Johnnie Walkerを知らないロンドンの仕事仲間

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日本では、スコッチといえば、私ら「昭和の青年」世代ではJohnnie Walkerがすぐ思い浮かぶ。ところが仕事でロンドンへ何回か行ったのだが、ロンドンの仕事仲間はJohnnie Walkerの名前を聞いて首をかしげるのだった。

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コロナ禍のおかげでスコッチ三昧

新型コロナウィルス感染防止で、「昭和の青年」としては、感染を恐れ生真面目にStay (at) home に努めている。ここ1年半ほどは外飲み、外食、そしてカラオケ飲みはゼロである。つまり、友達とはon line での交流のみである。

都心を放浪するようなこともしていない。月に1,2回、役者の仕事でオーディションなどへ出かけるが、外食はしないし、電車のつり革などにも触らない。2021年6月15日にはコロナ・ワクチンの2回目の接種が終わっている。

これは単に自分が感染するのを避けたいだけではなく、社会全体のコロナ禍が早く収束してほしいからである。

お蔭様で、もっぱら「昭和のお嬢さん」(?)を相手にウチ飲みの毎日。カラオケを始められるようになっても、発声練習でもしなければ声も思うように出まい。

となれば自宅で毎日グラスを傾けるしかない。最近は、スコッチのスタンダード(700㎖)が近くのスーパーでは1,000円以下で手に入るので、スコッチ三昧の日々である。それまでは、サントリーの角がお気に入りで、これは1,200円。ま、よそより安いと思うよ。

そして、スーパーの棚にあるDewar’s、Ballantine’s、Teacher’s、White Horse、Johnnie Walker Red Label、Cutty Sark、そしてCanadian Club を次々に飲んできた。

相手が飲めるなら、私は結構いける口なのだが、拙宅の「昭和のお嬢さん」は自分の食事が終わると、さっさとテレビ観覧席へ移動してしまう。食器の手洗い、後片付けは私の仕事なのだ。

量的には、お他人さんが一生かかって飲む分をとっくに飲み切ってしまっているので、今では、健康のため、ひと晩100㎖と決め、ま、これで水割り3杯だな、それをゆっくり飲んでいる。

むかしはスコッチなどといえば滅多に飲めなかったのに、時代は変わったモンだ。独身のころ、スコッチといえばJohnnie Walkerが定番で、同僚が海外取材などから免税店で買ってきた黒を、味もわからず職場で回し飲みをしたのが、その出会いだった。

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Johnnie WalkerのPR誌の編集

その後、外資系の広告代理店へ入って、まさかJohnnie WalkerのPR誌の編集に携わることになるとは夢にも思わなかった。

1980年代ころは、Johnnie Walkerは日本では「ジョニ赤」、「ジョニ黒」といってステイタスの高い酒で、それをさらに高めんということで、PR誌でいろいろと企画した。因みに価格は、1957年当時、「ジョニ黒」が10,000円であったが、これは大卒社員の初任給のほぼ2倍であった。

 

そのうちのひとつが「ジョニーウォーカー物語」の連載である。当時、パソコンなんかが世に出る前の話で、インターネットで取材サーフすることなんかできずに、もっぱら、クライアントが持っている英文資料や国立国会図書館での資料漁りで取材した。

創業は1820年だから日本では江戸時代。スコットランド南部のキルマーノックという地で創業された。地名にちなんだ「キルマーノック」、あるいは「銀座ジョニー」という名前のジョニーウォーカー・バーが東京・銀座にあったが、いまはもうない。

「ジョニーウォーカー物語」はそのころ、体系的にまとめあげた書き物がまだ無かったので、クライアントをはじめ関係者から喜ばれた。

『上野精養軒物語』を電子書籍販売

「物語」繋がりの話。
後刻、今度はインターネットを駆使してon line 取材を徹底的にし、『上野精養軒物語』を著した。これは、西洋料理の日本最古、最高格式の上野精養軒が社史を持っていなかったので、それでは、ということで書きまとめたものだ。

家内が新卒で入社したのが上野精養軒であった。私が『上野精養軒物語』を書いたころは、彼女と同期入社の男性社員が社長や役員をしていた。

これは始め私のホームページで一般無料公開していたので、TVの番組制作関係者などから何件かの問い合わせがあった。目下、Amazon.com から電子書籍として販売中である。

「ジョニーウォーカー・バー探訪」という企画

また、「ジョニーウォーカー・バー探訪」という企画もした。これは、全国の一流どころのバーやクラブで、ボトル・キープはJohnnie Walkerだけという店を誌上で紹介するものだった。

名古屋、大阪、新潟、仙台、そして福岡などのお店を取材して回った。この取材で、私はさぞかし良い思いをしただろうと勘繰られるかも知れないが、なんのなんの、開店前で女性はいないし、写真に撮るオンザロックスや水割りはスコッチではなく水に醤油で色付けをして撮影したものだった。

しかし、靴が沈み込むような赤いカーペット、ずらりと並んだJohnnie Walkerだけのボトル棚、それはそれは、どのお店も見事だった。

驚いたのは福岡のお店。何と、ママが和服姿で白い割烹着を被り、ひとりで切り盛りしている、カウンターだけの小料理屋だった。しかし、壁の棚はすべてJohnnie Walkerの赤と黒でビッシリだった。ミスマッチというか何というか、でもママの気品とJohnnie Walkerのボトル群の組み合わせがしっくりしていた。

Johnnie Walkerを知らないロンドンの仕事仲間

日本では、スコッチといえば、私ら世代ではJohnnie Walkerがすぐ思い浮かぶ。ところがその後、別の仕事でロンドンへ何回か行ったのだが、ロンドンの仕事仲間はJohnnie Walkerの名前を聞いて首をかしげるのだった。

後刻、調べたところによると、これは日本への輸入会社の明治屋が、何かの伝手(つて)でスコッチの、日本でいえば地酒ともいうべきJohnnie Walkerとめぐり逢い、これを日本で「スコッチといえばJohnnie Walker」という宣伝を続けたので、われわれモノを知らない連中の脳にはそう刷り込まれた、というのが歴史的事実のようだ。

最近では日本のウイスキーの評価がスコッチを上回って、国際的な賞を獲得している。ワインも日本国産のワインが、国際的な品評会で金賞を受賞したりしている。

いずれにしても、「昭和の青年」には高嶺の花だったスコッチを毎日飲めるようになれたのは嬉しい。願わくば「昭和のお嬢さん」ではなく「平成のお嬢さん」にそばにいて欲しいものだ。

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