ガン患者、山道8km自力踏破!信州妻籠⇒馬籠間薄れゆく昔日の馬籠宿、日本人客は5%以下

都々逸表紙 ガン撃退記

初秋香る信州の妻籠と馬籠を結ぶ旧中山道7.9kmを、お他人さんの助けなしに踏破した(2025.10.10.)。かつては山屋だったので、こんな距離は屁でもないと思ったのが大間違いだった。
【本稿は自分のfacebook=新津Masatoにも掲載しています】

自分がガン患者であること、80歳を超えていることにあまり考えは行っていなかったのだ。毎早朝のスポーツ散歩で、退院以来3,800kmを歩いている自信もあったからであろう。 3,800kmは、東海道五十三次で江戸ー京都を4往復する距離になる。家内もいろいろ心配があるようで全行程同行してくれてきている。

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1. もと山屋の面影いずこ

中山道

もと山屋の面影いずこ。それもそうだ、ガン生存者で80歳。無謀だったかも。

妻籠から馬籠までのこの行程は健脚者で2時間半、遅い人で4時間との案内であった。登りや下りが結構あり、かなりきつい。
終わってみると4時間を超えていた。私はともかく、山屋でもなかった家内も歩き通した。最後の方は二人とも、膝は笑いかけ、ふくらはぎはピクピクとかジンジンし始めていた。

思い返してみれば、この行程で会った多くの人たちは95%以上が外国人であった。まるでスイスの山をハイキングしているようであった。年齢も60歳を超えているような観光客はいなかった。
当たり前だが、こんなところを歩くのは、体力のある若い人ばかりだ。

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2. 整備されすぎの感あり

コースは、日陰は冷蔵庫を開けたように涼しく気持ちよかった。冷気にはマイナスイオンが目いっぱい満ちあふれていた。
道は、10年前にヨーロッパからの若者15人位を案内した時とは違って、山奥に入っても敷石が置かれ、むかしの中山道の山道歩きの感じはない。
手すりも要所要所に設置され、不慮の事故の予防が十分取られていた。その分、「山を歩く」という野性味は失われていた。

山の中も道は整備されている。

昔日を想起させるようなところもある。

出発地の妻籠宿周りはともかく、到着地の馬籠宿では、もはや昔のような、というか絵葉書にあるような雰囲気が薄れつつあるのは残念であった。
というのは、歩道部分は全面的に石畳で覆われてしまっており、それが東京の銀座や赤坂、六本木に負けぬほどお洒落。つまり、昔の宿場にはふさわしくないのだ。
古い建物も、真新しい布の幟(のぼり)などを立てまわし、不釣り合いこの上ない。残念なことだ。

路面はきれいに舗装され都心のよう。

昔日(と言っても15年位前)の面影いずこ。

3. 健康維持の早朝散歩

毎年、この時期になると東京の高尾山(599m)へケーブル無しで登る。

退院翌年2024年に高尾山へケーブル無しで2回目の登頂。

退院後の体力チェックと言ったところだ。退院後は薬も注射も医師の助言指導も大事だが、自分で必ず治すという信念と実行力を伴わなければと思い、毎朝の早朝散歩を考えついた。

心臓と、第二の心臓と言われるフクラハギ(つまり3つの心臓)を使って血液をガンガンに回し、新陳代謝を促進し、免疫力をつけること、よってガンを自分の体から、たたき出すこと。ここに集中して今日に至る。
中山道の踏破は、高尾山登山の、そうよなぁ、1日に4往復したほど疲れた。

4. ガンを生き伸びて

2022年8月、突然告知された前立腺ガンはフェーズⅣで余命1年弱。要は手術もできない、ということだった。
前立腺ガンのエサは男性ホルモンなので、これを生成できないようにするホルモン療法というのが執られている。1ヵ月の入院治療の後、希望退院して今日に至る。

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