座して死を待たない「スポーツ散歩」、『ガンを叩き出した男』出版

ガン撃退記

医師に「余命1年弱」と診たてられ前立腺ガンの私は、「スポーツ散歩」の効果もあってか発病前の健康状態にほぼなりました。症状はその都度フェイスブックへ投稿してきました。この度それをまとめ『 ガンを叩き出した男 末期ガンからの生還 』という電子書籍として出版しました。同病者が本書により、より勇気をもって闘病し早期に平癒することを祈念します。前立腺の末期ガンを撃退すべく始めた「スポーツ散歩」の距離は、ついに1,500㎞に達しました。東京と下関を往復した距離になります。

 本稿は連載ものです。これまでに以下7本が出ています。
#1 えっ!?私がガン?毎年の健康診断は何だったのか!
#2 ガン撃退作戦開始!「スポーツ散歩」で血流促進、新陳代謝促進
#3 ガンの身で東京ー京都踏破!「スポーツ散歩」で血流促進
#4 歳かな?は要注意 ガンの早期発見
#5 末期ガン闘病1年「絶対に生残る!」強い執念と妻の献身的支援
#6 ガン治療で女性化体質と甘党食性への変化
#7 余命1年クリアして生還祈念旅行

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1 広島・厳島神社紀行

1)家内へのお礼とガン平癒の祈願

安芸の宮島は日本三景のひとつ・厳島神社があることで知られています。私は外国人観光客のガイドとして同地は何回も訪れています。ところが家内はまだ行ったこともなく、ぜひ訪れたいとのことだったので、同島の紅葉谷の紅葉期に合わせて二泊三日の旅行を楽しんできました。
前立腺ガンに罹り余命1年の診立てから、1年余を経過したのに、今日、種々不自由はありますが人の世話にならずほぼ以前の健康体に戻れたのは、何をおいても彼女の、身の回りの世話や外出の付き添い、それに食事の工夫など、継続的かつ献身的な看護のお蔭であると思っています。
今回の旅行は、病平癒の祈願の意味もありますが、何よりも彼女へのお礼という意味が大きいです。
宮島では古民家を改築したギャラリー、土産物店、そして喫茶店を経営しているお店の女性経営者や、広島市内の「お好み村」のお好み焼き「将ちゃん」のご夫婦とも顔なじみで、久しぶりに歓談できました。両店には外国人観光客をたくさん、何回も案内しました。

2)「過ちは繰り返しませぬから」とは何?

広島平和記念資料館」は内装が全面的に改訂されていました。現在では写真で悲惨さを伝える仕組みになっていました。
それはともかく、同記念公園を最初に訪れたときから気にかかり、いまだに得心がいかないのが原爆死没者慰霊碑の碑文の内容です。
「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」
と石碑に刻まれています【写真】。同碑は1952年、平和公園の建設に伴ってつくられました。
日本語の特長として主語がありません。原爆被害者である日本が「過ち」を犯したかのような文言となっています。
東京裁判に関わったインドのパール判事は、原爆慰霊碑ができた年に広島を訪れ「原爆を落としたのは日本人ではないのに、碑文は表現が不明瞭だ」と指摘しました。パール判事のみならず一般の市民や有識者からも疑問の声があがり、碑文を改訂すべきだと注目を集めたこともあったそうです。
碑文のことばを作ったのは、当時の広島市長から依頼を受けた広島大学の教授だった雑賀忠義氏です。英文学が専門で、自身も被爆者でした。碑文の英訳を雑賀教授が決めたことを広島市に伝える手紙が残っており、そこには主語は「We」となっています。
その「We」は、雑賀教授の考えでは「私たち全世界の人々」となっており、これがその後、広島市の公式見解となっているそうです。

3)私の疑問

同公園に広島市民が平和を誓う記念碑を建立することには何の異論もありません。しかし、手続き的に、同碑建立についてや出来上がった碑文の内容について、広島市の市議会(市民の代表)の承認は得ていたのでしょうか?それとも当時の広島市長と雑賀教授の市民不在の個人的な産物だったのでしょうか?
いずれにしても、外国人相手の英語観光ガイドとしては、「We」に日本人を入れて説明することには極めて強い抵抗を感じます。
1945年8月6日(私が生まれて3カ月後)、米国による広島(当時の人口約35万人)への原爆投下により、瞬時にして14万人が即死、それ以上の人が瀕死の重傷を負い、市内を流れる川は死人と重傷者で埋まったと記録されています。
広島市が作成している「原爆死没者名簿」に記載されている人数は32万8,929名となっています。長崎の18万9,163人を加えると合計51万8,092人となっています。(2021年8月時点)

4)美味しかった牡蠣とお好み焼き

広島の美味しいものといえば、私は牡蠣をお勧めしたい。生牡蠣、焼き牡蠣、卵とじ牡蠣など、どれも美味しいです。
お好み焼きは、「お好み村」【写真】というビルの2階と3階全部にお好み焼き屋さんが30店舗ほど入っている中で、私が気に入っているのは「将ちゃん」。外国人観光客を何回も案内しました【当時の写真】。彼らもその味に嵌り、大阪や東京でもお好み焼き屋さんへ行きました。(2023年12月3日記)
#前立腺ガン #末期ガン #末期ガンからの生還 #余命1年 #安らかに眠ってください過ちは繰り返しませぬから #厳島神社 #日本三景 #広島お好み焼き

 

5)私が家内の看病?

「人の世話ができるほど良くなったんだ」
こんな日が来るとは夢にも思っていませんでした。嬉しい限りです。
昨年の8月に前立腺ガンの末期症状(余命1年)で入院(正確には、入院してからそうだと分かった)。1ヵ月の入院後退院。以後、家内には一方ならぬ苦労をかけっぱなしでした。お蔭様で、他人の手を煩わせることなく、いろいろと不自由はあるものの、ほぼ罹患前の生活状況に戻ってきています。
この病で落命することもほぼあるまいというところまで来ました。しかし、まだまだ身体の仕上がりは万全とは言えません。家内の介助を要請することもありますし、精神的にもまだかなり彼女に頼っています。彼女がいない生活は考えられません。
彼女もそんな自分の役割を無意識のうちに弁(わきま)えているのでしょう、私の退院以来、風邪ひとつひきませんでした。
ところが先日、のどが痛い、とか身体がだるいとかを言うようになりました。それまでは私が風邪っぽく、微熱が続き、咳も出ていました。私の方は、なんとか熱も引いて通常の状態に戻ったようでしたが、どうやら私のその風邪が移ったというのが二人の共通した認識でした。
彼女はその日、朝も起きにくく、一日中伏していました。おっとっと、と思いました。したがって、朝、昼、そして夜の食事は私が作りました。食後の食器洗いもすべて私がしました。料理前に食材で足りないものは、近くのスーパーへ歩いて調達しに行き、風邪薬も近くのマツキヨへその足で買いに行きました。風呂も洗い、水を満たして沸かしました。
レジ袋は有料なので、自宅から持ち出したレジ袋に食材や薬を入れて帰宅する途次、
「ああ、私も他人の世話ができるほど良くなったんだ」
と、ふと思いつきました。
こんなに元気になるまで、嫌な顔ひとつせず私の面倒を見てくれた家内に感謝の気持ちでいっぱいになりました。

6)油断大敵、庭で転倒

「油断大敵」ということがあります。先日、両手に荷物を持った状況で、自宅の庭先で転倒。顔や手首、ひざなどを強打。6か所も貼付したバンドエイドからは血が滲んできます。一番痛い左手中指の根元は、素人観察でヒビの恐れあり。慌てて病院へ行きレントゲン診察などをしましたが、「異常なし!」単なる捻挫でした。家内にきつく叱られました。トホホ・・。
写真は日本テレビの人気番組「はじめてのおつかい」からのひとコマです。レジ袋で思い出しました。私はこの番組を制作する「フルハウス」というPR会社に在籍していました。以下、wikipediaからの説明です。
*****
元々は、1988年4月から1994年3月まで日本テレビ系列で放送されていた情報番組『追跡』の1コーナーであったが、同番組の終了後、『はじめてのおつかい』のタイトルで2-3時間の単発スペシャル番組として不定期に放送され始める。
現在は年に2回、冬のスペシャルと夏のスペシャルが放送されている。視聴率は毎回15%ー20%を獲得する人気番組である。これまでの世帯視聴率最高は26.1%(1996年1月、関東地区)。(2023年12月7日記)
#前立腺ガン #末期ガン #PSA

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2 『 ガンを叩き出した男 末期ガンからの生還 』電子出版

1)体力には自信があった

「1年持つかなぁと思いましたよ」
本書は医師が「余命1年弱」と診たてた前立腺ガンの私が、いまなお身体的不自由は多々あるものの、発病後15カ月で誰の介助をも要さず、発病前の健康状態にほぼなり、なお快方へ向かいつつある状況を、その都度フェイスブックへ投稿した原稿を編集したものです。同病者が本書により、より勇気をもって闘病し早期に平癒することを祈念するものです。
【この先すこし長いです。恐縮です】
常勤役員や社員は不在ながらも、株式法人の代表取締役である私は、健康には人一倍注意し、市の年次健康診断は欠かさず受診してきました。
小学生時代には相模原市の健康優良児で表彰され、50メートル走では若い男性教師より速く走れました。
中学生の頃の初めての山行であった富士山登山が病みつきになり、厚木高校時代(神奈川県)にはすぐ西にそびえる丹沢山塊をズック靴(死語?)で歩き回ったものでした。
大学から社会人になっては、奥多摩、奥秩父、八ヶ岳、日本の北、中、南のアルプスなどを憑りつかれるように歩いたものでした。
スイスの山々もトレッキングして楽しみました。小雨の中、山へ向かうスイスのロッジのママの忠告を押し切って、トレッキングに出かけたこともありました。霧で牛乳の中を歩いているようでした。山岳添乗員の資格もあったので十分注して歩いたものでした。
そんな経歴から体力には自信があり、それまで大病の経験はありませんでした。
それが別件で病院で受診したら、体内のどこかに炎症があると数値が高くなる数値が、異常に高いことがわかりました。
とはいえ、「異常」な状態ではあったのですが、どこが異常なのか医師にもわからない。とにかく、このまま帰宅させるわけにはいかないということで、即刻、入院となったのです。

2)もう妻には会えない、コロナ禍の入院

コロナ禍の最中だったので、同行した家内とはそこで別れることになり、もし、私が死亡するとなると、もう彼女には二度と会えないことになったのです。
事実、その入院の日から退院の日まで彼女とは会えなかったのです。彼女に病院の隣の駐車場ビルの屋上に来てもらい、病院の窓越しにスマホで話をしました。
要するに市の年次健康診断なんて屁のツッパリにもならない、ということです。というか、真面目に言えば検査項目に前立腺ガンのチェックができる項目が入っていなかったのです。
有料でチェックできるそうです。そうならそうと最初からそう説明せよ、と言いたいです。そうすれば末期のフェーズⅣになる前に発見できたのです。
大事な疾患の検査項目は、通常の検査項目には入っていませんが、いくらいくら出せば検査を受けられる、と公開しておくべきでしょう。
1項目の検査料金がたとえ数千円だとしても命には代えられません。
なお、私の電子書籍の出版は(中には紙の本もあります)、ノンフィクション(著者名・新津正人)5冊、フィクション(小説、筆名・水流慎太郎)5冊、そして日本文化紹介の英文書3冊(4冊目ほぼ脱稿)となります。
Amazonの書籍通販で著者名で検索すると詳細やサンプル文がヒットします。
駄文、最後までお読みいただきありがとうございました。(2023年12月15日記)

#ガンを叩き出した男 #末期ガン #電子出版 #前立腺ガン #末期ガンからの生還 #病は気から

3 末期ガン撃退「スポーツ散歩」で1,500km踏破、コペンハーゲンーローマ間に匹敵、「座して死を待」たず、血液をガンガンに回せ

1)継続は力なり

前立腺の末期ガンを撃退すべく始めた「スポーツ散歩」の距離は、2023年12月12日1,500㎞に達しました。地図上の直線でいえばヨーロッパの北・コペンハーゲンから南のローマまでの距離になります【写真】。日本でいえば、東京と下関を往復した距離になります。全行程とも家内が同行しています。
【少し長くなります。1分位です。お時間のある時にどうぞ。】
「継続は力なり」と言いますが、お蔭様にて、多々不自由はあるものの体調はほぼ罹患前の状態に戻っております。前立腺ガンの腫瘍マーカーともいうべき前立腺特異抗原(PSA)の数値も極めて小さくなっております。
病院で1ヵ月集中治療のあと、体重14㎏減でヨロヨロになって退院、2022年9月から自宅での療養治療となりました。体力は大幅に減衰したものの、日常生活に人手を煩わすようなことはなく、毎日の投薬と月イチの注射という療養になっています。投薬と注射は前立腺ガンの餌となる男性ホルモンの生成を抑制するものです。
しかし、ガンの自宅治療で静養せよとはいうものの、「病身のじい様生活」で運動量の少ない生活を送っていては、またぞろガンの活性化を招くのではないか、私にはそのような強迫観念がありました。身体中の血液をガンガンに回して新陳代謝を高めることが諸病撃退の根源だと思います。
そして 「座して死を待つ」 という諸葛孔明の皇帝への進言の一部分にいたく共鳴しました。この文言には続きがあるのですが、その意味は「ただ何もしないで滅ぼされるのを待つのと、こちらから攻撃するのとどちらがよいでしょう。魏との戦いに赴きましょう」という強い決意を述べていることです。

2)「スポーツ散歩」の方法

これは入院以前からしていたものです。入院で一時途絶えましたが、それを再開しようということにしたのです。
普通、じい様の散歩というと杖を突いてトボトボというイメージですね。私も退院直後は、長年使ってきた登山用の杖にすがるようにして歩き、トボトボどころか、いつになったらトボトボと歩けるのかなぁ、などと家内に言っていたそうです。
200mくらい歩いては、直近の休憩用ベンチに倒れ込むようにして休んだものでした。1ヵ月もするとなんとかトボトボ・レベルに達してきました。トボトボ・レベルを2ヵ月くらい続けてきたころ、ネット情報で、ただ歩くだけでは、歩かないよりはいいが、体力増強にはならない、ということがわかりました。
そこで、インターネットやyoutubeを検索しまくって自分用の散歩内容を考案したのです。基本的に歩き方に強弱を2分ごとに付けます。「強」の2分は、腕を大きく、掌が額のあたりまで来るように振り、歩き方は競歩のように激しく歩きます。これにより肩甲骨周りの血流が促進され、肩こりなどはなくなります。
「弱」の2分は、腕は「強」ほど大きくは振りませんが振って歩きます。呼吸は「強」の方はスッスッハッハッの2呼吸ですが「弱」の方はスッスッスッハッハッハッの3呼吸です。
準備運動としては、左右のアキレス腱、大腿四頭筋(太ももの前の大きな筋肉)と大殿筋(尻の筋肉)のストレッチ、これらと組み合わせた腸腰筋のストレッチを行います。その後は相撲の四股を踏みます。

3)腸腰筋の活性化

下半身を大きく動かす四股踏みは、尻や大腿を中心とした筋力アップや股関節の柔軟性を高められる運動です。 またインナーマッスルのひとつである腸腰筋も強化されるためボディラインが整い、安定した歩行に必要な足を持ち上げる動作が楽になり転倒防止に役立ちます。
スポーツ散歩の途中に階段が100段ちょっとあるのですが、これの上りには太ももを水平以上に上げるようにすると腸腰筋を活性化することになります。
腸腰筋は外からは見えませんが大きな筋肉なので、エネルギーの消費効率が高いで次のような効果があります。
1.美しい姿勢で、腰痛肩こりが解消
2.便秘の解消
3.快眠
4.太りにくくなる
5.下半身痩せとヒップアップ効果
ただ歩くだけの散歩のころは、1日に5kmくらいの距離でしたが、スポーツ散歩の切り替えてからはエネルギーの消費量が増えたので、距離は1日3kmくらいと、短くなりました。
今後の課題は、全身の肉を締めることです。いまは前立腺ガンの治療として男性ホルモンの生成を抑制しているので、全身がぽってりと女性の肉体のような感じとなり、人相も変わってしまいました。なんとか男っぽい顔や体にしたいものです。(2023.12.19.記)
#前立腺ガン #末期ガン #座して死を待つ

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