幸せな出産

NEWPORT通信

【1999年4月記】
 「えっ?! またっ?!」
 また、ひとりの赤ちゃんが生まれようとしている。
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既婚者の子を出産

 時代が変わっても、世代が離れている若い人たちに対しても、いうべきことは言っておかなくてはならないと思って書き始めた。それは、私が正しいか、いや、言われたほうが正しいかという問題ではない。沈黙は同意である、と思われたくないからである。

 今回出産しようとしているのは、こんな時に不謹慎な言い方だが、私好みの後輩の女性である。世間に背いて子供を産むことで、一番悩み苦しんだのは本人に違いない。今すぐにでも行ってやって、役には立たないけれどやさしい言葉の一つもかけてやりたい。

 私の周りにいる若い女性で、婚外出産者は実は3人目である。どのような数値をもって論じようが多すぎだと思う。世間一般にはそんなに高率ではなかろう。私の周りにいる女性にはそういうタイプが多いのかもしれない。

 そのうちの二人は未婚状態で既婚男性の子を産み、ひとりはその後その子の父親と結婚し、もうひとりは既婚状態で夫以外の男性の子を身籠ったため、離婚して出産する。彼女の実父は怒りが収まらないそうだが、当たり前である。よくあるように、未婚者同士が若気の至りでの「できちゃった結婚」とわけが違う。

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仲良しは相手への敬意と尊敬が必要

 男女が愛し合うことに原理原則はないと思う。とりあえず、何でもあり、と私は思っている。しかし「結婚は衝動」というのが私の持論である。真剣に考えたり、貯蓄計画とか、子づくり計画とかを考えていたら、なかなか結婚には踏み切れない。情熱が高まったときに、エイッヤ-と一気にしないと、なかなかできるものではないと思う。

 そして女性が結婚するときは、相手が“その時”には最愛の異性として思えるから、あるいは、ある女性にとっては“終バス”かもしれないから結婚する。しかし、それは人生のそれまでのベストな判断であって、相手が自分にとって永遠にベストである保証はなく、そのときから伸るか反るか(ノルカソルカ)の人生の大博打へと、二人は踏み出すのである。

 したがって、小説『風の盆恋歌』や『マジソン郡の橋』、『失楽園』、そして『モンタナの風』に描かれたような夫婦の危機状況が相次いで出現する。

 問題は、自分の妻や夫以外に恋慕の情をかき立てられるような相手(既婚であれ未婚であれ)が出てきた場合である。その夫婦にレギュラ-な仲良し生活がない場合は(それ自体が異常事態だが)、その衝動的な恋心は癌細胞のように一挙に成長してしまう。例えそれが一時的なものであっても、脳天から杭を打ち込まれたような上質な衝動を抱ける相手に遭遇すれば、

「これまでの結婚生活は何だったの」
ということで、それまでの二人の関係にはいとも簡単に亀裂が入ってしまう。

 これは本当の愛を真に求めていれば、ということであって、普通の大部分の夫婦は、我慢と妥協の日常なので、感性が麻痺ぎみで、キャ-キャ-騒ぐほどのことに至らない。

子どもの幸せのために

 ところで、婚外者と仲良しする時のことである。これは慎重に話さないと、私はたんなるHおやじになってしまう(もう、ほとんどそうかもしれない)。

 最初に仲良しありき、ではなかろう。相手とできるだけ長く、できるだけ深く感情を共有したい、その極致が仲良しであるといえよう。女性は、特にその傾向が顕著である。

 プロセスがしっかりと構築されて、感情移入が円滑にいかなければ、仲良しは成り立たない。男性はそれほど緻密にプロセスの構築をしなくても、衝動は瞬時に高まるし、気心が知れている女性との場合は、自分のそれを彼女に知らしめ、仲良しへと上品に誘うこともできる。

 さて、仲良しと妊娠はペア・ コンセプトである。私は、不倫ということは、当事者二人以外の第三者が二人の有り様を規定する概念であって、二人にとってはその関係をどう呼ばれようと、別に気にすることではないと思う。自分たちの愛をしっかりと見ていけばいいことだ。故郷のおやじは烈火の如く怒るであろうが、それはおやじの問題であって、基本的に二人には関わりのないことである。

 問題は、妊娠の可能性を承知して仲良くしたか否か、という点である。不注意にもできてしまった、これは大人として恥ずかしいことである。なぜ避妊をしなかったのか、という点である。劣情のおもむくままに媾(まぐわ)って、できてしまった、では猫や豚と寸分も違わないではないか。

 男と女がお互いに敬意を払っているなら、いっときの衝動に絡んで子を孕むなんて言うことは絶対にあってはいけない。お腹の子を産んだらどうなるか、自分はどうなるか、相手はどう見られるか、子供は・・・そういう理性が何故働かないか。

 仲良しはいくらしても、それはかまわないが、子供が欲しかったら、なぜ、相手や自分の籍をクリアしてからにしないのか。離婚も待てず、避妊するのも面倒なほど性急に仲良しをしたいのか、仲良しを中断して避妊具を装着する理性を持てないほどいつもいつも夢中なのか。

 女性を庇(かば)うつもりはないが、二人が今まさに仲良しを開始せんとするとき、女性は感情的にはほとんどノ-コントロ-ルだし、その途中でやおら目を開けて避妊具をつけてくれともいえないようだ。

 したがって、仲良しの最中での避妊は、ひとえに男が配慮しなければいけないと思う。それは男の優しさである。愛しい女への敬意である。

 しかし事前の配慮は女性もすべきだ。女性にしても、今日が大丈夫の日かどうかは知っているわけだし(男だって知っているべきだし)、二人が衝動っぽいなら、危ない日はそうならないように立ち振る舞うか、事前に避妊対策を工夫するのが、知性ある女じゃないかと、つくづく思うのであります。 

「自分一人で育てて見せます」はあり得ない

 不覚にも妊娠した入籍前の女性は、男性の同意が得られないばあい、えてして、

「自分一人で育てて見せます」
なんて、よく見栄を切る。

 例え男性がその子を認知せず、しかし実家からの援助があったり、自分が生活力があったりで、養育費が潤沢にあったとしても、それは女性(シングルマザー)のエゴです。父親が家庭にいないで成人した子どもの身になってみなさい。

 少なくとも私の周囲にいる女性が出産するときには、私はもろ手を上げてお祝いに駆けつけたいものです。

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