャット
会社で浩太郎の秘書が席を外した時を見計らって、ゆかりが浩太郎のデスクへやってきた。
「山へ連れて行ってください。体力には自信があります」
とのことであった。大きな瞳で浩太郎をしっかり見つめて言った。「ノー」を言わせぬ強さを感じた。
浩太郎は周囲に気を使いながら、
「何も勤務時間中に、私の席へ来てそんなことを頼まなくても、朝、駅から会社まではときどき会うのだから、その時にでも気軽に言えばいいのに」
と軽く諭した。
「でも、朝は他の社員もたくさん歩いています。私は星野部長と並んでなんか歩けません」
ほう、そういうモンか、と浩太郎は思った。以前在籍していた外資系企業では、新入社員でも部長職の浩太郎を「さん」付けで呼んでいた。そういうフランクな雰囲気があった。
逆にM社は、外資系企業とはいえ、英語を話すのは本社の社員だけで、地方本部の社員に英語を話せる者はいない。社内では役職者を役職名で呼ぶ。普通の日本企業と同じだ。だから浩太郎がM社へ入ってきたときにも、社員は浩太郎を「部長」と呼ぶ。
せめて「星野部長」とでも姓を入れて呼んでくれたらいいのだが、背後から単に「部長」と呼ばれても気が付かなくて、失礼をしたのは一度や二度ではない。
外注先の広告代理店や印刷会社の営業担当者が、浩太郎に面と向かって会話中に「部長」、「部長」と呼んで来るのにも、違和感がなくなるまでに少し時間がかかった。
ゆかりが浩太郎のデスクに来た日は、アフターファイブに予定はなかったので、ゆかりとしめし合わせた時間に、社が入居しているビルの前から二人でタクシーに乗った。これが不注意だった。
ゆかりと浩太郎がビルの前でタクシーを待っていた、あるいは乗り込むところをM社の女性社員が目撃していたのだ。浩太郎にしてみれば、社の前から社の女性とタクシーに乗ったからといって、ぜんぜん気にすることはなかった。これが翌朝のM社の給湯室チャットで話題になった。「大奥」の女性も耳にしたことが、後で分かった。
その朝、茶を持ってきてくれた秘書が小声で言った。
「部長、気を付けてください」
「? 何だね」
「きのう、電算室へ新しく来た女性とデートしたでしょ」
と、キッと軽く睨む。
「えっ?」
「二人がタクシーに乗るところを見られています。同じ大学の方なんですって?」
これは、給湯室の女性たちがジェラシーを抱いたのではない。スキャンダルを予見したのだろう。浩太郎は離婚してひとり暮らしであった。
M社の「大奥」は、未婚の中年女性でどこへ出しても恥ずかしくない美人でプロポーションも素晴らしい。話し方もおっとりしていて上品である。そうしたきれいで優しく、頭もよい彼女には凡人クラスの男性は近付き難い。それでいまだに、ひとりでいるのかもしれなかった。出張精算や前払金、その他経理一般を二人の部下と担当している。
実は浩太郎と「大奥」には、息のあった友達関係ができていた。二人で何度か夕食に行ったこともある。浩太郎は微醺に乗じて一度、彼女の形の良い胸をそっと持ち上げたことがある。薄いブラウスとブラジャーを通してしっかりとした質感が掌(たなごころ)に残った。手を押し下げられ、笑い顔で叱られた。
その「大奥」に社の廊下でバッタリ出会った。
「あぁら星野部長、お若い彼女ができたようね。もう一緒のお食事止めようかしら」
浩太郎は、いい訳にしどろもどろであった。
三 西洋美術史専攻
浩太郎はゆかりの希望を受けることにした。さしあたり近場の山で料理も楽しもうと、奥多摩の大岳山へ行くことにした。
大岳山は御岳山の南西にある、頂上からの展望がよい山である。夜景が素晴らしく、東の方に位置する青梅市や八王子市の街明かりが、それこそたくさんのダイヤモンドをぶちまけたように輝く。南西には富士山も展望でき、奥多摩では人気のハイキングコースとなっている。
通常はJR青梅線の御岳駅からバスで御岳山の麓にあるケーブルの駅まで行く。そこからケーブルでは六分で御岳山(九二九メートル)の頂上へ着く。歩くと約一時間の行程だ。
そこからやや上りの尾根伝いに二時間弱歩くと大岳山直下の大岳山荘へ到着する。急な斜面を少し登れば大岳山(一二六七メートル)の山頂となる。ほぼ三六〇度の展望がきく。
山頂からは尾根伝いに約三時間でJRの奥多摩駅に到着する。通常なら全行程五時間半の1日のハイキングコースである。
しかし、浩太郎は大岳山荘が気に入っている。それは、一泊すればゆっくりとした山旅が楽しめるからだ。小屋の親父とも気が合い、ストーブに身を屈めて酒を酌み交わすのも興がある。これまでに二回ほど泊まり、いつも宿泊客などはいないので二人で杯を交わしては、山の話を楽しんだ。
小屋には食事の支度がない。登山者が自炊することになる。通常は日帰りコースの休憩地となる。二階の宿泊部屋には二十人分ほどの広さと布団はあるが、宿泊者はいつもほぼいない。高校生のワンゲル部員たちがときどき泊るくらいだと言う。
ゆかりと浩太郎はJR中央線の立川駅で待ち合わせ、そこでそれぞれ好みの駅弁を買った。これは青梅線の御岳駅のホームでベンチに座って食べるのだ。ホームからは目の前に日の出山(九〇二メートル)に連なる山裾があり、新鮮な空気に包まれながらの弁当食いは誠に気持ちがよろしい。都会暮らしのゆかりにも、そのような非日常的な経験が楽しいらしく、幼稚園児のように目を輝かせながら弁当を頬張った。
ゆかりと浩太郎は、バスを降りてからはケーブルカ―を使わずに、歩いて御岳山頂まで行った。この登山道は、クルマも通れるほどの幅があり舗装されていた。ゆかりは小学校の遠足できたと懐かしがって登って行ったが、記憶はほとんどないようだった。
午後三時頃には大岳小屋へ着いた。ふたりは荷物を小屋へ置いて、山頂を目指した。荷物はないので十分も歩けば頂上へ着く。頂上からは南西の方向に富士山、南のずっと向こうには丹沢山塊、振返って北の方は木立で景色はさえぎられるが、奥多摩の低山がずっと続いている。山屋の浩太郎にしてみれば、このような頂上達成感はこれまでに何回も味わってきているが、ゆかりには珍しい体験で、
「わぁ、すっごぉい」
などと、感嘆詞を連発する言葉ばかりであった。
大岳山荘の前には、下は三、四十メートルくらいの崖の上に広い休憩所がテラス状にせり出して作られている。小屋の親父が廃材で作ったのであろう野性的な感じの食卓や、太い丸太を輪切りにしただけの不揃いの椅子が何組か置いてある。ゆかりと浩太郎はそのうちのひと組に陣取った。二組ほど他の先客がいたが、日帰りなのであろう、ほどなく下山していった。
浩太郎は調理道具一式をザックから出した。食材の包装も出して、ゆかりに開かせた。中からは肉や豆腐、ネギなどが出てきた。具材はすでに切り刻まれていた。
「あら、何を作るのかしら?」
「すき焼きでもしようかと思って」
「えっ、こんなところでですか!素晴らしい!」
包みの真ん中には、冷凍から解凍されかかったビールが保冷剤代わりに二缶入っていた。
西の方には富士山が霞んで見える。まだ陽はある。浩太郎はラードで牛肉を焼き、焼き豆腐や白滝などもみんな鍋に放り込んだ。
「はい、以上マル! 後は待つだけだ」
崖を這い上ってくる冷気が、頂上を往復して火照った二人の身体に心地が良かった。二人はビールで乾杯した。ゆかりがチーズや乾きものなどのフィンガーフーズを出した。
「こんなことって初めてよ。キャンプには行ったけど、平地と山の上では感じがぜんぜん違いますね」
ゆかりは大学時代、西洋美術史を専攻していた。ゴーギャンやセザンヌ、それにルノアールなど、浩太郎が名前くらいしか知らない画家の、生い立ちや主な作品について、おっとりした口調ではあったが、歴史や描き方などにつき雄弁に説明してくれた。
四 まだ七時半ですよ
陽が落ちた。しかし西の山の端のあたりは、夕焼け空が赤い色から紫色へと次第に変わっていく。富士山のシルエットが明確に浮き出している。周囲には誰もいない。冷気が時折、崖を駆け上ってくる。ゆかりは時間の移ろいとともに変わりゆく空の色に虜になったようにずっと見つめている。
手元が見えるうちに小さな晩餐の片付けを済ませ、二人は小屋へ入った。小さな小屋だから人気のある山小屋のような受付けカウンターも休憩スペースもない。八畳間ほどの土間の真ん中にダルマストーブ、その周りに折りたたみ椅子が四、五脚ほどと、食事用や物置用のテーブルが一台があるだけだった。
浩太郎には馴染の親父が、ストーブに薪を焚べていた。親父はいつも無口だ。必要なことしか話さない。その晩は、何処其処(どこそこ)の高校の登山部の学生たちが、八時ごろに小屋に来ることになっているとのことだった。夜間山行の訓練かもしれない。暗くなってから登り始めるのであろう。
二階には一段と高くなったところがあるから、そこで休んでくれといわれた。学生たちには低くなった広間の方に寝るように言いつけてある、とのことであった。山小屋はどこでも間仕切りなどはない。大きな小屋では割増料金で個室を確保できるが、部屋と部屋との仕切りはだいたいが薄い板一枚で、大きな鼾などは筒抜けとなる。
二階には、照度の低い裸電球が二つ下がっている。浩太郎たちは自分たちの部屋の方の電気をつけた。部屋の隅はに、親父の性格を表わすかように、布団の四隅がしっかりと揃えられて積んであった。
ゆかりは小屋泊まりに際して、バスタオルがどうの、パジャマがどうのという質問をして浩太郎を苦笑させた。旅館に行くのではないので、原則、どの小屋にも風呂はないし、携行荷物はできるだけ軽くするのが山行の基本だ。着替えなども下着パンツと靴下くらいで、あとは着の身着のままである。歩行中に汗をかいても、体温で乾かす工夫がいる。
浩太郎は二組の布団は、離して敷いた。
「離すんですか?」
とゆかりが言う。
「普通、離すだろう」
「はぁい。でも、後ろ広いし。怖い気がするなぁ」
言って聞かせておいたように、ゆかりは枕には持参のフェイスタオルを巻いた。また、電灯の陰になるようなところへ行ってジャージーに着替えてきた。
床に入ってから、ゆかりは山行での先ほどの料理や飲食が初めての経験でとても楽しかったといった。また、こんな山奥の、お化けが出そうな山小屋に泊まるのも、とても興奮すると言った。次は、どこかへまた連れて行ってくださいね、という。
「この間、お聞きした白馬岳が素晴らしそうだわ」
浩太郎は、酒が少し回ってきたのか、ゆかりの話に眠そうな返事をしていた。
「えぇ? もうお休みななっちゃうんですか。こんなに早く床に就いたことはないわ、ねえ、まだ七時半ですよ!」
浩太郎が生返事をしていると、ゆかりが枕をもって立たずに、くねくねと浩太郎の布団へ入り込んできた。
「ねぇ、もっとお話しましょ、まだ七時半ですよ」
ゆかりの吐息が浩太郎の顔を掃いた。清潔な香りがした。いつの間にか口を清めてきたのであろう。ゆかりの顔が目の前にあった。大きな瞳が常夜灯の中で黒く光っている。愛おしさが込み上げてきた。腕をゆかりの頭の下へ回した。
ゆかりは昼間と違った女の子のように、浩太郎の唇を指でなぞったり自分の唇を合わせてきたりした。浩太郎がゆかりの成すがままにしていると、ゆかりは舌を絡ませてきた。浩太郎は眠気が覚めた。
浩太郎がゆかりの胸に手をやると、柔らかい肌に直接触れる。着痩せしているタイプであった。唇を浩太郎の唇に合わせたまま、ゆかりは吐息を、時には長く、時には短く、浩太郎の口の中に吐く。浩太郎はゆかりの胸をゆっくり揉んだり、先を摘まんで弄ったりする。
ゆかりの背を優しく履くように摩る。腰の回りにも指を下ろして這わせる。ゆかりの下着のレース部分に浩太郎の指が遊ぶ。ゆかりの熱い吐息が浩太郎の顔を湿らす。
ひとしきりそんな戯れをしているときであった。ガタガタと建付けの悪い階下の引き戸が開けられる音がした。浩太郎たちが二階で休んでいることを小屋の親父から聞いてきたのか、何人もの若い男たちの低い声がする。
これを機会にゆかりの甘えは中断せざるを得なくなった。舌を深く絡ませるような口づけを二人は何回もして休みについた。
五 なぜ短期に二回もニュヨークへ
その後、浩太郎はゆかりを北アルプスの白馬岳へ連れて行った。白馬岳にある白馬山荘と鑓温泉小屋に泊った。鑓温泉は白馬鑓ヶ岳の中腹、標高二一〇〇メートルのところにある山小屋にある。こんな高所に温泉が豊富に湧いている。その露天風呂から見下ろすV字谷の景観は圧巻である。
奥多摩の山行とは違った山歩きに、ゆかりは道々いつもいつも感心していた。奥多摩と北アルプスでは景観のスケールがまるで違っていた。
三回目の山行は北八ヶ岳であったが、その時は「彼」を連れて行っていいか、ということであった。何? 「彼」がいたのか。そうならそうで浩太郎は控えなければならなかったことのいくつかを思い出した。
ゆかりは、彼とは北海道へ単身旅行した時に知り合ったのだという。彼は自動車のエンジニア、といえば恰好がよいが修理工である。レースに出るクルマの整備や調整もするらしい。浩太郎は、二人はただならぬ関係にある、と見た。
ある時、ゆかりは浩太郎と夜飲んでいるときに、翌週にニューヨークへ行くのだという。浩太郎は仕事で何回かニューヨークへ行っており、その折、現地で米国の公認会計士をしている友人の宅へ世話になったこともある。
彼はジャズに詳しく、大学の時にはジャズ研にもいた。彼を訪れる彼の友だちは多く、そのたびに彼は、仕事を休んで観光ガイドを買ってでるわけにもいかない。自分でジャズスポットの地図を作成し、友人に渡し、ひとりで観光してもらうようにしている。
そんなこともあって浩太郎はニューヨークにはやや詳しい。浩太郎がゆかりにどこへ行くかを聞いてもはっきりした返答はなかった。
ことが発覚したのは、次にゆかりと飲んだ時だった。ゆかりは、またニューヨークに行くのだという。浩太郎は直感した。ニューヨークに男がいるに違いないと。うら若い女性が二週間あいだを空けただけで、また行きたくなる、ニューヨークはそういう街ではない。
浩太郎はゆかりに短期間に二回もニューヨークへ行くのは、観光ではないだろう、男がいるだろう、と単刀直入に迫った。ゆかりはグラスを置き、唇を固く閉じ、姿勢を正した。
「どうして分かるんですか?」
「分かるよ。ニューヨークは短い間に若い娘が二回も行きたくなるような観光地ではないからさ。女が不可解な動きをした時には、陰に男がいる、これは推理小説を読むときの鉄則だし」
ゆかりの話では、ニューヨーク訪問は見合いの話であった。両親が選んだ青年がニューヨークの国際機関に勤めていた。その彼に会いに、一回目は両親と、二回目はひとりでニューヨークへ行ったのだった。
ゆかりは彼との結婚を決めた。クルマのエンジニアの彼とは別れたのだという。どうも親がクルマのエンジニアとゆかりの、学歴の不釣り合いに異論を持っていたようだ。
ゆかりは彼と結婚し、ニューヨークで新しい生活を始め、子宝にも恵まれ、幸せを絵にかいたようだった。結婚してからは浩太郎と会うこともままならず、年賀状だけの交換が続いた。やがてゆかりの夫は、日本の大学に職を見つけ、幼い子供とゆかりを連れて帰国した。
年賀状はいつも家族の写真が印刷されていた。海外や国内へ旅行に行ったときの家族写真であった。二人の息子さんが年々成長するのがわかった。インテリっぽい夫も年々精彩を欠くように老けて見えた。いつのころからか、家族の写真ではなく、ゆかりのひとりの名前で、裏表とも手書きの丁寧なものに変わっていた。
六 夫の男色
ある時、浩太郎は自分のスマホのショート・メッセージに、ゆかりからメールが入っているのに気が付いた。浩太郎の電話番号やメールアドレスは年賀状に印刷してあるので、ゆかりはそれを見たのであろう。
***
星野部長様
ご無沙汰いたしております。お変わりございませんか。こうしてメールを打ち始めると当時のいろいろなことが懐かしく思い出されます。山にはいまでも行っていらっしゃるのですか?
私の方は、子供たちも育ちあがり手がかからなくなりました。部長は国家資格をおとりになり、来日する外国人の観光案内をしているそうですね。
私も、観光全般というわけではありませんが、美術館を訪れる外国人に展示してある絵の説明をしています。私の専門の西洋美術だけというわけにもいかないので、日本の美術史なども勉強しています。外国人は、どうも日本画の方に興味があるようで、私としてはますます勉強しなければなりません。
部長はいまでもお若くて凛々しくご活躍のことと思いますが、お身体にはどこか具合の良くないところなどないでしょうね。
ちょっと間が空いてしまって、どこからどのようなことを話していいかわからないので、とりあえずメールをお送りしています。
今度、お電話してもよろしいですか? ご都合の良くない日とか時間帯があればお知らせください。その時間を外してお電話を差し上げます。
また、もし出来れば、お会いしてお話を聞いていただきたいことがあります。
お久しぶりなのに、とりとめのないことを書き並べて恐縮しています。
季節の変わり目なので、十分ご自愛ください。
***
ゆかりちゃんへ
人妻に対して、いまだに、ゆかりちゃんなんて呼んでいいのだろうか?
久しぶりだね。メールをありがとう。元気そうで何よりだ。
君のメールの中の「お話」というのが気になります。
電話は、いつでも構いません。その時、都合が悪ければ、そう言うから、頼んだ時間にもう一度電話してくれればいいよ。
***
星野部長様
わぁ、さっそくのお返事、ありがとうございます。「お話」は急ぐようなことではないのですが、部長と連絡がとれたら急にお会いしたくなりました。
急で申し訳ないのですが、お会いできますか? お忙しいのでしょうね? いつがよろしいですか?
***
ゆかりちゃんへ
いまは、毎日、事務所へ通うというようなことではなく、自宅事務所であれこれしているので、ま、「毎日が日曜日」で、あれ、こういう小説があったね、城山三郎だったかな?
で、いつでもいいです。それより君の方は主婦だし、土、日より平日の方がいいのではないかな? 時間も夜より昼間の方がいいでしょ。
***
星野部長様
ご配慮、ありがとうございます。
では、来週の木曜日はいかがですか?ランチを一緒にしましょう。
***
ゆかりと浩太郎は実に久しぶりに日本橋のPホテルで会うことになった。ここのランチは値段が高くなくて素敵だというゆかりの提案だった。ゆかりはむかしから、ちょっとしたレストラン選びが上手だった。目黒のイタ飯屋とか曙橋のフレンチ屋とかも、小洒落ていて隠れ家的に素敵なレストランだった。もちろん、料理もワインも美味であった。
ランチでの話題は多岐にわたった。ゆかりがニューヨーク滞在中に郊外の山や湖で家族で遊んだことや、子供たちの社会活動に参加したことなどであった。すべてが日本よりスケールが大きく、浩太郎に北アルプスに連れて行ってもらったときには、その景観の雄大さに惹かれたが、アメリカのそれは日本のものを遥かに凌ぐものである、とのことであった。
ゆかりは、浩太郎が離婚してひとり暮らしであることを知らなかった。浩太郎でも離婚するのか、とゆかりは驚いた。ゆかりは独身の頃から、浩太郎に惹かれるものがあった。同じ大学ということもあるが、そんなことより浩太郎の、何事でも深く包んでくれる懐の深さというか、話しているときの安堵感がとても良かった。そんな浩太郎でも離婚なんかしてしまうんだと、ゆかりは何か腑に落ちないものが残った。離婚という浩太郎の陰の部分を知って、ゆかりは自分たち夫婦の陰の部分を話してみてもいい、と思った。
ゆかり達の家族は、結婚後六、七年ニューヨークで過ごしたあと、日本へ帰国してきていた。浩太郎はそれを年賀状で知っていた。夫に日本の大学での職が見つかったからだという。教授か準教授か、あるいは講師かその職位はわからなかったが、ま、世間的には「教授夫人」になったんじゃないか、と浩太郎が軽口を叩いた。
「そんなことは、どうでもいいんですが、・・・実は・・・星野部長だからお話しますが、ちょっと恥ずかしい話なんです」
「どうしたの? 上手くいっていないの?」
「上手くいっていないといえば、そうでなんですが、もう、寝室も別ですし・・・」
ゆかりによれば、彼女の夫は数年前から、よくマッサージに行くことになった。ゆかりにしてみれば、男性も中年ともなれば身体に疲れが出て来る、ということはテレビ番組などで見聞きして知っている。別に高額な施術料でもないので、週一回ぐらいの頻度なのだからと、彼の好きに任せていた。彼は、夕食を済ますといそいそと、というような感じで出かけて行った。
ところがある時、マッサージに行っている彼から電話があった。今夜は帰らないという。施術後の疲れが出たのでこのまま休んでいきたい、とのことであった。それが、よく続くようなたった。いまでは、毎回、朝帰りだという。
ゆかりは最初、マッサージ屋さんに宿泊施設などがあるのかしら、と思った。念のために、ネットでそのマッサージ屋さんを検索してみると、そんなことはどこにも書かれていない。夫に質してみればいいことなのだろうが、その頃二人はすでに寝室は別になってしまっていたので、質すことが躊躇われ、そのままになっているのであった。
ゆかりはある時、近所のチャット仲間の主婦から、
「夕べ、商店街のアーケードで、ご主人がどこかの男性と仲良く話しながら歩いていたわよ。挨拶ができないほど楽しそうでした」
との情報を得た。
ゆかりは、あれ、うちの夫は外飲みするほどお酒は好きではないし、と思った。それに施術後は疲れが出るので、休息しているはずであった。もう一つ腑に落ちなのは、そういえば、夫が自分の下着を自分で買ってくるようになったことだ。それまでは、ゆかりが選んだ、それも結構気を遣ってどこで人に見られても良いような、洒落たデザインや色のもので、価格も弾んだものであった。
ゆかりは、寝室は別になってしまっている夫とはいえ、夫に何が起こっているのかといろいろとひとりで詮索してみた。その結果たどり着いた結論、それは夫とマッサージ師は男色関係にある、ということであった。その結論自体に、ゆかり自身も戦慄せんばかりに驚いた。
ゆかりも中年婦人ともなれば、そういうことは耳学問としては知識を持っていた。ニューヨークにいたころよく聞いたセクマイ(セクシャル・マイノリティ)じゃない。そのような関係にある男が自分の身近にいるんだ。セクマイの存在を認めよ、セクマイの人権を守れ、とは、最近よく言われるようになってきた。冗談じゃないわよ、世間とウチとは別よ。しかも自分の夫が男色だなんてとても受け入れることはできなかった。
寝室を別にしたことが原因かしら。私が原因なのかしら。いや、よく考えてみると、彼にはそんな気(け)があり、その頃、ゆかりは彼がそういう人であることは見抜けていなかったが、なんとなく彼のそんな雰囲気に嫌気が差し始めて、彼に接触するのを避けるようになったのかもしれなかった。
夫とマッサージ師がそんな関係になってから、自分は夫に抱かれたことがあるのであろうか。夫にそんな気配、といっても、その時ゆかりにはそれが男色関係とはわからなかったが、そんな気配があったからこそ寝室を別にしたのだ。ということは、夫はある期間、「両刀使い」だったのだろうか?ゆかりは吐き気がするほどの衝撃を受けた。
とはいっても、夫が男色関係にはない、ということは何で証明できるのか。ゆかりには証明の手掛かりはひとつも見つけられなかった。
「私にどこかいけないところがあったのでしょうか?」
ゆかりは深刻な顔をして浩太郎を見つめた。息子たちの将来もあるし、生活費のことを考えると離婚することもできない。
「それは、あなた方の生活を見てきた訳ではないし、旦那さんにも会っていないので私としては何ともいえないなぁ」
「ですよねぇ。最近では彼の顔を見るのも嫌だし、下着の洗濯も気持ちが悪いの」
ゆかりは、寝室を別にするように言い出したのは自分だが、彼はその提案にスンナリ賛成したと言った。それは、ゆかりに自覚症状はなかったが、彼が男色であることを彼女の嗅覚は嗅ぎつけていたのであろう。
夫婦別床は、ゆかりから言い出したことではあって、その時の当面の問題は解消できたけれども、別床で孤閨を託つことは思った以上につらいことで、これはこれでゆかりには新たな課題となっていた。自慰ではそれなりに満足は得られるが、それは自慰に過ぎなかった。ゆかりは女の性(さが)に囚われていた。
七 そうなりたいと思ってた
浩太郎のスマホにゆかりからメールが入った。
***
星野部長様
先日はお久しぶりにお会いできて嬉しかったです。
ありがとうございました。
普段できないいろいろなお話もできて、何か気持ちがすっかり軽くなったような気がします。結婚して、夢中で子どもを育てて、それはそれでとても楽しかったです。
子どもが小さい頃はニューヨークにいたこともあって、学生時代に仲の良かったお友達にも会えず、母もしばしば来てくれるわけでなし、少し淋しかったです。しかし、その頃は主人も優しくて、私がそうされたいな、と思う頃にそうしてくれました。
いっぽう、日本へ帰ってきてからは、子供たちは大きくなり髭なんか生えるようになってくると、母親である私なんかとあまり口をききません。仲が悪いのではないのですが、何を言っても、ああ、とか、分かった、とかそんな返事ばかりです。
夕食を作っても、男ども三人はひたすら食べるばかりで、私は給食のおばさんのようです。いつかは、あまりにも腹が立ったので、
「おいしいの! そうじゃないの! 何とか言いなさいよ!」
と怒鳴ってしまいました。
娘さんがいらっしゃるお友達のところでは、彼女と娘さんがお友達のように一緒に料理を作ったり、お話をしたりするそうです。そういわれれば私も娘のころは、母といろいろとお話をしました。
最近では、子供たちはともかく、主人とぐらいはいろいろとお話もしたいのですが、彼はお話したような状態なので、もはやどうにもなりません。
そんな八方塞がりの時に星野部長とお話しできたので、気持ちの中のモヤモヤが一気になくなったようになり、帰り道には鼻歌でも出て、スキップでもしたくあるような感じでした。ほんとうにありがとうございました。
あら、長いメールになってしまって申し訳ないです。
急で恐縮ですが、またお会いしたいのですがよろしいですか?
次の木曜日、今度は夕食を一緒にしていただけますか?
その日は、主人は出張で、上の息子は合宿、下の息子は飲み会なので、夕食は作らなくていいし、遅く帰っても大丈夫です。
ご返事、お待ちしています。
***
ゆかりちゃん
メールをありがとう。
あの、星野「部長」はやめてくれるかな。何か業務メールのような気がする(笑)。
木曜日、大丈夫だよ。
待ち合わせ場所は、新宿駅東口の「馬の水飲み場」でいいかな。
***
「馬の水飲み場」はJR新宿駅の東口にある。明治三十年代にロンドン水槽協会から東京市に寄贈された水槽で、前の上部分が馬用、下が犬猫用、そして後ろ側が人間用の水飲み個所になっている。世界でも数少なく貴重な史跡だといわれている。大正初期までは、荷馬車を引く馬がこれを利用していた。関東大震災や戦災などで各地を転々としたが、浩太郎が大学生のころ現在地へ移された。当時の学生の間ではよく知られた場所だが、いまの人で知る人は少なかろう。
「馬の水飲み場」でゆかりと待ち合わせた浩太郎は、ゆかりを、職安通りの狭い路地を入ったところにある韓国居酒屋へ案内した。雑居ビルの二階への狭い階段を上るとその居酒屋があった。
客席二十人ほどの小さな店だが、韓国風のインテリアで従業員はすべて韓国人である。客もすべて韓国人のようだった。従業員は日本語が堪能だし、メニューも従業員がゆかりと浩太郎を見て日本語のものを用意してくれるのでありがたい。
メニューには写真が貼ってあるので、日本人にも品目選びが楽である。
「素敵なお店ね。韓国のお店のような感じがするわ。韓国へは行ったことはないけど」
「君にお願いすると、フレンチやイタ飯、エスニックなどとお洒落なお店を探してくるけど、私だとこんな店になる」
「よくいらっしゃるんですか」
「韓国人の知り合いがいるんで、ときどき連れてきてくれる」
「どんなお料理が美味しいのかしら。写真はみんな美味しく見えるわ」
「韓国料理は肉がいいだろうね。東京のほかのところには韓国焼き肉屋もたくさんあるでしょ。この写真のサムギョプサルがいいと思う。代表的なものだよ。サムは数字の三、ギョプは層、高層ビルの層ね、そしてサルは肉、日本でいうところの豚の三枚肉のことだ。生野菜もキムチもついてるよ」
「何か、食欲をそそるような盛り付けね」
「もう一つは、これ。タッカルビというの。こちらは鶏肉、鶏肉は韓国語でタッというんだよ。カルビは焼肉でよくいうカルビのことで、意味はあばら骨だね。写真にあるように、鶏肉にキャベツや玉ねぎ、ニンジンなどの野菜をコチジャンで甘辛く炒めてある。コチはトウガラシで、ジャンは醤(ひしお)すなわち味噌のことだね。コチュジャンとも言う」
「わぁ、星野部長、詳しいのね」
「おいおい、部長は止めてくれよ」
「あ、そうでした」
「お酒はね、韓国では焼酎が一般的だね。焼酎のことは韓国語ではソジュというんだ。度数はいろいろあるけど、ここのお店のは・・・と、あ、十七度だね。十七度だと、日本酒より少し強いくらいだね。韓国の人はだいたい、冷やしたものをストレートで飲むよ」
「この写真のグリーンのボトルがそうかしら」
「そうだね、これは代表的な焼酎でチャミッスルという。ボトルに書いてある」
「部長、・・でなくて、星野さん、でいいですか? 星野さんていろいろ造詣が深いのね」
「そういうんじゃなくて、韓国財閥の日本法人にいたことがあるんでね。その頃、駐在員によく連れてきてもらった。ボトルのこのハングルはチャムイッスルと読むんだけど、リエゾンが入って、チャミッスルと発音する」
「えっ、ハングル、読めるんですか」
「読むだけなら、誰でも一日で読めるようになるよ。ハングルは表音文字だから、日本の平仮名やカタカナと同じだ。問題はその意味が解らない。一生懸命覚えるしかないね」
「このお酒、ソジュ、でしたっけ? お味は? 辛いのかしら?」
「それがね、ま、ちょっと甘いかな。これ天然の竹炭で精製しているらしい。四回も蒸留しているので、すっきり感が私は好きだ。原料は米や麦の糖蜜だね」
浩太郎が韓国料理やソジュの蘊蓄を傾けていると、料理やソジュが運ばれてきた。
「わぁ、すごぉい」
ゆかりは料理の盛り付けが、サンチュの緑、白菜キムチの赤などとカラフルで、盛り付けも大胆なので感激の声を上げた。浩太郎はこれは日本的な盛り付けだと思った。韓国内では、量は多いが盛り付けはもっと実用的というか雑な印象があった。
ゆかりには肉もソジュも美味しかった。気が付いて見れば、周りの人はみんな韓国語をしゃべっていた。お店の韓国的な内装も異国情緒を盛り上げてくれた。
「わぁ、美味しかったわ。食べすぎちゃった。ソジュもよく飲んだし」
「それは良かった。チャミッスルって、良かったろう?」
「そうね。私、あれ好きになりそう。キムチとかお肉とよく合うのね、また、連れてきてくださる?」
店を出て、コリアンタウンと呼ばれるようになった一帯を歩いてみた。コリアマーケットという韓国食材のお店ものぞいてみた。ゆかりには珍しいものばかりで飽きなかった。
「あ、これマッコリでしょ」
ゆかりがカタカナでそう書いてあるボトルを指さした。
「そうだね。正確には、日本語のカタカナ的にはマッコルリとこのハングルは読める。しかし、ルの発音は日本人には難しいし、実際にはマッコリと聞こえるのでいまではマッコリで通っているよ」
「わぁ、詳しいんだ」
ひと通りコリアタウンを散策した。秋の風が微醺の二人の頬に心地よかった。まだ、早いし、浩太郎は高層ビルの上の方で、静かに飲もうかとゆかりに持ち掛けた。
ゆかりは二つ返事で了解した。
ふたりは西口へ向かう。そのためには歌舞伎町を横切らなければならなかった。歌舞伎町は世界最大の飲食・歓楽街で知られているが、コリアタウンがある北側の方一帯はラブホテル街であった。色とりどりのネオンが賑やかに出ている。建物そのものにも工夫が凝らされている。
ゆかりは、ホテルの入口の工夫や料金表示などを見ながら、ふぅん、とか、なるほどね、と呟いている。
ネオンがあまり派手ではなくて、静かな雰囲気のホテルの前に来た時だった。いつの間にか浩太郎と腕を組んでいたゆかりは、浩太郎を引き留め、そのホテルの入口の方へ浩太郎を静かに押していった。
一瞬のことで、浩太郎はその事態にたじろいでしまった。ゆかりを引き留めて、いいのかい、と問うた。ゆかりは浩太郎の目をみて、頷いてはさらに奥へ歩むのであった。
「いけない女よね、私」
ホテルの部屋のソファに腰かけてゆかりはそう呟いた。ゆかりにはむかしの面影はそのまま残っていたが、成熟した女性の落ち着きが感じられた。
「私ね、お家を出るときから決めていたの。もし星野さんとこのようになる感じだったらそうなりたいと思っていたの」
「だって、ずっと淋しかったのよ。でも、この間、星野さんとお話してから、何か先が見えるような感じがして、気持ちがとても軽くなったの。この歳になって、この間のような相談を聞いてくれる人なんか、もう出てこない、と思っていたの。このまま、年取ってだんだんおばあさんになっていくなんて嫌だなぁ、そう思っていたの。私、まだ枯れ木じゃないわ」
「こんなこと突然で、驚いたでしょ。いけない女よ。でも、考えていたの、私がこんなことをしたら星野さんて、逃げちゃうかなぁって。でも、私はあなたは、あら、いやだ、あなただなんて、でもいいでしょ、あなたは逃げないと思った、ね、そうでしょ」
ゆかりは放っておけば、照れ隠しなのだろうか、いつまでも喋り続けそうであった。壊れたラジオのようであった。
浩太郎も前回会った時に、話を聞いてやって、ゆかりを愛おしく思うようになった。しかし、いい年をした中年をとおに過ぎた男が、寝室は夫とは別にしているとはいえ、人妻にこちらからアクセスするのは気が引けていた。
浩太郎はゆかりに微笑んで頷いた。するとゆかりは、堰を切ったように浩太郎に飛びついてハグしてきた。それはまさに肉弾のような圧力があり、立って話を聞いていた浩太郎は ベッドの上になぎ倒された。ゆかりも中年婦人ともなれば、むかし、山小屋で抱き合ったようなスリムさはどこへやら、どっぷりとした胸や腰が遠慮なく浩太郎にのしかかってきた。
ゆかりは浩太郎が彼女を受け入れてくれることが確認できて、天にも昇る気持であった。ベッドの上で浩太郎の首にしがみついたまま、身体をゆすり喜びやお礼の言葉を何回も繰り返した。ベッドが大きく弾んだ。
八 枯れ木でない道
「私、太っちゃったから、笑わないでね」
立ち上がって、ずり上がったスカートを直しながらゆかりは言った。
そんなことは、もう十分わかっているよ、浩太郎はゆかりにわからないように苦笑いをした。
「こっちだって同じだ。体重は変わらなくても、肩回りの肉が腹回りへ下りてきた」
「そうよね。重力には勝てないわ」
「明かり、もう少し暗くしてもいいですか?」
ゆかりの肌には食い込んだブラジャーの跡が付いている。ゆかりももう、若いころの身体ではない。それが裸の浩太郎の衝動をいっそう駆り立てた。
浩太郎はゆかりの過去を思いやった。むかし、ゆかりが酒場で浩太郎に話したところでは、彼女は浩太郎の会社に転職してくる前に、前の会社の上司と一度だけ、情を交わしたという。それが彼女にとって初めての経験であったかどうかはわからない。
その次は北海道へ単身で旅行をした時に、クルマの整備士と出会い、浩太郎と初めて会った頃は彼と付き合っていた。彼とゆかりの学歴差を良しとしなかったゆかりの両親は、見合い相手を探す。相手はニューヨークで国際機関へ勤めるバリバリの国際人である。浩太郎は彼に一度も会ったことはないが、年賀状に印刷された写真ではルックスもまずまずだし、ゆかりとの相性も良かったのであろう。ゆかりは整備士の彼から乗り換え、結婚した。
浩太郎の勘繰りだが、ゆかりは浩太郎と同じ会社にいたころ、浩太郎とどうにかなりたいと思っていた節がある。二人でよく飲みに行っていたころ、そんな素振りがたびたび見られた。しかし、浩太郎にしてみれば、いい年をした中年男が遊びで若い女性と浮名を流すようなことはしたくなかった。
ゆかりにしてみれば、それが遊びであるか否かは関係なく、浩太郎にもっと優しくされたいと思っていたのだろう。大岳山荘へ泊った時はその期待がかなり高まっていたのだろうが、後から小屋へ若い登山客がどやどやと押しかけてきたので、その機会は消失してしまった。そんなことがあったので、浩太郎の送別会の色紙に「星野さんて、いざという時シャイなんだから」などと、他の人の目にも触れるのに、ゆかりは書いたのだ。
いまこうして浩太郎はゆかりと裸で向き合うことになった。ゆかりと初めて会った頃は彼女はまだ子供のようなものだったので、こんなことはしてはいけないと思っていた。しかし、彼女は結婚し、息子たちも独自に歩いている。そんな時に発覚した、それまでやや不仲であった夫の男色問題。
浩太郎は、ゆかりが最後の命綱とも頼むべき立場にいた。浩太郎はゆかりにあった時から彼女に好意を持っていたし、愛おしいと思っていた。ゆかりは歳を重ね、成熟した女性となっていた。ここで彼女と浩太郎の情事を咎めるひとは誰もいない。浩太郎は心置きなくゆかりに優しくしようと思った。
そのような浩太郎の気持ちを知る由もないゆかりは、少女のように天真爛漫であった。
湯舟のなかで二人は向かい合った。
「あら、ちょっとリアルすぎるわね」
ゆかりは浩太郎と面と向かい、彼の顔をまじまじと見つめてそういった。
「こうしましょう、いいかしら」
といってゆかりは浩太郎の方へ自分の背中を向けるように身体を回し、ふたりで同じ方向を見て座った。
浩太郎は、ゆかりが浴室であまり恥じらいもせず、ことを淡々と進めているのを見ると、もう何回も二人でこんなことをしていたのかなぁ、と思われた。両手でゆかりの乳房を優しく揉んだ。ゆかりは小さな嬌声をあげて身を捩った。
洗い場では、ゆかりは浩太郎を仁王立ちに立たせて、隅から隅まで泡で包んだ。浩太郎は空いた手をゆかりの乳房や乳首、腰や尻などに這わせた。ゆかりは、
「あっ、こらっ、おとなしくしていなさい」
と子供を叱すように諭すのだった。
浩太郎が泡まみれにされて、ゆかりがまだ泡を流さないうちに、浩太郎はゆかりの身体を撫でていった。上気したゆかりの顔には汗が滲んでいる。二人はこれが初めてとは思えないように順調に、そして自然にお互いの手をお互いの部位へ伸ばしては戯れるのであった。浩太郎は、こんなに安堵した気持ちを味わったことはなかった。
ベッドへ上がるとゆかりは明かりを少し落とした。ゆかりは浩太郎にキスの雨を降らせた。浩太郎はゆかりの為すに任せていた。
「ねぇ、キスして」
ゆかりにせがまれて浩太郎は、ゆかりの唇に自分の唇を優しく押し付けた。ゆかりが少しずつ喘いでいった。浩太郎は間を置いてみた。ゆかりが唇で追ってきた。長い間二人は舌を深く絡ませていた。
浩太郎がゆかりに入って行ったとき、ゆかりは浩太郎を押し戻すように静かに制して、
「ゆっくりお願いします。しばらくしていないし」
と小声でささやいた。
入るところまで入ると浩太郎は少し動きを止めた。ゆかりが深く呼吸をした。
「大丈夫みたいだわ。続けてください」
「ここまで、長かったね」
「そうね。星野さんに初めて会った時、私、いつかは星野さんに抱かれるかもしれない、と思えたわ。それは、あの頃でも良かったし、結婚してからでもいいと思ってた。でも、星野さんて、いつも真面目でガードが固いのよね。お酒飲んでも崩れないし」
その晩、ゆかりは活発であった。浩太郎の年に気を遣ってかゆかりが上になった。ゆかりは、新しい快楽のポイントを探し出そうとしているのか、あるいはむかしを思い出しながらしているのであろうか、単一動線ではない動きを幾通りにも試しているようであった。
ゆかりの身体は中年とはいえ、弛むような肉はどこにもなかった。中年世代相応の肉付きがあり、二人の律動でゆかりの胸や腹がいっそう蠱惑的になるのであった。浩太郎を咀嚼する力も頼もしく、浩太郎はその愉悦の中を放浪していた。むかし、テニスの選手であった体力がまだ残っているのであろうか、とも思われた。
嵐の後の港の海水面のような、静かな悦楽のハンモックの中で二人は余韻を楽しんでいた。何の音も聞こえなかった。静寂の中にいた。
「とても気持ちよかったわ。いままで味わったことがないような・・・」
「あなたの上にいると、途中であぁっと、意識が飛びそうになるのよ。そんなこと今までになかった・・・。疲れたけど、またしたい・・・」
浩太郎の腕枕の上でそう語るゆかりの耳を撫でながら、浩太郎はゆかりに優しくキスをした。ゆかりの身体が微かに二、三度痙攣した。浩太郎の太ももに覆いかぶせるように、ゆかりは自分の秘部を押し付けていた。そこが脈打っているのを浩太郎は感じていた。これがゆかりと浩太郎の初めての交わりであった。
「男の子、二人だったよね」
「そうよ、何?、急に」
「よく、男の子だけ、とか女の子だけ、という家庭があるよね。ひとりずつとか、私らの世代では二人ふたりとか」
「えぇ?何のお話ですか」
「男女の産み分けの話だよ。アルカリ性とか酸性が影響するって聞いたことあるだろ?」
「あった、あった、それで食べ物に気を付けたりしたわね」
「その、アルカリ性か酸性かということに関係があるかどうかはわからないけど、実は男女の産み分けは、食べ物ではなくて・・・、何だと思う?」
「分かんないなぁ、分かれば皆、実施するでしょう?」
「ストレートな話で恐縮だけど、君ももはや乙女ではないので話すとね」
「なぁに?」
「その晩のね、この中の具合によるらしい」
と浩太郎は腿(もも)を動かし、ゆかりの秘部を刺激した。
「ええ?」
「つまり、ここへ入れて、わっせわっせ、とするでしょう」
「なぁにその言い方、いやらしいなぁ」
「ごめん、ごめん、でね、ここへ入れて男が短い時間でフィニッシュした場合と時間をかけてからそうなった場合で、男女が産み分けられるんだ」
「うっそぉ。そうなんですか?」
「本当だ。私がかつて取材した大学の教授は、蚊の研究をしていてその仮説を立てたそうだ。ただ、人間の場合は寿命が長く、実証に時間がかかる。それで、まず、自分でやってみた。そうしたら男女を思うように産み分けられた。では、ということで次には自分のお弟子さんに試してもらった。そうしたら二人のお弟子さんとも思い通り産み分けたんだって」
「ふぅん」
「その話を聞いたとき、私はまだ独身だったが、結婚してからそれを思い出して、その通りにしたら、見事、望みの長男が出生したということだ」
「で、君の息子さんふたりの件だけど」
「そうそう、それがどうしたの?」
「その先生によると、時間が短いうちにフィニッシュすると男の子が生まれる」
「長いと女の子、ということなの?」
「そう。だからスケベ男に娘沢山、というでしょ」
「そうなの?」
「淡白な男の家庭は男の子ばかりだ。私の同級生には男五人兄弟というのがいるよ。いずれにしてもその夫婦のセックス・パターンが同じだと、何回トライしてもどちらかに偏る、ということなんだね。男女半々に産み分けている夫婦は、セックス・ライフがバラエティに富んでいるんだろうな」
「ま、話は長くなったけど、私が言いたいのは、男の子しか生まれなかった家庭の奥さんは、セックスの本当の喜びを知らないのではないか、ということさ」
「君がさっき、今までになかったような、と言ったんで、そうか、君のところは男の子が二人、だから毎回時間が短くエクスタシーを極めることがなかったのかなぁ、と思った次第」
「うぅん、私にはよくわからないけど、さっきのような感じは主人とはなかったかもね。主人とは時間もそんなに長くなかったし。仲良かったころは、よくしたのにね」
「ねえ、部長、ぁ、ごめんなさい星野さん、ということは、私、こういうことにこれからもっと目覚めていくということかしら」
「かもしれないなぁ、少なくともその素質があることはきょう分かった」
「わぁ、そうなの? 嬉しい! 難しく言えば、私たち、やだぁ、私たちだなんて、もう、妊娠の可能性もないし、それだけを楽しんでいいのよね」
「そうだねぇ」
「あ、そうか、今日は避妊具を付けなかったのも良かったのよね」
そろそろ帰らなくてはいけないね、と浩太郎が促した。
浩太郎はゆかりが洋服をつけているのを後ろから見ていた。成熟したゆかりのこんなにもふくよかな肉体に食い込む下着をみて、浩太郎は自分の衝動をどうにも制御できなくなった。キャッと小さく叫ぶゆかりをベッドの上に押し倒し、下着を乱暴に剝ぎ取った。無様に開いてしまったゆかりの黒い陰りに口を付けた。
ゆかりは、そこに愛撫を続ける浩太郎の頭を押さえたり、両手で万歳をするようにしたり、あるいはシーツを噛んだりして様々な嬌声を上げた。ゆかりの腰の痙攣が浩太郎の頭を蹴上げた。
台風一過。ゆかりは浜辺に打ち上げられた海草のように、しどけなく四肢も黒い陰りも広げたままであった。浩太郎はお湯で絞ったタオルで、ゆかりの黒い陰りを優しく拭ってやった。余韻の波間にたゆとおっているゆかり陰りを、再び口で吸った。ゆかりは声を上げて大きくバウンドした。
こうしてゆかりと浩太郎の新しい局面が展開していった。ゆかりは、このところ本当に身もこころも軽くなった。片頭痛もなくなったし腰痛のような腰回りの鈍痛も無くなった。いちばん違いが出てきたのは肌の艶であった。風呂上がりに姿見を見ても、経年変化の肉付きは仕方がないとしても、乳房にハリが出てきたようだし、腰回りがきれいな曲面となってきたように思った。乳房を掌で少し押し上げて、まだまだ若い人に私負けないわよ、ねっ、と鏡の中の自分に微笑みかけた。化粧の乗りも気持ちよいほどうまくいくようになった。
「節約しましょ」
というゆかりの提案で、逢瀬はホテルではなく浩太郎のマンションでするようになった。浩太郎は息子が独立し、妻も出て行ったあと、三LDKのマンションは広すぎるので売却し、二LDKの小さなところへ引っ越していた。
逢瀬の日の食材は、ゆかりが浩太郎のマンションに近いスーパーで買ってくることが多かったが、持って歩いてくるのが大変だから、ゆかりが書いたショッピングリストをメールしてもらい、浩太郎が買い出しをするようになった。
ゆかりは、やはり夜は自宅にいる方が主婦としては自然なので、二人の逢瀬は、平日の午後に浩太郎の部屋で、ということが多くなった。ゆかりは少なくとも週に一回、時には毎日来ることもあった。
五十路を超えたとはいえ、ゆかりは自分が枯れ木にならない道を選べて幸せだった。避妊にも気を遣わずに、信頼できる男性と交接を心行くまで楽しむことができるのは悦びであった。終えて二人で、けだるさの中に横たわって、悦楽の宇宙に浮いているとき、警戒も恐怖も不安もない、こんな世界があったのだと改めて思うのであった。
自分の旦那とは、下の息子が就職したら機会をみて離婚するつもりであった。

