ガン何するものぞ! 【3/8】前立腺ガン同病者への激励 明るく軽快な闘病記

ガン撃退記

連続読み物ではないので、以下の内容のどこから読み始めてもお楽しみいただけます。

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1. ガンを叩き出した男 英語観光ガイド再開

【2024年7月1日記】

フェイズⅣの末期ガン、医師をして「1年持つかなぁ」と言わしめた日からほぼ2年。

三途の川の淵をウロウロしてきた。退院後、このままではマズイと、通院治療に加えて、自ら体力作りに毎日励んだ。

自ら考案したスポーツ散歩で、すでに2,200kmを踏破した。仙台ー東京ー熊本の往復の距離だ。

イスタンブールからパリ(2000㎞)よりはるかに長い。

スポ散では、四股踏みの準備運動、並足、速足の繰り返し、ロングブレス、ラジオ体操、そして発声練習をする。

家内は、栄養満点の、毎日違う料理で私を支えた。何かあるといけないからと、2,200kmも一緒に歩いてもくれた。

最近では腫瘍マーカーも低止まりとなり、体調も良い。

「そうだ、ガイドを再開しよう」と健常な79歳でも躊躇するかもしれないことを思い付いたのだ。

海外在住の訪日希望の外国人と日本在住の全国通訳案内士のマッチングサイトにある自分のページを更新し、7月1日からガイドを再開すると6月27日に告知した。

するとどうだろう。昨日、早速、ガイド依頼のメールが来たのだ。しかも9人の大口だ。

ガイドの後には、お客さまはガイドのパフォーマンスを5段階で評価する。私はこれまで、お客さんからは、全員から5(最高点)の評価をいただいている。

2018年には人気ガイドNo.1の栄誉に輝いた。これは英会話力ではないですね。私は、英会話力と観光ガイド力は別物だと思っています。帰国子女や海外駐在の経験のある英会話の達者な同期の仲間が、なかなか5の評価を得られないからです。

フィリピンのお客さんは2家族で。

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2. マイナスイオンでガン細胞を叩き出す 毎朝のスポーツ散歩

【2024年7月3日記】

 最近では晴天なら午前6時には、太陽は仰角30度ほどにもなっている。日差しも結構強い。毎朝のスポーツ散歩には家内がいつも同行してくれている。「何かあったら大変だから」という。

 この頃は、散歩コースの神奈川県立相模原公園着くのは午前6時前である。家内は日に焼けるのが困るらしい。

 いま早朝の公園は、緑が一杯でマイナスイオンも一杯。小鳥は競うように鳴いている。まっこと気持ちがいい。ガンなんか徹底的に叩き出されている。

 お蔭様で、5月末には高尾山にはケーブルカーを使わずに頂上まで登った。今月からは英語観光ガイドの仕事受付も開始した。

 毎朝、公園ではアキレス腱の伸ばしと四股踏みで準備体操をする。並足と速足で交互に歩行。西洋式の大きな噴水の展望台で腕立て伏せ。もう少し歩いた小さな広場でロングブレス、そしてラジオ体操。そのあと発声練習というのが毎日の日課。

挨拶だけするワンコを連れた人びと。高齢だけど元気な爺さん。ワンコを連れていないが、ワンコ大好きのご夫婦。ひとりでもくもくとジョギングするお嬢さん。いろいろな人が素晴らしい朝のスタートを切っている。

ガン治療の薬のお蔭でか、コーヒーが飲めるようになった。いまではブルーマウンテンの粉をドリップして楽しんでいる。二人分を淹れるのだが、最近、便利なドリッパーを見つけた。同時に二つのカップにコーヒーが落ちるのだ。便利、便利。

3. 末期ガンからの生還!登山、役者、英語観光ガイドに復帰

【2024年8月29日記】

来月、北アイルランドからの4人の大人を浅草周辺へ案内することになった。私にとっては感無量の観光の仕事の再開である。

今年5月末には悲願ともいうべき高尾山(たかだか600m足らずだが)へ、麓から頂上まで歩いて登った。役者稼業も、すでに何本かこなしている。そして今回、外国人の観光ガイドを再開することにしたのだ。

ガン発覚以前の仕事を、全て再開できたということである。

私の症状は完治できないもので、ガン細胞を、いってみれば薬で凍結しておくようなものである。薬が切れれば、いつ何時(なんどき)、再発するかもわからないヤバイ状況であることには変わりはない。

ちょうど2年前の8月、前立腺ガンの第Ⅳフェーズ、つまり末期ガンであることが発覚。あちこちに転移し、手術による切除不可、余命1年というのが医師の診立てであった。

普通、ガンの宣告を受けると、頭の中が真っ白になったとかいってお他人様のご慈悲を乞うような情けない心情になるようだが、私にはそのようなことはなかった。1年以内にあれもしたい、あそこへ行きたい、というような希望も特に無かった。

ただ、医師にできることは何か、私にできることは何かを考えた。私のできることとして行きついたところは「血流促進」であった。そのためにいくつかの方法があったが、私はスポーツ散歩を選んだ。

病院にいては良くなるものも良くならないと思い、1ヵ月での退院を医師に要請。14kgも落ちた体重で、ヨロヨロと杖を突きながら歩き出したのだ。毎朝のことである。昨日までに、すでに2,433kmを踏破した。東京ー京都の東海道の距離を500kmとすれば2往復半歩いたことになる。

もとより、ひとりでここまで立ち直れる訳もない。家内の、身の回りの世話や食事など、一方ならぬ献身的な介護があったからである。踏破の全行程も家内もいっしょに歩いてくれた。

小学校時代は相模原市の健康優良児、現役時代は風ひとつ引かずの健康そのもの。それが突然のガンの宣告。病は何処に潜んでいるかわからない。皆さんも定期健康診断は必ずして、十分ご留意ください。

毎日ウオーキングする県立相模原公園の一部。

4. スポ散2,500㎞踏破 ガン余命1年宣告から2年 私は死なない

【2024年9月16日記】

前立腺ガンを自分の意志でも何とか改善できないかと始めたスポ散(スポーツ散歩)は、ついに2,500㎞を踏破した。距離を分かりやすく説明すると、東京から福岡までを往復し、もう一度福岡へ向かう途中の大阪あたりまで歩いたことになる。

この記録は退院(2022年9月)後の2023年1月1日からつけ始めた。

退院後間も無くのころは、散歩は開始したものの、杖にすがって歩くのがやっとで、記録を付けるなんて思いもしなかった。

その頃は、杖にすがってやっと200mくらい先のベンチを目指すのが精一杯であった。入院中の絶食で体重が14㎏も減り、立つにも座るにも、ましてや歩くにも、どうにも力が入らないのだ。

「あの爺さんくらい速く歩けるようになるかなぁ」

健常な老人の散歩を見て、こんなことを何回も言ったそうである。

家内はワンコを散歩させるように、そういう私を心配しながら見守って一緒にあるいてくれた。以後、彼女は全行程を私と一緒に歩いてくれている。何かあると大変だから、と心配しながら。また、体力増強のために食事つくりにも尽力してくれている。

レシピ本を買い集め、youtubeを探しまくっている。今でも、毎日、新しい料理に挑戦している。同じ副食を食べることはほとんどない。感謝の限りだ。

前立腺ガン・フェーズⅣ(末期ガン)が発覚したのは、2022年の8月5日。その場で即刻入院。余命1年弱の診立てであった。コロナ禍の最中だったので、見舞いでも替え衣料の届けでも家内とはもう面談できず、退院できない限りの「今生の別れ」であった。

3週間にわたる絶食と何種類かの治療薬の点滴による集中治療も終わって、点滴の管も外れた。となれば入院している必要はない、と感じた。医師側はもう少し入院を続け、体力増強をしたかったようだが、そんな事なら自分でできる、と私は主張し、入院から1ヵ月後の9月5日に退院した。

私の基本的な医療概念は、全身の血流の促進である。これが新陳代謝を促進し、老廃物を排出し健全な肉体を維持できると考えている。あのまま入院を続けていたら、治るものも治らなかったろう、と思う次第だ。

『私祈ってます』や『振り向かないで』そして『星降る街角』などのムード歌謡で「昭和の青年」にはよく知られる「敏いとうとハッピー&ブルー」の敏いとうが前立腺ガンで死亡したと今日の朝刊に出ていた。

私の前立腺ガンは全身に転移しているが、現在は薬と注射で「冷凍保存」しているような状態である。完治はないが、ま、死ぬことはなかろう、と高をくくっている。日常生活はほぼ健常者並みにできている。

役者稼業や英語ガイドも再開できているし、日本文化の海外への紹介というライフワークの英文著述も精力的にこなしている。まだ死ぬわけには行かない。

電子書籍にしてAmazon.comから世界中に向けて販売している。

2500㎞踏破の記録。

明るい将来を暗示するような今朝の空。

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