わが恋人ジャックダニエル、ごめん

昭和の青年

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昭和の青年としては、いままでに多くの酒を飲んできた。不惑を越えるようになってからは酒量は目に見えて減ってきた。これは量くらべを自慢しているのではなくて、朝まで飲み続けられるほど、 友達と話題と酒場、 そして体力に恵まれていたということだ。 その頃はずっとウィスキーを飲んでいた。 新婚で子供はなく、 朝帰りしてシャワーを浴び、 着替えをしてそのまま会社に行くことも何回かあった。

「養老の滝」で飲んだ学生時代

学生時代は清酒で、 高田馬場の「養老の滝」でよく飲んだ。 劇団の稽古が終わって大学から高田馬場の駅までみんなでつるんで行く。稽古は放送劇の稽古で、映像のないラジオドラマの稽古であった。

久米宏や見城美枝子と同世代の法研サークル

当時、私が属していた母校の放送研究会は、その中が5つの専門分野に分かれていた。花形のアナウンス、演出、ラジオドラマ、技術、そして音楽の各部門である。アナウンス部は私が入学する前に分派し、アナウンス研究会を立ち上げ、そこには久米宏氏(元テレビ朝日『ニュースステーション』などで活躍)がいた。同学年だったが、面識はない。

私らのアナウンス部には1学年上に見城美枝子氏(TBSのラジオ、テレビで活躍、現青森大学副学長)がいた。

さて、「養老の滝」では、先輩も後輩も、男も女もみんな一緒。 畳の上の席に着くと、初めに各自当日の飲み代をテーブルの上に出す。 額は本人が決める。 お銚子1本が確か80円くらいの頃で、 一人500円位出したと思う。 先輩とか、田舎から仕送りを受け取ったばかりの仲間がチョイトいいカッコして千円札でも出そうものなら、それこそやんやの拍 手が沸き上がったものだ。・・・・ とこの先を話していくと、きょうの本題から外れるので軌道修正しよう。

その頃は相模原の自宅から通学していた。帰宅は新宿から小田急線に乗るのだが、 飲みすぎて気持ちが悪くなって、急行の最初の停車駅、「下北沢」で下車する。
現在は、最初の停車駅は「代々木上原」だが、当時はまだ、地下鉄千代田線はなかったし、「代々木上原」は各駅停車しか止まらなかった。第一、高架線にもなっていなかった。

ヘベレケになって駅のベンチで寝込んでいると、駅員に、
「学生さん、 どこまで?  次、最終の急行 だよ!!」
と起こされることがよくあった。

ドクターストップの禁酒時代 

その最終急行に何とか乗れたときはいいが、また寝込んでしまうこともしばしばあった。
夜中に都心の友達の下宿のドアを“そっと”ノックした。つまり可愛い先客がいたらまずいので。
こんなことは数知れず。挙げ句の果ては胃をこわして、救急車で入院し、医者のボソッとした一言がえらくこたえて無期限の「禁酒時代」に入る。

医者の指示に基づく食事療法と、規則正しい生活を馬鹿のように実行して、 2年後、再び楽しい時代 が始まる。清酒やビールなどの醸造酒は胃に負担を掛けるので、 結局スピリッツ系がいいと自己分析し、ウィスキーの薄い水割りをおそるおそる飲み始めた。20代の後半の頃である。

ブームの前、焼酎に目覚める

30代後半には焼酎に目覚める。 世間に焼酎ブームが始まる前だった。 材料としては芋、麦、蕎麦、そして米。 製法としては単式蒸留の乙類、 複式蒸留の甲類、そして甲乙合わせたものなど、いろいろ飲み比べたが、 私は乙類の芋焼酎がいいと思った。 

芋焼酎といえば鹿児島ものだ。 「小原」、「無双」、「霧島」そして「白波」。芋焼酎の違いがわからない人は、臭いとか何とかいうけれど、 左党にはそれはたまらないフレイバーなのだ。 税金が安いので、いい焼酎でも安く飲めるのも素晴らしい。

いまや(2021年)、日本の焼酎は国際的にも高い評価を受けている。

うまい飲み方は、お湯割りだろう。 本格的には黒銚子という酒器でやる【写真】

分量は、焼酎とお湯の割合が、四分六、七三、 半々と好き好きだが、 私は自分の胃への気遣いもあって半々くらいとしている。 通常、常温の焼酎をお湯で割るが、両方温めてから割るとか、両方冷やのうちにミックスしてから燗をするとか、いろいろこだ わりの方法がある。ロックも好きだが、これは体調の乗りがいいときだ。

気になるのは、 梅干しで割って飲む輩(やから)だ。 甲類なら、 梅でもレモンでもライムでも、好みによっていいだろう。 もともと複式蒸留だから原料の香りが希薄だからだ。 しかし、単式蒸留の乙類焼酎に梅干しを入れて、箸でつついてグチャグチャにバナナジュースの様にして飲んでいるのがいる。 もう、論外だね。 こんな連中に出くわしたら、 靴を脱いでパーンと張り倒してやりたい。

バーボンも焼酎のように個性的なフレイバーと風味があるので、 私は好んで飲む。 いつごろからか、ジャックダニエルというのがうまい、 と聞くようになった。 しかし安月給ではままならず、いつかは、と思っていた。

米国ロングビーチ出張とジャックダニエル

チャンス到来! 初めての海外出張で米国ロングビーチへ行くことになった。 英語のできない建築職人さんと二人。成田で税関を出れば同じ建物の中でも日本じゃあない、
「へえ、そうですか」
まるでお上りさんして、
「おう、免税店、免税店」
と日玉が先に走るようなかっこうして走った (この時のキャラクターは武田鉄也がふさわしい)。

この出張は、担当していたクライアント(広告主)であるブリヂストン・サイクルが、同地で開催される全米自転車ショーに出品するため、その会場にブースを設営し、その現場監督に行ったのだ。ブースの設計は日本で行ない、組み立ても一度日本で完成させる。
それを現地は解体して搬送し、現地では現地人が現地の現場監督のもとに再構築するのだ。同行した職人さんは、組み上げが正確にできるか否かをチェックする役割だ。
私は、その通訳もするが、主な役割は開催中に全米から参集した、自転車業界の人を対象に、ブリヂストン・サイクルの現地広告をどのように展開していくかをプレゼンすることだった。当時、日本で作った英語の雑誌広告を現地の自転車雑誌に掲載していた。

アメリカは、クルマの国。 クルマがなければ動きがとれない。 日本のような酒場もないというし、 レンタカーで走り回るほど彼の地の地理や交通ルールを知っているわけではない。 これはホテルで酒を食らうしかない。私は成田空港の売店で迷わず 「 ジャックダニエル!!」と棚のそれを指さした。 好きな女性と異国のホテルに缶詰になるような、ウキウキもんの不謹慎な気分で機上の人となったのである。

さて、ロングビーチにて。

周りは全部ガイジン(*)だし、カルチャー・ディファレンスもあって時間の疲れがどっとでる。ツインルームに男二人は、日本の出張では当たり前だが、米国的にはホモと思われるが、ま、いいじゃないか。 ジャックダニエル片手にベッドにあぐらかいて、国産ものより脂っこいピーナッツをポリポリで結構いいムードだった。

(*) ガイジン: 私は外資系企業に勤めていたし、雑誌記者でもあったので、外国人をガイジンと呼ぶのではなくガイコクジンと呼ぶのが言葉として正しいとは思う。
ガイジン好きの日本人に言わせると、「ガイジン」は「害人」と混同し、ガイジンに失礼だという。これは外国人かぶれの屁理屈というものだ。第一、彼らには日本語でガイジンといったところで意味は通じない。電話番号など4桁の数字「8686」はハローハローで、外国人にわかりやすいという理屈と同じほどくだらない。
しかし私は、外国人をガイジンと呼んで何ら差しさわりはないと思う。言葉を縮めて使うのは粋な江戸っ子のよくやることだ。宿の女将が「ガイジンさん」、あるいは「外国人さん」と呼ぶのとでは、どっちがしっくりいくかは論を待つまい。

ジャックダニエルとの別れ

さて、ロングビーチのホテルの窓から見えるパームツリーや、日本のそれと色調の違う街頭の下をヘッドライトを長くして走っていくクルマを遠くに見ていると、いやが上にも異国情緒に感情を動かされる。

しかし、だ。いくら好きなジャックダニエルでも毎日だと鼻につくようになる。 相手の職人さんも、 ホテルのロビーで見かける女の子の、胸がどうの尻がどうのという話しバッカシで、 私もこの手の話題は嫌いじゃないけど、これで は3食ともオイルサーディンを食っているようで、いささか参った。で、何となく、ジャックダニエ ルはもういいやツーことになった。

いまは(当時は)、バーボンといえば、I.W.ハーバーかエズラが好きだ。 ときどきジャックダニエルも飲むがこれはこれでやはり最高である。

むかし好きだった、そしていまも好きなのだが、そんな女性に出会ったような照れくさい気がする。 グラスを口に近づけるとき、ジャックダニエルが詰(ナジ) るようにいう。
「あなたって浮気性なんだから..」

ワインもずいぶん飲んだ。 酒類の中でこれだけがアルカリ性で胃にいいという。 一時、ジョニー ウォーカーのPR誌の編集をしていた。それでスコッチについても一家言ある。

ジョニーウォーカーを扱っているその商社はワインも扱っていた。 当時1本8000円とか1万いくらとかするものばっかりだ。 パーティ があってご馳走になる。
「 ウッなんだこれは」
高級ワインが初めてだった私にはただ酸っぱいだけだった。 しかし、その後多くのパーティに出たり、海外出張でワインを飲む機会が多くなると、 ワインに対する自分なりに好みが解ってくる。私はドイツ・ワインの白が好きで、ややドライ系がいい。

甲州ワインもなかなかいける。いい輸入ワインもきりがないし、食事と値段のバランスもある。 いいものと、そこそこのワインをいろいろ飲んで、いったん自分のワインの味の基準ができてしまえば、 あとはコスト/バリューの問題だから、 甲州ワインにも手が出るようになる。 ひと頃はワインを一升瓶で自宅に キープしていた。胃の調子がよくないときは、 現在のように休肝日をとれるほど人間ができていなかったから、アルカリ性のワインを飲んでいたのだ。

赤ワインは、あまり好きではなかったが、15歳年上の大先輩とゴルフの帰りの中央線ではいつも 甲州ワインで反省会?をする機会が続いたため、 そして彼は(彼です。 念のため) 赤ワイン党だったの で、いまでは赤ワインも結構楽しんでいる。 因みに、彼も私の両親も甲州の出身である。

日本のワインとウイスキーは世界の最高級品

編集後記(2021.05.30)

日本のワインは、山梨県甲府盆地で明治時代初期に始まり、幾多の苦難の後、いまでは、国際的なワインコンテストで金賞を獲得するまでになった。

2020年9月22日、イギリスのワイン雑誌「デキャンター」主催の世界最大の国際ワインコンテスト『Decanter World Wine Awards(デキャンタ・ワールド・ワイン・アワード) 2020』においてNIKI Hillsワイナリーが醸造したワイン「YUHZOME2018」が95点の高得点を獲得し、金賞を受賞したのだ。いまや、日本のワインは世界のワインとなり、世界中のシェフが自分の料理との組み合わせを模索している。

日本のウイスキーもいまやスコッチを凌ぎ、世界のコンクールで最高賞(金賞)を、下記のようにいくつも受賞している。

① 2001年、ニッカウヰスキーの「シングルカスク余市 10年」、ウイスキーマガジンのワールドウイスキーアワードで最高得点(ベスト・オブザ・ベスト)獲得。
② 2001年、メルシャンの「軽井沢ピュアモルト12年」、インターナショナル・ワイン&スピリッツ・コンペティション(IWSC)でが金賞を受賞。
③ 2006年、ベンチャーウイスキーが蒸溜した地ウイスキー「キング オブ ダイヤモンズ」、最高得点(ゴールドアワード)獲得。
④ 2015年、「山崎シングルモルト・シェリーカスク2013」、英ウイスキーガイドブック「ワールド・ウイスキー・バイブル2015(Whisky Bible)」で世界最高のウイスキーに選定。
⑤ 2017年、サントリー「響21年」、インターナショナル・スピリッツ・チャレンジ(ISC)」でワールドウイスキー部門で最高賞となる「トロフィー」を受賞、さらにエントリーされた全部門1480点の頂点である「シュプリーム チャンピオン スピリット」を受賞。
⑥ 2018年、「白州25年」がワールドウイスキーアワードでワールドベストシングルモルト、「竹鶴17年」がワールドベストブレンデッドモルト、「イチローズ Malt&Grain Limited Edition~Japanese Blended Whisky~」がワールドベストブレンデッドウイスキー限定版部門で世界最高賞を受賞した。

こう見てくると、日本のワインもウイスキーももはや世界のトップレベルにあることは間違いない。
私は2013年から訪日外国人観光客のガイドを英語でしているが(国家資格・全国通訳案内士)、お客様の中には、ウイスキーの「響」や「山崎」を買って帰る人が多い。

 

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