ヨハネスブルグとアパルトヘイト(人種隔離政策)

昭和の青年

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ジャカランダの並木道。サクラより一回り大きい樹木。

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ジャカランダが咲き乱れる街 ヨハネスブルグ

長い間、風雨に晒され、 多くの人に踏まれたのだろう。悠久の年月を経たと思われる横幅の広い石段を上がる。ギリシアのパルテノン神殿の階段を思わせる。一段一段の奥行きも高さも、日本の見慣れた石の階段より一回りも二回りも大きい。 荘厳な感じの、でも明るく、天井の高い広いロビーに入った。 今度は室内の、木造の階段をさらに二階へと進む。

気がついてみると階段の手すりも壁も、 手数のかかった造作の木製である。 東京のビジネスライクなスチー ルと硝子とプラスチックの近代的なビルを見慣れていると、心温まるものを感じる。

やはり木製のドアが開いている部屋へ通された。 ブロンドのややウェイブした髪が肩のあたりまで流れている青い目の若い女性が、グラスを持って迎えてくれた。 

「ハーイ」と笑む。

こちらもつられて、「ハーイ、ナイストゥミーチュー」。

紺のスーツに黒のハイヒール。 バラのブラックティーの色を思わせる濃い赤い地に、小さな水玉模様のブラウスの襟をリボンのように結んでいる。

「Mr. Niitsu, your seat is over there, sir, the second from the left」
(新津さん、あなたのお席はあちら、左から2番目です)

「Thank you, mom」

わたしとあまり背丈の変わらない。 外国人にしては小柄な彼女が、 先にたって席へ案内してくれる。 心当たりのある香水が、あとからく私に絡まった。

これがシャーリーとの初めての出合だった。 

ここは南アフリカ共和国のヨハネスブルグ。国際的なダイヤモンド・シンジケートDeBeers(デビアス)社の本社である。

いまからランチが始まるのだ。 私たち日本からの一行10人ほどは、それぞれ自分の席に書類入れなどをおいた。別室で食前のドリンクとともに歓迎に出た5、6人のビジネスパートナーとしばし歓談する。

「日本ってとても遠いんですね」
とシャーリーが私に話しかけた。

「そうですね。 南アフリカ航空は日本に乗り入れていないので、日本から香港まではキャセイ航空できて、そこから乗り換えて来ました。 途中、 モーリシャスで給油しました」

「わたし、日本のお人形さん持ってるわ」
「Oh, great, and why?(それは素晴らしい、どうして)」
「大家さんが日本へ行ったときのお土産よ。技師なの」
「人形好きなの?」

「ええ、大事にしてるわ、ね、日本ていま春でしょ?」
「うん、花がとてもきれいな頃だ」
「Cherry blossoms (サクラ)?」
「Right (そう)」
「写真でみたことがあるわ。 プレトリアのジャカランダみたいね」

プレトリアは南アフリカ共和国の首都で、ここヨハネスブルグから北へ60kmの所にある標高1,370mの高原都市だ。ジャカランダ・シティと呼ばれるほど、街中には約5万本のジャカランダの木 (桜の木よりはるかに大きい)が植えてあり 10月の春には、高台から見る市街地は藤の花のような紫一色で埋め尽くされるという。

「わたし、日本に行ってみたいわ」
「うん、機会があったらぜひいらっしゃい」

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チャーミングで優しいシャーリー

わたしは、微かな戸惑いを覚え、そして、 彼女へ好感を抱いた。 普通、外国で外国人にあったとき、 日本のことをこんなに関心をもって語りかけてくる人はまずいない。 なんと言っても彼らの国が真ん中に印刷してある世界地図では、日本はファーイースト (はるかに極東、右端) な所にあるピーナッツみたいな小国に過ぎない。 TokyoとSendaiの地名が逆になっていても、誰も驚かない。日本人と話すのは、 あなたが初めてだ、という外国人にも何人もあった。 

そんな日本に親しみを持っていてくれる人が地球の裏側にいるなんて、と思うと、 感激屋さんのみならず、つい嬉しくなってしまう。

もうひとつは、 シャーリーの人柄だった。それまでに合った多くの外国人女性は、わたし より大体において大きく、 自己主張が強く、青い目にしろ緑の目にしろ、目を見て話をしていても、相手が何を考えているのかよくわからない。 言葉そのものが理解できるだけで、 「本心」の部分がもうひとつ掴みきれない。 そういうもどかしさがある。

しかし、シャーリーとしていると、ほとんど日本人と話しているようだった。 わたしの上手でない英語がぼそぼそと出てくるのを、 優しい眼差しでじっと待っている。 英語はともかく私の心を読みとろうとしている気配があった。普通の初対面の外国人と話しているより安堵感があった。

シャーリーとはその後、1年くらい後にスイスはレマン湖の斜面に広がる街ローザンヌで2回ほど会うことになる。ローザンヌの会議には、ヨーロッパ各国の、日本における私と同職者が10人ほど集まる。日本人は私ひとりだった。フランス語やドイツ語、オランダ語を母国語とする連中と、共通語として英語でディスカッションをするのだった。

ダイヤモンド・ビジネス

私たちの各国における役割は、ダイヤモンド宝飾品の販売促進だが、具体的にはダイヤモンドの商品知識の普及、販促資材の企画・制作・配布、それにダイヤモンド宝飾品小売店経営への助言などである。

各国の担当者は、年に1回ほどローザンヌに集い、言ってみれば自主研修するのだ。なぜローザンヌかというと、そこにはヨーロッパを統括する担当者の、比較的広い事務所があるからだ。彼は6ヵ国語を操る。

そこへ世界のデビアス社の営業本部があるロンドンから市場教育担当者、南アフリカ本社からもこのプロジェクトの担当者が参集するのだった。

私が日本のビジネスの実情を英語でプレゼンするときや、彼らのプレセンテーションを理解する上で、私は彼女には大いに助けられた。

会議通訳やメニュー説明

それは英語の問題もあるが、むしろ私の言わんとするところや、彼らの説明の中のわたしの疑問点を彼女がいち早く察知して説明してくれたからだ。

私が参加者の誰かの発言内容をシャーリーに確認すると、

「マサート、それはそう言うことじゃないの」 とか
「マサート、いま彼が言っているのはね、こう言うことよ」
という具合に丁寧に説明してくれた。

夜になると、みんなでクルマに分乗してディナーに行く。その時は女性たちはシャワーを浴び、昼間のビジネス衣装から、ディナーに相応しい衣装へと替え、アップしていた髪なども解いてきたりで、見違えそうになってしまう。シャーリーも見違えるほどチャーミングになって来た。

彼女はいつでも、いつのまにか私の隣に席をとり、メニューの説明をしてくれたので、オーダーして給仕された食べ物は事前のイメージとあまり違わなくて済んだ。私のような英語が得意でない人間には、英語のメニューで、頼んだものと運ばれてきたもののイメージが違うことはよくある。外国のメニューには、日本のメニューのようにカラー写真などは印刷されていないのが普通だから。

話は、ちょっと横道にそれる。全国通訳案内士の仕事で外国人を日本のレストランへ連れていくことがよくある。私は、笑笑とか和民といった大衆レストランに連れていくことが多い。そうしたレストランのメニューは、カラー写真中心だから、説明はほぼ不要だし、訪日客も自分の好みのメニューを選びやすい。

さて、ローザンヌはフランス語圏なので、フランス語のメニューは私には解らなかったのだ。

5月とは言え、現地では初秋のピリッと引き締まるような空気に包まれた南アメリカのヤンスマッツ空港に降り立ったのは、1985年のことであった。

アパルトヘイト、日本人は白人扱い

ヨハネスブルグは元々砂漠だったところへ、オランダ人が造った人工の街である。したがって、空港からヨハネスブルグの街までは、砂漠の中の一本道をひた走りに走る。街へ入る。街の印象をひと言で言えば、もうひとつのヨーロッパという感じである。ビルに紅葉した蔦が絡まるきれいな街だ。

しかしこの街は、大きな問題を抱えている。アパルトヘイト(人種隔離政策)である。 白人と有色人種はすべての面で天と地ほどの差がある。 レストラン、公衆トイレ、すべて別々だ。 私たち日本人は同国への貿易上の貢献度が高いため、白人扱いとなっている。 

このアパルトヘイトは、反アパルトヘイト活動で終身刑を受けた(1964年)ネルソン・マンデラが、27年間の刑のあと1990年に釈放、1994年に全人種による選挙で大統領となった時に撤廃された。

私が南アフリカを訪れたのは1985年だから、まだアパルトヘイト真っ最中の時だった。南アは白人天下だが白人の中にも、アパルトヘイトに心を痛める人はいる。

ある時私は東京の事務所で、シャーリーから一通の航空便の便りを受け取った。まだ、電子メールは普及していなかった。

 「アパルトヘイトがひどくなってきています。 あまりひどくないケープタウンへ行きます。 こんどは黒人の子供もいる幼稚園の先生になります」 

花文字のようなきれいな直筆の手紙であった。

ケープタウンの先端に喜望峰があり、そこに立ったことがある。大西洋とインド洋を一望できる。 空も海も吸い込まれるほど濃いブルー。 強い風に吹かれながら、しばしその絶景に見とれていた。ヒューマニズムに溢れた、優しく可愛いシャーリーの心の心のように一点の曇りもない空だった。

東京へ戻っても時折、彼女がローザンヌの会議室やレストランで私の耳もとで囁いてくれたややハスキーな声と吹きかかる吐息を思い出す。

 

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