櫛形山、8万年前のアヤメ

昭和の青年

 その昔、あのアヤメの群生を初めて見つけた人は、さぞかし驚いたことであろう。標高2052m、山梨県は櫛形山の山頂付近、シラビソやコメツガの大木にサルオガセ(*) が掛り、深山幽谷というにふさわしい幻想的な樹林帯を抜ければ、そこは造ったような一面のアヤメのお花畑であった。
(*) 乾燥状態のトロロ昆布のように見える蘚苔類のひとつ。40~50cmの長さで、巨木に沢山かかっている。【写真】

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8万年前のアヤメの大群生

 平地で見るアヤメより、二まわりほど小振りな野性のアヤメが30数万株あるという。『花の百名山』を著した田中澄江は、同書を出版した7月にこの山に登り、アヤメ平を一面に染めるアヤメの大群を見て、

「あっ、しまった」

と思ったそうである。櫛形山は同書のなかに入っていなかったのである。

 地元の山梨県櫛形町の広報用ポスタ-の惹句は、「80000 年目の夏」となっている。毎年、町をあげて「アヤメ祭り」を行なう。当日あさ、麓でなにがしかの儀式を行い、小学生や愛好山岳会が集中登山を行い、山頂のアヤメ平でまた、若干のセレモニ-を催す。

 町長や町議会議長、県の総務部長までが参加をして、一席ぶったあと、その筋の生物学者らしき80歳年配のひとが、いろいろと蘊蓄を披露する。100名はいたであろう小学生は、誰も聞いてはいないが、その地質学や植物学に、わたしに同行した友人はおおいに感心していた。

 その話によると、80000 年前の化石に、このアヤメの花粉が入っていたので、アヤメ群生はそのころからあったという推定である。

 そこから30分も、原生林の中を夢の中をさまようように歩くと、裸山という標高2002.6mの、櫛形山を形成している3つの山のひとつの頂きの直下にたどり着く。ここがまた、かなり大きな(自然の)お花畑になっていて、やはりむせ返るようなアヤメの紫でいっぱいである。

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清流で流す汗

 二日間の山行(1999年7月)で、季節的にはいつ降られてもいいと覚悟はしていたが、あさ、登りはじめにパラパラときただけで、あとはずっと曇空。それが、ここへきて薄日がさしたりで、じつにラッキ-といえる。富士山などの遠望はきかないが、梅雨どきの山行としては天気に「超」恵まれた。

 この山行は、われわれ(私と大学自体の男性)や小学生のように真面目にやれば、麓からアヤメ平まで、標高差1200mで、登り4時間、下り3時間の行程である。われわれは自炊だから炊事用具や食料、燃料、水など、全部担ぎ上げである。重量は、前夜にほとんど食べてしまっているので軽く、それでも10kgは軽く越えている。

 しかし、今回は梅雨中ということもあって、発汗が大変であった。途中、水場があるが、これは登山路をはずれて、沢へくだり、本当に手が切れるような冷たい清流を汲み上げてくる。

このときは、荷物をおろして2ℓのペットボトルだけ持っていくのだが、荷がないので、空中遊泳をするように身が軽い。清流で汗だらけの顔や首回りを水場の水でジャブジャブ洗うのも、夏の山登りの醍醐味の一つである。

 何を我慢して、重い荷を背負ってストイック(自分を厳格に律すること)に登るのか、じつはわたしにもよくわからないが、かれこれ40年も登ってきた。日本経済が上り坂のころは、地上にさまざまな軽薄な遊びが氾濫して、山登りは「暗いスポ-ツ」などといわれたこともある。

 しかし最近では、根性のある若い人たちがまた山に入ってきているし、わたしよりずっと年配の人たちも多く見かけるようになった。

迷惑な団体バスの物見遊山客

 今回もカチンときたが、日本では自然の秘境のようなところは、いつかは必ず観光地化される。今回、アヤメ平にも、またぞろ訳の分からない中年婦人団体が団体旗に群がってきていた。これは、林道を延々と遠回りして、山頂近くまでバスで入る。アヤメ平まで往復4時間、しかもほぼ平地歩きである。

 テニスコ-トからいま出てきたような出で立ちで、何がそんなにおかしいのか大声で笑ったりして、およそ、この大自然にそぐわない環境破壊的存在であった。観光会社にしても、こんなコ-スまで新設して金儲けをしたいのかと思う。ここも尾瀬同様、やがて俗化するのも時間の問題であろう。

昔各駅列車、いま特急

 今回は、学生が夏休みに入る前を狙ったのが、いろいろと功を奏した。

 まず、列車。東京・新宿発12:04 の特急の自由席に乗ろうとして、1時間の並びを覚悟して11時ごろホ-ムへあがったら、人がほとんどいない。あれっ、と思うまもなく、すでに入線している特急を見ると自由席に空きがある。早速、弁当を買って難なく座ってしまった。夏休みに入るとこうはいかない。待合人を見つけるのも大変なほど、ごった返す。

山行に特急なんて堕落したものだと恥ずかしい。社会人になる前の山行といえば、東京や上野から夜中の各駅停車で現地へ向かったものだ。その時間帯の各駅停車といえば、ほぼ終電車。ほぼ満員。当方は駅周辺の赤ちょうちんで飲んできたものだから、すぐに床に横になりたい。

しかし、そうなると若き女性のスカートを下から見上げることになる。当時はミニスカート全盛のころである。当方は、そんなところを見たいのではなく、飲んであるのでとにかく早く横になりたいだけで他意はない。

しかし、酒を飲めない山仲間とか、飲んでも理性が割としっかりしている奴もいて、横になることを注意される。

列車が小1時間も走れば、通勤客はほぼ降りてしまう。座席も空いてくるが、座席より床に横になるのが一番休まる。かくて列車内は築地にマグロが競りように横たわるがごとく、登山客が多数横たわることになる。

中央線なら、明け方に小淵沢駅に到着するが、小海線の始発には2時間とか3時間ある。ここがポイントで、今のようにスマホで時刻表をチェックはできない。携帯電話がなかった。

当時の山屋さんは一般的に、のんびりしている。しかし、ここ小淵沢の駅では、眠い目をこすりながら、駅のベンチを探すのだ。これは木製だし、地面というかコンクリートから離れているので、快適な2度寝ができるのだ。

しかし、社会人ともなると予算的にもやや余裕ができるので、往路は特急を使ったりできるのである。しかし復路は、各駅が楽しい。座席を予約する必要もないし。数駅通過すれば、4人でボックス型に席をとれる。そこで、余った非常食などを片付けながら一杯やるのが無上の楽しみとなる。

山の自炊はいつも最高

 さて、櫛形山の麓のロッジも150 人収容のところを、わたしども込みで2パ-ティ6人だった。上下水道完備のキャンプ場だから、野性味にはやや欠けるが、快適な炊事ができた。今回のメニュ-は、書店の立ち読みで覚えたものに、酒場の女性客に入れ知恵をしてもらったもの2品である。

 1)豚肉を広げてオクラを粒入りマスタ-ドとともに巻く、楊枝で止める。これを薄油をしいて焼き上げる。これは簡単だから、同行の、台所なんかに入ったことのないようなwalking dictionaryとわれわれが呼んでいる友によく指示して、焼かせる。わたしは、別の料理に取り掛かる。

 2)ジャガイモの皮を剥く。ベ-コンをとろ火で炒める。登山用品は軽量にできているので、鍋の肉厚がないので、台所料理のように強火であおれない。

 ベ-コンの油が出回ったところで、ジャガイモ、玉ネギ、シイタケなどもぶちこんで火を回す。これに100 %のトマトジュ-スを具が隠れるくらいに注ぎ、ス-プの素も加えて強火で煮込む。

実はこれは間違いだった。トマトジュースなんて言うのはいくら煮込んでもトマトジュースなのだ。トマトジュースではなく、トマトピューレ(トマトを似てすり潰し、網で濾したトロ味のある半液体状のもの)を使うべきだった。恥ずかしながら、私はピューレの存在を、当時は知らなかったのだ。

 そうこうするうちに、自宅で冷凍して肉などの保冷材がわりにしてきたビ-ルが、解けてちょうどいいころである。酒は、あとシングルモルトのスコッチ、ブレンドのスコッチ、純米清酒など。その男友だちは、いつもいろいろな酒を持ってきてくれるのでありがたい。

 自然の林の中にログハウスが6棟。あとは小学生が集団居住する大広間。案内された水場施設の直近にあったログハウスは4畳半と6畳の中間の広さ1間である。四方に窓があるが、網戸がない。つまり、6月のころは窓を閉め切って寝ても暑くない、という具合である。

 そこは標高800m。立派なシャワ-棟もあるが、よく故障するので、使っていないそうだ。サラッとした高原気候なので、バスを降りて1時間半、標高差500mを登ってきて、汗びっしょりであったが、潤沢で冷たい山水を引いた水道水で洗顔し体を拭いたら、別にシャワ-を必要とはしない。

 カナカナ蝉が夕暮れを引っ張るようにして鳴く声を聞きながら、ビ-ルをあおって、次に清酒を味わい、そのあとはスコッチの香りを楽しみながら、自作の、今回はとびきり美味いとは言えなかった料理をつつく。この非日常的な営みが、新鮮である。

博学のわが友

 わが博学の友は、山からの持ち帰りゴミの話をしながら、ダイオキシンの話に転じ、このためか否か、最近の人間の精子は数が少なくなっているという。じゃ、確率的に生産回数?を上げなければ必要な人間の数は確保できない、とチャチャをいれれば、でも最近は、セックスレス夫婦が増えているからな、という。

 この自然の風がいい、といえば、博学の友は、

「それは1/f の風であり、f とは・・・」

と始まる。

 シイタケの軸を、4つ割にして、弱火で炒める。塩胡椒若干とそばつゆを2滴程落としてみる。これがなかなかのつまみとなった。友は、子供のように喜んだ。

 このキャンプ場は、南北にわかれた伊奈ケ湖の湖畔にあるが、到着寸前に見た紫陽花の紫色は、この世のものとは思えぬほど鮮やかなもので、1時間半の登り歩きの疲労が一気に吹っ飛ぶような感じであった。 明日は早朝から櫛形山山頂を目指す。次回は、8月の盆明けに彼と苗場山で池塘の間を跋渉し、山中の赤湯で身体を癒す予定である。

 

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