第7話 放置自転車税の公平性と合理性

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東京都豊島区が2005年度から「放置自転車税」を鉄道事業者へ課税するという。税の設定はともかく、これを鉄道事業者へ課税するとは、どういう了見だろう。日本しか通らないこの発想を糾弾する。

◆ バカバカしい大学教授の発想か?

10月9日付け読売新聞には、都市政策の専門家として法政大学の某教授が登場し、豊島区を支持し(示唆したとも取れる)次のように発言している。

「環境に優しく健康にもいい自転車で駅に来る人が多いのは素晴らしい」
「自転車を悪者にしないためには鉄道事業者への課税もやむをえない」
「放置自転車がふえている原因は駐輪場の不足に尽きる」

こんな教授を抱えている法政大学も、自分の大学の「危機管理」をしっかりしていないと、その評価は落ち目いっぽうになる可能性が高い。

私は、もしこれを仮に同席している外国人に通訳する立場にあったら、どうしていいかわからない。理屈が通らないのだ。

◆ グローバル発想、公平さと合理主義

外国人の頭の中は(日本人でもそうだが)、まず、公平という概念が強い。次に合理的という考えだ。

公平さ、という点からすれば、「受益者負担」と「違法者処罰」ということは、当然、誰でも考える。放置自転車の最大の受益者は、乗り捨てた本人であろう。また、放置してはいけないところへ放置することは、「違法者」といわないまでも(条例があれば違法だが)、エチケット違反、マナー違反であろう。

つまり、まず最初に責められ、対応策が講じられなければならないのは自転車を放置した人である。この対象に、何の言及もしないのは不公平もいいところだ。

「自転車で多くの人が駅に来るのは素晴らしい」とな。バカも休み休み言え、と言いたい。田舎ならともかく、都心でそんなことを本気で考えている「学者」がいるとは、日本の了見のなさを国際的に暴露するようで恥ずかしい。

都心部では鉄道の2駅間の距離は近く、10~15分も歩けばどこかの駅にたどり着く。虚弱体質者や荷物運搬がある場合はともかく、都心では自転車は不要だ。歩くことこそ健康なのだ。

「放置自転車の原因は駐輪場の不足に尽きる」についても同じ。駐輪場の設置できる土地や場所などがないことは最初から分かっているのに、こんなことを公言する非合理的思考には、小学生も苦笑するところだろう。

◆ 豊島区の公務員は何を考えているのか?

このような役にも立たない絵空言の示唆を受け入れて、立法化する豊島区も何を根拠にそんなことをするのかわからない。しかも、課税対象を鉄道事業者にするという。鉄道会社もいい迷惑だ。

鉄道会社に課税すれば、間接的に運賃の値上がりになり、豊島区以外の人も自転車に乗らない人も割りを食うことになる。

この税を、自転車メーカーへ課税するというバカバカしいことを発想する人もいるようだが、これも合理的ではないし、第一、頓珍漢だ。

私がなぜ、外国、外国と外国かぶれのようなことをいうかと言うと、外国は風俗・習慣の違う多くの人種が、日々、肌を接して生活している。そのためには、どの人種にも公平な対応をすることと、一民族にだけに通用する非合理的な発想を回避することが、誰もが納得できる最大公約数だからである。

私は、外国企業や外国人と長い間仕事をしてきたが、外国にかぶれるほど自尊心を失っていない。良い点を見つけて行きたいと思う。

さて、推理小説ではないが、今回の「事件」で一番利益を得るのは誰か、と考えると、やはり自転車放置者が犯人のようだ。ポワロ探偵でなくても、誰もがそう思うのではなかろうか。

◆ きょうのまとめ

1 公平性、合理性は、世界中の価値基準。これを逸脱した発想に解決策はない。PR専門家は、いつもこの点に留意すべきだ。

2 大学教授の「お説」は、彼らが独自に決めた基準の中での仮説に過ぎない。その分野での専門家としての意見は拝聴しても、現実レベルでの検証は、当事者が行うべきだ。

3 よくあることだが「企画するバカ」と「それを了解するバカ」の構図は避けなければならない。

◆ 参考書

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