第2話 PRごころは恋ごころ

PR

◆ Love me, please!

「広告とPRは、どう違うんですか?」と、よく聞かれる。この質問にはPRに携わっている者でも、とっさには答えにくい。なぜなら、日本ではPRという言葉が、いろいろな意味で使われているからだ。

(a)「この商品PR方法考えてよ」とか
(b)「あのイベントはPRが行き届いているね」とか
(c)「PR記事にしたら」など、のようにである。

(a)は販促方法、
(b)は広報だし、
(c)は編集タイアップ、のことだろう。このように日本でPRという言葉は、本来のPRの意味から外れて、狭義的にあいまいに使われていることが多い。

PRを考えるとき、基本的には企業PRと製品PRに分ける。製品PRはマーケティングPRともいう。両者の機能は大きく違う。後者は、製品(商品)の知名度を高めて、より良い販売環境を作ることだ。

PRは狭義ではパブリシティのことをいう。新聞、TV、ラジオ媒体への商品写真・情報の露出を促進することだ。企業PRはPRの基本とも言えるもので、企業(団体)が消費者(生活者ともいう)やその企業を取り巻くパブリックの気持ちの中に、その企業への好意を醸成させることだ。企業姿勢そのものといえよう。

また、企業が危機的状況に陥ったとき、その信頼回復作業なども企業PRに入る。

私がここで申し上げたいのは、何故、企業がそのようなことをするのか、ということである。基本的には、以前にも書いたように、企業がニューヨークのような「人種の坩堝」といわれる市場で、生存していくには社会的存在として、誰にも好かれる存在でいることが大事なのだ。

したがって、PR行為は簡単にいえば「Love me, please!」という「恋ごころ」といえる。広告が「Buy me」と消費者に直接的に働きかける行為であることと対比すれば、その違いがわかりやすいのではなかろうか。

◆ To me, please.

外資系大手広告代理店から、グッドイヤーという米国のタイヤ会社の日本法人へ移籍した。かっこよく言えばヘッドハンティング会社(人材斡旋会社)から「スカウト」されたのである。日本経済のバブル状況が崩壊する直前の「良き時代」のことであった。

役職は、当初は広報部長で後に広告も責任範囲となった。入社前から、当時の社長と新任となる社長の2人と、あるときは3人で、またあるときは個別に条件やPRの展開方法を話し合った。

新任社長は、すでに定年まであと数年という年配者だった。米国の「古き良き時代」のシニア・カーボーイのような風格で、片目をつぶって親指を立てるしぐさや、ゆっくりとした話し方にとても好ましい味がでていた。

その新任社長と2人で、彼の仮宿ホテル・オークラの部屋で話していたときのことだ。「ところで、私はどなたに業務報告をするのですか」
と、つまり、直属の上司は誰かと尋ねた。
「To me, please」(私に)
彼は、自分を指差してそういった。

この反応に対して、私は心の中で快哉を叫んだ。というのは、以前から書いているようにPRという仕事は、基本的に社長マター(社長管掌業務)なのだ。ところが往々にして日本企業や日本にある欧米企業では、PRのピの字も知らない営業本部長とかマーケティング本部長がPR業務の最高責任者でいることが多い。

消費者や取引先、またマスコミに対して、自分の企業をどのように訴求していくかは、じつに経営者の心構えや哲学の問題(つまり恋ごころ)であって、決められた目標管理を任されている、部長職の課題ではないのだ。

この点で私は、非常に幸運だったのである。広告代理店時代にも外資系クライアントのPR業務を多く担当してきた。そのPR部署が、社長直轄のところは2社くらいしかなかった。他は総務部、販促部、マーケティング部などが「やらされている」感じだった。恋ごころのない不毛のPRといえる。

◆ きょうのまとめ

1 PRには、企業PRと製品(マーケティング)PRがある。企業PRは社長の管掌事項であり、製品PRはマーケティング部や販促部などの仕事である。

2 企業PRは、企業の経営姿勢の問題であり、対象に好きになってもらおうとする恋ごころに似ている。一般消費者や株主などの「相手」に好かれるにはどうしたら良いのか。現在、不祥事で揺れている企業のトップには、このような「恋ごころ」があるのか。

3 今回は触れていないが・・・・
企業の対外コミュニケーション、および企業の危機管理はPRの業務範囲である。つまり社長の管掌範囲である。その下位概念として、広告やパブリシティなどのコミュニケーション活動がある。

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