ガン治療で女性化体質と甘党食性への変化

ガン撃退記

 本稿は、前立腺ガン(prostate cancer)闘病者への激励および同病に関心のある方への情報提供として投稿しています。

 本記事は連載ものです。これまでに以下5本が出ています。
#1 えっ!?私がガン?毎年の健康診断は何だったのか!
#2 ガン撃退作戦開始!「スポーツ散歩」で血流促進、新陳代謝促進
#3 ガンの身で東京ー京都踏破!「スポーツ散歩」で血流促進
#4 歳かな?は要注意 ガンの早期発見
#5 末期ガン闘病1年「絶対に生残る!」強い執念と妻の献身的支援

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1 ガンを叩き出してやった!

 写真は今朝、早朝散歩に出かけようと屋敷(なんかないけどW)を出たときの写真です。島崎藤村の『夜明け前』とは何のかかわりもありませんが、当地の日の出時刻(5:21)の数分前の景色です。
 私はかねがね病は自然治癒力に負うところが多いと思っています。この度憑りつかれたガンも、一度は医師に「1年持つかなぁ」と思わしめたものの、ちょうど1年後のいま、ほとんど正常な生活ができるまでになりました。
 もちろん、担当医様の熱心な治療があってのことです。これに加えて患者である私の生への執念、それに呼応する自然治癒力というものの力もあったと思います。
 この写真の風景を見ると、きょう1日がパァッと晴れていくことが予想されますが、私は自分のガンを叩き出して、今後健康な状態が続くような清々したような感じでした。(2023年9月11日記)
#前立腺ガン #末期ガン #余命1年 #キャンサーサバイバー #ガン生存者

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2 散歩から朝練へレベルアップ ガン叩き出し作戦

 前立腺ガンで余命1年弱といわれた末期ガンのキャンサー・サバイバー(ガン生存者)として、一刻も早く健常者に戻るために発ガン以前からしていた毎朝の散歩。退院(2022年9月)直後から再開したので、ほぼ1年間、土日祝日も歩き天候不良で休む以外は「皆勤賞」です。
 退院直後は、杖に頼ったヨロヨロ歩きで、200mも歩けば路傍のベンチに倒れ込みました。しかし、「継続は力なり」とはよく言ったものです。記録を取り始めた今年(2023年)1月からはすでに1,200㎞を踏破しました。東京と大阪を往復しても、まだ余る距離があります。
 そのためでしょう、足腰はほぼ健常な同世代並みになっていると思います。14~15㎏も減った体重もだいたい元通りになりました。基礎体力が回復したといっていいでしょう。
 この散歩行には、なんと家内が全行程を付き添ってくれています。
 過日、TV番組でウォーキングの特集をしており、二人で観ました。番組の趣旨では、私がずっとしてきたようにただ歩くだけでも、歩かないより良いですが、痩身効果を狙うなら「筋トレ」的な要素を織り込んだ方が良い、とのことでした。
これには、家内が敏感に反応しました。

1)レベルアップした「スポーツ散歩」

 そこでTV番組を参考にして、私が組み立てたガン叩き出しの運動項目は以下のようにし、これを「スポーツ散歩」と呼ぶことにしました。

1)準備運動的に500mほど、普通に歩く。

2)左右のふくらはぎのストレッチング(30秒×2セット)。

3)大腿四頭筋(太ももの筋肉)と大殿筋(尻の筋肉)の伸縮。(左右各10回)。

 男性がプロポーズするときにひざまずく姿勢から、前の足だけで勢いよく立ち上がる。

4)腸腰筋(図参照)の伸縮。

 腸腰筋は体の外から触れないインナー・マッスルです。体幹維持やバランス感覚の維持に大切な筋肉です。図のように小腰筋、大腰筋、および腸骨筋を総称して四股踏みでも鍛えられます。腸腰筋と言います。

 

 

 

5)階段登り(34段+37段+38段、計109段)

 階段はただ登るのではなく、太ももが水平以上になるように上げることで、腸腰筋も鍛えられます。もちろん、大腿四頭筋も鍛えられます。

 

 

 

6)インターバル・ウォーキング(2分×3回)

 これは、競馬の馬ではありませんが「並足」ウォーキングと「速足」ウォーキングの二つを交互に繰り返すウォーキングです。
 「速足」ウォーキングというのは、掌が顔より高い位置まで上がるように、腕を大きく振りながら、できるだけ速く、大股で歩きます。競歩のようです。SLの様でもあります。これはかなりきついです。マラソンのように呼吸をスッスッ、ハッハッと整えることが要点です。視線は、水平よりやや上向きです。腕を振ることにより、肩回りの血流が促進され、肩こりなどはなくなります。約2分間続けます。
 その後、2分は「並足」ウォーキングです。でも普通の散歩より結構速い歩き方です。田園地帯をのどかに走るジーゼルカーのようです。これを3回繰り返します。
 もし読者がおやりになるなら、厳密に2分間ずつでなくても、この自販機からあそこの電柱までという具合に、何か目印を決めて歩けば、わざわざ時間を計測する必要はありません。

2)腫瘍マーカー改善

 今までのおとなしい散歩は、約1時間でした。この、中高生がよくしている「朝練(アサレン)」のような、ややきついメニューは約40分で終わります。歩く距離は今までより若干短くなり、4km弱となっています。
 家内も一緒に、すでに1週間続けています。以前よりカロリー消費は大きいと思います。3)と6)がちょっときついです。朝晩は涼しくなってきてるとはいえ、この運動で汗ビッショリになります。
 腫瘍マーカーの数値も月ごとに良くなっています。きょうは母の61回目の命日です。
「お母さん、まだそっちにはいかないよ!」(2023年9月21日記)

#前立腺ガン #末期ガン #ガン生存者 #キャンサーサバイバー #末期ガンからの生還

3 ガン治療で変わった体質と食性 女性化肥満 甘味志向

 前立腺ガンの治療として、私の場合は第Ⅳフェーズ(末期)で発覚したので、ガンの部位を切除する治療法は遅かったのでできませんでした。
 そこで採られたのは、ガン細胞の餌(えさ)となる男性ホルモンの生成を抑止する方法です。ホルモン療法といいます。毎日、そのための錠剤を服用することと、月イチで同様の効用のある注射を、いわゆる臍下丹田の部分へ打っていきます。
 注射個所が重複しないように、臍下丹田の部分を将棋盤のように区切り、毎月別の区分へ打っていきます。「注射手帳」という小冊子があって、そこへ注射位置やその月の腫瘍マーカーの数値(PSA)を記録していきます。
 毎晩飲む錠剤は、小指の爪ほどのけっこう大きなもので、1回に4錠服用します。これは保険がききますが、きかないと1錠は3,700円、1回14,800円にもなります。
 このように男性ホルモンをでなくすると、身体に何が起こるかをご案内します。また、ガン再発防止のために、継続的な運動は必須と思っています。それらもご案内いたします。

1)食べものの変化

1.嫌酒傾向:
 発ガン以前は、お酒は基本的に何でも飲む左党でした。とある酒場のママに言われました。
 「あなたはおいでになる回数は少ないけど、ひと晩に飲む量はいちばん多いかな」
 そんなに好きで毎晩飲んでいたお酒を、入院中と退院後は、まったく飲む気になりませんでした。退院後、医師に、飲んでいいか否かを聞いたところ、
「あまり酔わないように」
といわれているくらいですから、禁酒しなくても良いのですね。
 この夏場(2023年)は毎晩、ビールのサンゴー缶(350㎖)を夫婦で1本です。余るときもあります。
2.甘味傾向:
 発ガンまえは基本的に甘いものは口にしませんでした。しかし、最近では洋菓子や生和菓子等々、いままで口にしたことがない甘味ものに、自分から手が出るようになりました。
 イモ、クリ、それにカボチャは女性の好物だそうですね。いままではどちらかといえば、食べなくて済むならそうしたいものでしたが、最近では、家内と一緒に食べています。

2)身体の変化

1.女性太り
 退院時には、平常時より14~15㎏も痩せていました。心配した家内が、毎日、精の付くものを料理してくれ、これが美味しいのです。お蔭様で入院前の90%くらいまでは戻りました。感謝しています。
 ところが、入院前の体重に追い付いていないのに、シャツの前ボタンがきつくなったり、ウエストも以前のズボンが少し苦しいのです。
 腰回りの肉の付き方も、以前と違ってモッチリ系なんですね。女性の肉付きなのです。体重はもとに戻っていないのに、頬なんかがポッチャリとしてきているのです。以前のようにキリッしまったダンディ?なイメージはどこへやら、といった感じです。
 また、なんといってもオッパイが大きくなるのも奇妙です。治療の副作用としてそうなるとは話には聞いていましたが、大きくなり両手で覆えるほどになっていますww。
2.体毛の薄毛化
 私、身体は小さいですが、一応胸毛はあったのです。これが、まだあることはありますが、ほとんどなくなりました。
また、すね毛や太ももの毛も、細くなったというか、結構なくなりました。
 口ひげ、あごひげ、そして頬髭の類は、もともと濃い方ではなく、手入れは楽でしたが、いまは二日に1度剃るだけで、あまり目立たなくなりました。
3.ホットフラッシュ(全身のほてり)
 これは、何かのタイミングで身体全体がほてり、汗がドッと出てくる現象です。気分は悪くはなりません。私の場合、5分くらいで収まります。この症状は、女性の更年期障害としてよくあるそうです。
4.発汗作用
 私は発ガン前は、どちらかというと汗はかかない体質でした。しかし、ホルモン療法を始めてからは、ちょっとしたことで発汗しやすくなりました。
 発汗部位は、耳の後ろから襟足のあたりです。発ガン前にはこの部位で汗をかいた覚えはありませんでした。

3)小さな運動の継続

 病人面(ずら)して、自宅でチンタラしていると、またぞやガンに土砂を掛けられかねないです。そこで、退院早々から、全身の血流を促進すべく、小さな運動を継続して行ない、全身にガンの再到来を未然に防ぐよう、きつい「指令」?を出しています。
1.腹筋運動
 退院したとはいえ、体重が平常時より14~15㎏も減っているということは、第一に、筋肉量が減っているので、畳に敷いてある寝床から立ち上がることすら容易ではありませんでした。
 筋肉がないから、杖が折れるかもしれないほど頼りにして、時間をかけてやっと立ち上がれるのです。
 でも、なにか運動をしないと、そのままダメになってしまうのでは、という心理学でいうところの「強迫観念」がありました。
 そこで、床に仰向けになっていた時に閃いたのが、そのままの姿勢から首を(頭を)7~8㎝くらい上げる運動でした。これは、調べてみたら腹筋の運動に良いらしいんですね。
 普通、腹筋運動というと仰臥姿勢で足を上げる方法ですが、下半身を上下するより、上半身を上下する方が腹筋運動には良いらしいですよ。
 その頃の私は、仰臥姿勢で上半身を起こしたり足を上げたりすることなんて、とてもではないので、頭だけをできるだけ上げるようにしたのです。これなら何とかできます。最初は5回くらいでしたかね。
 それでは、いつやるのか?
「できる機会がある時にしよう」
という心がけは、だいたい続きません。生活サイクルの中のどこかへ入れこまなければいけないのです。
 私はこれを、夜、トイレに行った後、寝床に仰臥したときに必ずするようにしたのです。この年ですから、夜中にトイレには2、3回は行きます。そのトイレが終わって寝床に仰臥したら、頭の上下運動をすることにしたのです。最初は5回くらいがやっとでした。いまは、何回だと思います?40回です。5回から10回、15回と少しずつ回数を伸ばしてきたのです。
 頭の起き上がりの高さも増して来ています。これからは、もっと回数を伸ばしていきます。
 夜中にそんなことをしていたら寝付けないのでは?と思うかもしれません。しかし、逆に、若干の疲労が出るのか、すぐ寝つけるのです。
2.ふくらはぎストレッチング
 毎朝、県立相模原公園で散歩を始める前に、近くにある鉄柵につかまって、片足30秒くらいストレッチします。力を入れてギュッ、ギュッというのは良くないようです。伸ばしっぱなしで30数えるのです。家内と二人でこの運動をしていると、二人で鉄柵を押し倒しているように見えるのでしょう、ある時、別の朝散歩をしている中年男性に「柵を倒さないでくださいよぉ」と言われちゃいました。
3.45度腕立て伏せ
 女性太りをしていますから、腕の力こぶの下側がブヨブヨしがちです。女性の間では「振袖」といって、そうならないように工夫しているようです。
 私もそうならないように、ふくらはぎストレッチの後、その鉄柵に両手でつかまり、身体がほぼ45度の傾斜を保つようにします。
 発ガン以前は、この姿勢で50回を毎朝していたのですが、退院後1年経った現在は30回しています。30回やり終わって歩き出したら、今度は、腕立て伏せで使った力こぶの下側の筋肉にストレッチをかけます。これも最初は5回から始め、その後、様子を見て、5回ずつ増やしてきたのです。
 今後、回数を増やしていくつもりです。
4.四股踏み
 これも発ガン前からしていました。相撲観戦が好きなので、力士がなぜ四股踏みをするのかを調べました。これは、体幹(インナーマッスル)を鍛えるのに効果があるとのことです。
 調べたら、生成AIでは以下のように説明しています。
「体幹とは、顔、首、腕、足以外の体の中心部を指す言葉です。体幹は、腹筋、背筋、肩甲骨、股関節周辺の筋肉、太ももやふくらはぎなどの筋肉で構成されています。
 体幹は、木が幹によって枝を支えているように、人体の姿勢を保つために重要です。体幹を鍛えることで、基礎代謝を高め、内臓の働きを活発にすることができます」
 四股踏みは、片足を上げてドスンと踏み落とすイメージがありますが、そうではないんですね。
片足を上げ、空中で4~5秒留まる、これが大事なのです。その後、足はそっと地に付けるのです。したがって、室内でも静かにできるので、雨の日でもできます。
 足を上げて止める高さは、最初は30~40cmくらいでしょう。練習していくうちにだんだん高くなります。
 私は、力士では阿炎(あび、写真)や遠藤の四股踏みがきれいだと思い、いつかは脚をあのように高くきれいに上げる四股を踏みたいと思っています。(2023年9月22日記)
#前立腺ガン #末期ガン #余命1年 #末期ガンからの生還

4 ガン療法の副反応、痛い月イチ注射

 去年(2022年)9月に退院しました。退院して、自分で闘病生活を送ることになりました。
闘病生活といっても、病床に伏しているわけではありません。退院直後は両脚の筋肉が大幅に弱まっていたので、平坦なところを歩くにも杖は必須でした。

1)ありがたいヘルプマーク

 駅のホームの階段などでは手摺りは必須でした。階段は登るにしても下るにしても十分な注意が必要だし、時間がかかるので、エレベーターやエスカレーターを使います。
 エスカレーターは、登りにしろ、下りにしろ、最初の第一歩にものすごい神経を使います。転んだりしたら、自分はもちろんのこと、周囲の人に迷惑がかかるからです。
 このような状況ですから、電車内でもできるだけ座りたい。私がよく利用するのはJR横浜線、小田急線、それに田園都市線です。これらの路線の利用駅では、身障者用座席直近のドアが何処にあるかをまず探します。
 車内での「立ちんぼ」は、まぁ、1駅が限度です。そこでヘルプマーク【写真】を入手し(*)、これを杖や鞄につけて電車に乗ります。このマークは「私は身体が不自由なので席をお譲り下さい」というメッセージなのです。最近では、身障者用座席の窓にもこのマークのスティッカーが貼付してあります。
 このマークの効用は凄いです。私が身障者用座席の近くの乗車口から車内へ入ると、身障者用座席に座っている健常者と思われる人がスッ立って座席を譲ってくれます。何度もそういうことがありました。
 そうでないことも何回もありました。優先席に座っている何人もの若い人たちがスマホに夢中になっていて、私のヘルプマークに気が付いているのか否か、譲ってくれません。ヒョッとしたら身障者とか病身の身かもしれません。たまりかねて?か、身障者用座席以外の普通の座席に座っている若い女性に席を譲られた事もありました。
 以上のような車内事情以外は、ほぼ普通の生活ができます。クルマの運転は退院直後からしています。食べ物は健常者と同じです。
(*) ヘルプマーク:東京都福祉保健局により2012年に作成された(中略)。義足や人工関節を使用している患者、内部障害や難病の患者、または妊娠初期の女性など、援助や配慮を必要としていることが外見では分からない人々が、周りに配慮を必要なことを知らせることで援助を得やすくなるよう作成された。
 著作権は東京都に帰属し、商標登録されている。(中略) 2012年10月よりサービス開始。当初は東京都独自の取り組みとして始められたが、都内の民間事業者や、全国の自治体にも拡がっている。【出典:wikipedia】

2)時々痛い月イチ注射

 このほかの、投薬による副反応については、前回の「ガン治療で変わった体質と食性 (2023.9.12)」でご紹介してあります。
 そこでご案内できなかった、短期の副反応として、毎月1回の定期健診の時に打つ注射の痛みがあります。この注射は、毎晩、空腹時に飲む男性ホルモンの生成を制御する錠剤と同じ効用があります。
 この注射は、注射の直前にトランプくらいの大きさの保冷剤で注射する部分を冷やします。注射後、その晩から2、3日は、注射した部分が赤く脹れて痛みます。もう10回以上もしていますが、月によってその部分の状態や痛みに幅があります。
 ちょっと痛いくらいで日常生活には影響がない場合と、痛みで動きが取れず、布団の上に横になったマンマ、という時があります。立ち上がってトイレに行くのもひと苦労です。実は今回は過去最悪の痛みで、昨日はほぼ1日中横になっていました。
 注射部位は今回は、左右10cm、上下5cmくらいの楕円形で、厚さ1、2mmくらい薄赤に腫れあがっています。これは過去最大の大きさで、例月はゴルフボールを楕円形にしたほどの大きさです。
静かに歩いてもズンズンと響きます。内科的な痛みではないので、間もなく痛みは取れるのが分かってはいますが、ま、嫌ですね。家内と話すのも億劫です。
 対処策としては、同じ病院から別の内科医に処方していただいた痛み止めの薬を飲むと痛みはある程度緩和されます。
ま、全体から見れば病状は大幅な改善の途上だし、月に2、3日の痛みなら仕方ないか、と思っています。(2023年9月27日記)

#前立腺ガン #末期ガン #余命1年 #末期ガンからの生還 #病は気から #ヘルプマーク

 

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