女として(山崎浩子の場合)

NEWPORT通信

***********************************************
『NEWPORT通信』へようこそ!
『NEWPORT通信』は、各号(#)が独立した内容なので、どの号(#)からお読みになってもお楽しみいただけますが、まず最初に、
#1 背景と総目次
をお読みいただくことをお勧めいたします。
『NEWPORT通信』の誕生のいきさつと、全号の見出し一覧がご覧いただけます。
**********************************************

スポンサーリンク

世界基督教神霊統一教会からの脱退

朝はいつも点けたことがないテレビが点いていた。見るともなく見ると、あの山崎浩子が世界基督教神霊統一教会から脱退したことを知らせる記者会見の実況中継であった。

【写真説明】世界基督教神霊統一教会の合同結婚式

【編集付記】
山崎浩子は新体操の元女王。1993年8月、韓国ソウルで行われた世界基督教統一心霊教会(統一教会)の合同結婚式に参加した。
1984年8月、ロサンゼルス・オリンピック個人総合で8位入賞し、この出場を最後に引退した。

たかが新興宗教に体操くらいしか取柄のないおつむの弱い女の子が入信したの、反宗教団体的言動があったからといって軟禁されたらしいの、行方不明になったのと、公共のテレビ電波をそんな下らないことに、横暴にも占有し、お茶の間の痴的レベルを煽り建てるような三流ジャーナリズムに、いつものことながらイライラしていた矢先の会見だった。

しかし、自分の意思で脱会したとなると、入信したことは迂闊ではあったが、よくやったな、というか、よく真実に気がついたな、と、彼女を見直した。記者会見では協会側の暴力的報復を恐れて言葉を慎重に選んではいたが、彼女の考え方は普通に戻ったと見た。

インタビューを見ていて、この子は本質的に頭の良い子かもしれない、とも思った。 

スポンサーリンク

民青という団体

昔、学生の頃、民青=日本民主青年同盟とかいって、日本共産党の下部組織があった。その頃の学生運動は、社青同=日本社会主義青年同盟、 社学同=社会主義学生同盟、そして革マル=日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派の三派が全学連の主勢力であった。

いずれも独自に、政治理念と行動原理をもっていたのだが、かなり違和感があったのが民青だった。私たちが学生のころ、つまり60年代の学園闘争時代には大学のトイレにペーパーが足りないとか、60年安保のデモの最中にはアンパンを売っていたとかで、ラジカル(急進的な)思考形態の三派からはとかく批判の対象であった。

急進的な学生からは「民コロ」と蔑称されていた。

しかし、そのような歌声喫茶的で日和見的な民青の活動スタイルは、女子学生のオルグ(組織加盟促進)対象にはもってこいだった。 高校から大学へ入学したばかりで受験から解放され知的刺激に飢えていた、ちょっとお利口さんの彼女らを魅了するものが民青にはあったのだろう。

山崎浩子のように若干可愛くて頭の良い子は、民青にオルグを掛けられるとコロコロと「入信」していった。ほんとうに頭の良い子は革マルに多く、ちょっとしたディスカッションでも、ボクちゃんなんかじゃ歯が立たなかった。

頭が良い、とは

いまここが頭が良いというとき、それは、

(1)理解力・分析力がある
(2)記憶力・再生力がある
(3)創造力・発想力がある
ーーに分けられる。

受験勉強はひとえに(2)の訓練だから東大卒であろうと早稲田卒であっても、頭が良いとは言えない。

さらに社会に出れば人格、教養、信頼感、馬力、スピード、そしてハッタリなどが要求される。したがってブランド大学を出たからといっても、それは大して役に立たない。大学名が欲しい人には、それなりのレベルで役立つのだろうが。

さて、山崎浩子や民青に入った女学生たちは、おもに(1)と(2)に秀でているようだから、人の話は良く解るに違いない。

したがって、宗教であろうと、政治理念であろうと、それに納得すれば、どんどんのめり込む。怖い限りだ。ところが、自分が間違っていた気が付くと「改心」するのも速い。

数学の計算式のように、 前の方で1回プラスとマイナスを間違えたら、そこを直せば、それ以降はすべてプラス・マイナスが逆になるのと同じで、自動的に直ってしまうようだ。 しかし、 私は寡聞にして、民青から脱退したという例を知らない。

人間は限られた情報しか与えられなければ、どんな優れた人でも誤った判断をせざるを得ない。 山崎浩子は、あの宗教への入信にあたって、限られた情報しか与えられなかったのだろう。 だから、 その宗教団体のボスを絶対的だと信じるに至った。しかし入信してから、
「これはおかしい」
と気づくチェック機能が働いて、普通の世界へ戻ることにしたのだ。 

しかし、私は宗教そのものを否定はしない。 人には心の拠り所が必要だからだ。

 

スポンサーリンク